抗議と対決

政宗が催眠術の実験台にされる罰を受けてから数日が経った。


その間、彼は寮内のあらゆる場所で催眠術の練習台として酷使される羽目になっていた。


「久我くん、催眠術の練習手伝ってくれるよね?」


「……はい。」


どんな状況でも、この言葉をかけられると政宗は無意識のうちに従ってしまう。催眠術で埋め込まれた暗示が、彼の意志を無力化していた。


授業中、廊下、食堂、寮の共有スペース、そして風呂場に至るまで——政宗はどこにいても女子たちに捕まり、催眠術の実験を受け続ける。


特に上級生たちは、面白がるように高度な催眠術を試してきた。


「久我くん、視線誘導の練習に付き合ってくれる?」


「次は五感支配の暗示を試すわね。」


「もっと深い催眠状態に入るかどうか、検証したいの。」


当然、政宗に選択権はない。催眠術が発動すれば、彼の身体は言葉に逆らうことができないのだ。


こうして、彼は次々と上級生の催眠術にかけられ、記憶を曖昧にされたり、体の感覚を狂わされたりと、散々な目に遭っていた。


***


ある日の昼休み、ようやく自分のクラスの仲間たちと合流できた政宗は、机に突っ伏したまま弱々しく呟いた。


「……もう、ダメだ……。」


そんな彼の様子を見て、クラスの女子たちも怒りを露わにした。


「ちょっとひどすぎるよね! なんで上級生たちまで久我くんをみんなで好き放題に使ってるの?」


「そうだよ! こんなの酷すぎる!」


政宗は、思わず顔を上げた。


(え……? まさか……俺のことを本気で心配してくれるのか!?)


初めて味方が現れたような気がして、胸が熱くなる。


しかし、次の瞬間——。


「久我くんは、私たちの練習台なのに!」


「そうだよ! 他のクラスや先輩たちが好き勝手に催眠術を試すなんてずるい!」


「もっと公平に、私たちの番も確保しなきゃ!」


(……そういうことかよ!!)


政宗の希望は、一瞬にして打ち砕かれた。


クラスメイトたちの怒りは収まらず、そのまま勢いで上級生たちに抗議をしに行くことになった。


「先輩たち! どうして久我くんを好き勝手に催眠術の実験台にしてるんですか!」


彩花を筆頭に、クラスの女子たちは2年生の寮生リーダーである氷室紫音、さらには3年生の寮長である三島綾音のもとへと詰め寄った。


氷室紫音は冷静な表情で彼女たちの言葉を聞いていたが、綾音は興味深そうに微笑んでいた。


「なるほど。つまり、あなたたちは久我くんを独占したい、ということかしら?」


「違います! 久我くんは私たちのクラスメイトで、練習台にするのは私たちの権利なんです!」


「そうです! それなのに、先輩たちが先に使うなんてずるい!」


政宗は、背後で繰り広げられるこの会話を聞きながら、内心で絶望していた。


(結局、俺はどこに行っても練習台扱いなのか……!?)


紫音は腕を組みながら、冷静に状況を分析していた。


「つまり、私たち上級生が久我くんを使うのが不公平だというわけね?」


「そうです!」


「しかし、それは久我くんの意思に関係なく、あなたたちが独占したいということでは?」


「そ、それは……!」


彩花たちが言葉に詰まると、今度は綾音が微笑みながら口を開いた。


「いいわ。じゃあ、フェアな方法で決着をつけましょう。」


「……フェアな方法?」


「ええ。催眠術を学ぶ以上、実践と競争は避けられない。だから、私たちの間でゲームをして決めるのはどうかしら?」


「ゲーム?」


綾音は優雅に微笑むと、催眠術の実力を競うための特別ルールを説明し始めた。


「催眠術対決のルールはシンプルよ。お互いに先攻と後攻を決め、交互に催眠術をかけ合うの。先に相手を完全に催眠状態にできた方が勝ち。制限時間を設けて、その間にどれだけ耐えられるかを競う方式でもいいわ。」


「え、でも……」


「もちろん、ルールに従えないならこのままでもいいけれど、その場合、久我くんは私たちが引き続き使わせてもらうわよ?」


「……っ!」


政宗は目を見開いた。


(どっちに転んでも俺は地獄じゃないか!?)


