選択肢【カタファ】エンバーの出自と言動の理由を考える

 扉がノックされた。トニーが立ちあげって扉を開けると、 カタファがいた。カタファの肩にはエンバーの手が置かれており、これから部屋に入ることを告げていた。

「カタファ」

 呼びかけにカタファは片手を上げて応えた。

「いやぁ、大変なことになったな。でも何かあれば俺がトニーの面倒をみるから。……これでトニーが少しは安心できたらいいんだけど」

 カタファはエンバーの手を取ってベッドの縁を触らせ、そこに座るように言った。巨体の乗ったベッドは大きく軋んだが耐えてくれたようだ。次にカタファは備え付けの椅子をエンバーに向き合うように置いて、指さした。

「トニーもここへ」

 ーーもしトニーが意識を失った時、立っている状態だと頭をぶつけるかもしれない。

 そんなカタファの配慮だった。ちなみに肩にかけたバッグには体力の医薬品やポーションが詰め込まれている。治療魔法はかける前提でいるが、どうしようもない場合は薬に頼るしかない。トニーが神秘を使ってエンバーの目を治す。その場に他の治癒魔法士を連れてくることはできない。

 準備できるものはすべて準備して臨む。準備、八割。仕事上の鉄則でもあった。


 椅子に座ったトニーはエンバーに「包帯を取るから動かないように」と告げたが、エンバーは自身の手で引きちぎった。

 ぶちぶちと音を立て現れた彼の目は、皮膚が爛れて波打ち、まつ毛もなく、落書きのようなガタガタのラインで固着していた。へこんだ皮膚は眼球自体がない事を示している。


「……ひどいな。痛かっただろうに」

 カタファは思わず声を出した。治療魔法を使う者は、患者の前で状態の良し悪しを言わないことが鉄則だった。患者に余計な心理負荷を与える可能性があるからだ。しかし、ーー目を抉った上で焼き付けられているーーこの人為的な傷跡に、心が潰されそうだった。


 カタファは横目でトニーを見た。彼のいつもと変わず感情を抑制した表情のままだ。

「……触ります」

 声をかけながらトニーが静かに手を伸ばす。エンバーの長い前髪を割って、トニーは両手をエンバーの目に添えた。その行為自体は何もなかった。音もなく、治療魔法のように患部や施術者の瞳が光ることもない。ただただトニーが触れているだけだった。

 ほんの数秒経って、トニーがそっと手を離す。

 切れ長のはっきりラインに長く強いまつ毛がびっしりと生えた目が出現した。

 その目がゆっくり開くーー瞳は黄金色だった。


「すごいな、本当に。神秘ってやつは」

 目の前の御業に呆けてカタファがつぶやいていると、ふっと、視界の端でトニーの体がぐらついた。かろうじてトニーが腕を伸ばしそれを支えに突っ伏している。カタファは慌てて体を背もたれに預けさせた。

 力の抜けたトニーはとめどなく流れる鼻血を自分で拭くこともできず、うつろな瞳が暗く宙を泳いでいる。

「トニー、治してやるからな。安心しろ」

 カタファが手をかざすと仄明るい光が部屋の中を照らす。

 ーー問題ない。症状としては軽い。鼻血は止めたし一時的な失神も脳にダメージを及ぼすものじゃない。

 幸い反動は大きくはなかったが、ベッドに寝かせてやるほうがいいだろう。カタファは協力を仰ごうとエンバーを振り返った。

「エンバー、トニーをベッドに運ぶのを……」

「神秘の、体液……飲まなければ」

 エンバーの呟きにカタファは度肝を抜かれた。そもそもエンバーの声を初めて聞いた。体に見合った低い声で一つ一つの言葉には若干の訛りがある。だが一番わからなかったのは言葉の意図だ。

 硬直したカタファには目もくれず、エンバーは黒髪を垂らしてのっそりと立ち上がる。

「おい、やめろ!」

 カタファはエンバーの腕を掴んで止めた。

「……」

 黄金色の瞳はただただカタファを見下ろしている。その瞳には思考を感じられない。人間ではない何かと対峙しているように思え、カタファの背筋に冷たいものが走った。


「う、あ……」

 熱に浮かされたように呻く声がした。トニーだ。カタファとエンバーの視線が彼に移る。

 意識を失っているトニーの口の端から唾液が漏れて顎に伝った。エンバーはそれを見るとーー屈んで、顎から唇を舌でなぞるようにして唾液を舐めとった。そしてそのまま口を塞ぎ、トニーの唾液を奪うように舌を入れる。

「お、おい!」

 突然の出来事に驚きながらもエンバーの肩を掴んだカタファだったが、エンバーは目もくれず、カタファの胸を押した。軽く払いのけるような動作でありながら、その力は尋常ではなくカタファは後ろに倒れ込んだ。

