宝くじを拾った男
本庄 楠 (ほんじょう くすのき)
第1話
福岡県北九州市の八幡に、くすのき商店街と云う古ぼけた商店街がある。昔、八幡に、国営の大きな製鉄所があった時には、大変、
現在もまだ、頑張っている店は、八百屋、魚屋、
パチンコ店のネオンの光も暗く、弱々しくし点滅している。でも、音楽だけは、大音響で、昔ながらの軍艦マーチや、演歌を流していた。店名の【
パチンコの台数は八十七台あった。スロットマシンは無く、パチンコ台のみである。今日は、平日の木曜日だった。時間は昼下がりの四時半、店内には客が二十五、六人居た。三分の一ほどの台が稼働していた。殆どが老人である。年金生活者らしかった。この日は二か月に一回の年金支給日だったのである。
一年前、チンピラの客と言い争って、怪我をさせた。その為に馘になったのである。結果的には、彼の正当防衛が認められ、
この食堂には、パチンコ店【月光】のオーナ-の
昭夫は彼と顔なじみになり、パチンコ店月光に雇ってもらったのである。
超さんも、業界の事情が解っている昭夫が来てくれたことを喜んだ。
月光は平成元年(1989年)に開店したパチンコ店であった。この時、肉屋と花屋と洋品店がまとまって立ち退いた跡地に新規開店したのだった。商店街としては、パチンコ店を商店街に入れる事に反対した商店主もいたのであったが、商店街もどんどんさびれつつあったので、集客のためには良いのではと云う意見が多く、仲間に加えたのだった。場所的にも商店街の真ん中であったので、集客には大変貢献したのである。
パチンコ店そのものも、土曜日、日曜日は一日中満席であった。昔ほどではなかったが、まだまだパチンコファンは多かったのである。しかし、時代と共に、パチンコ店もデラックス化すると同時に、スロットの人気が高まり、パチンコ台も新機種の導入の競争となってきたのである。さらに、駐車場の広い郊外型が主流となり、街中の駐車場の無い店は、客足が遠のいていったのである。現在の月光のお客さんは、年金生活者の老人や、時間を持て余している主婦、待ち合わせ場所として利用している大学生の溜まり場となっていた。台の稼働率が50%を超える日は週に二日か三日だったのである。
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