「痛ぁっ……!」

 床に叩きつけられた背中に鞭打って何とか腹ばいになる。低い視点から見上げたエンバーは依然としてトニーの口に吸いついていた。何かを求めるように執拗に口付けする姿は異様だ。


 ーーくそ。何とか止めないと

 やっとの思いで腕を繰り出し這い寄り、カタファはエンバーの足を掴む。彼の足首は大木の枝のような硬い感触で、到底指が回らない太さだった。

 蹴られたら終わりだなとカタファは一瞬考えたが、指先はぎりぎりとエンバーの皮膚に食い込んた。とにかく今はトニーを解放しなくてはならない。

「お前、何、してるん、だよ…」

 カタファは口を挟んだが、まだ万全ではない。背中を打った衝撃は強く大きく息を吸い込むと肺が痛むので、呼吸の合間に絞り出すように言うことしかできなかった。

 途切れ途切れの言葉だったがエンバーはすぐさま反応した。口を離し、手の甲で自身の唇を拭う。起き上がろうと肘を立てるカタファの姿を認めると、エンバーが脇から腕を回しベッドに座らせた。片腕では椅子に凭れるトニーを支え、片腕では這いつくばったカタファを抱えた。エンバーがかなりの体躯であることはもちろんだが、その力は体が大きいからとできるものではない。

 ぽすっと毛布から空気が抜けた音と一緒に、カタファの臀部や太ももは柔らかい布の感触を味わった。その動作は優しく、先ほど突き飛ばした男と同じ行動とは思えなかった。

「え、あ……あり、がとう?」

 必要でもないのにカタファは礼を言った。エンバーはその礼に小さく頷いて応えた。


 ーーもしかして悪意はないのか?

 カタファは目の前の得体のしれない大男を改めて見た。肌は浅黒く、髪は濡烏よりも漆黒。治癒された黄金の瞳は確か、大陸の遠く、ノルウワ諸国の果てに居る人々の特徴だったと覚えている。エンバーは移民か難民であろうと予想がついた。


 失礼なほどに真正面からエンバーを観察していたところ、彼の口が開いた。

「唾液を吸った」

「……は?」

「血は止まってしまった。だから唾液を吸った」

 今度はカタファの口がぽかんと開く。急にどうしたと頭を捻るとその呟きは、先ほど自身が発した「何をしてる」への回答だと気づいたカタファは肩の力が抜けた。

「どうしてそんなことするんだよ……」

 カタファは髪をがしがしと掻く。

 調子が狂う。エンバーが敵か味方か判断できない。というよりも、敵味方以前の話で、行動原理がまるで子供のようだとカタファは思った。

 突き飛ばすのは悪いことだからカタファを起き上がらせた。これは分かる。力は加減しただろうがカタファが転がったのを見て罪悪感があったのだろう。

 次。何をしてると聞かれたから、答えた。

 どんな意図があって質問されたのかを読み取らず、もしくは読み取れず、ただ質問された内容だけを答えた。

 これは指示されたことを忠実に実行しているだけ。ただその実行の度合いが高い。自分の感情や意志などなく、指示に従わなくてはいけないという強迫観念めいたものがーー。


 ここではた、とカタファは思いついた。

 ーーということは、『体液を摂取する』。この異常行動も誰かの命令なのだろうか?


 単なる想像でしかないが、カタファには確信めいた思いがあった。大の男、恐らく年上の彼がこんなにも常識がなく、自我もないのはーー幼い頃からの抑制のせだろう。

 カタファはため息をついてエンバーに向き合い、質問を繰り出した。

「……神秘を持つ者の体液を飲めと、誰かに指示されたのか?」

 黒い髪が上下に揺れた。肯定だ。

「誰に言われた? 目的は?」

 今度は口を閉じ、首を左右に振った。当たり前だが、誰かから口止めをされているようだ。

「なら、トニーの唾液を飲んで……その、何か変わったとか、何か分かったとかあるか?」

 質問する側のカタファも半ば呆れながら問うた。神秘保持者の体液は万病を治すとか新たな神秘保持者を生むとか若さを保つとか、根も葉もない噂を信じる者は多い。推定、移民のエンバーはそれら狂信者に育てられたのかもと考えた。

 だが、エンバーの答えはカタファの予想の斜め上に行った。

「これじゃなかった」

「は?」

「彼のじゃなかった」

 これだけ言うとエンバーは立ち上がってカタファに背中を向けた。

「おい! それって……」

 カタファは呼び止めエンバーを追おうとしたが、背にもたれたトニーの空えずきが聞こえたので、それは叶わなかった。カタファは中途半端になっていた治療魔法の続きを施しながら、ただただエンバーが閉めた扉を見つめることしかできなかった。

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