しかし、クラスメイトたちはすでに乗り気になっていた。


「いいですね! その勝負、受けます!」


「待て待て待て! なんでそんな積極的なんだよ!?」



綾音がいう。

「じゃあ、学年間の総当たりね。3試合やって、一番勝ちの数が多かった学年の意向に従って政宗くんの扱いは決めるわ。」

(いや、だから何でおれの扱いが勝手にどんどん決まってるんだよ!)


政宗の心の叫びは誰にも届かず、ついに学年間の催眠術対決が決まってしまったのだった——。



試合の準備が整い、1年代表の彩花と2年代表の氷室紫音が向かい合って座った。

「じゃんけんで先攻後攻を決めましょうか。」


氷室の冷静な声に対し、彩花は自信満々に頷いた。


「もちろん!」


二人はじゃんけんをし、彩花が先攻となる。


「じゃあ、私からね!」


彩花は相手の目をじっと見つめ、ゆっくりとした口調で語りかけた。


「ほら、私の目を見て……じーっと、瞬きしないでね……。」


彼女の得意な凝視法が発動する。目を合わせたまま、その視線の圧に氷室はわずかにまぶたを震わせる。しかし、彼女の冷静な表情は崩れない。


(耐えてる……でも、まだこれから!)


彩花はさらに言葉を重ねる。


「まぶたがだんだん重くなるよ……肩の力も抜けて……リラックスして……。」


氷室のまぶたがわずかに下がる。しかし、彼女は深く息を吸い込むと、ふっと笑った。


「……いい催眠ね。でも、まだよ。」


制限時間まで耐え切った。


「じゃあ、次は私の番ね。」


氷室は静かに指を組み、彩花を見つめる。


「彩花さん、あなたも呼吸を合わせて。すぅ……はぁ……そう、ゆっくりと……。」


淡々とした口調に、彩花の肩がわずかに下がる。


「呼吸に集中すると、体の力が抜けるのが分かるでしょう? まぶたも少し重くなって……。」


(ううん、私は負けない……!)


彩花は耐えようとするが、氷室の声は静かに心に入り込み、思考を揺さぶる。


「肩の力が抜けて、とても気持ちいいわ……もう、目を閉じてもいいのよ……。」


(やばい……!)


彩花のまぶたが完全に閉じ、彼女の体がふっと前に傾ぐ。


「はい、催眠状態ね。」


氷室は満足そうに微笑み、指を鳴らすと、彩花ははっと目を開いた。


「えっ……負けちゃった……?」


「ええ、あなたもいい線いってたけれど、まだまだね。」


試合は氷室の勝利で幕を閉じた。


「すごい……やっぱり2年生はレベルが違う……!」


周囲の1年生たちが息を呑む中、政宗は冷や汗を流していた。


(対決してみるとレベルが違う、というか、この人たちに目をつけられてる時点で俺、かなりやばくないか……?)



次の試合の場が整い、氷室紫音と三島綾音が向かい合った。


「では、先攻後攻を決めましょう。」


氷室の冷静な声に、綾音は余裕の微笑みを浮かべながら頷いた。


「ええ、もちろん。」


じゃんけんの結果、氷室が先攻となる。


「では、始めますね。」


氷室は綾音の目をじっと見つめながら、静かに語りかけた。


「綾音先輩、ゆっくりと呼吸を整えてください……すぅ……はぁ……そう、そのリズムに意識を集中して……。」


彼女の得意な会話催眠が発動する。何気ない会話のように見えて、言葉が心に浸透し、思考を緩やかに誘導していく。


「そう……少しずつ体が軽くなって……肩の力が抜けて……。」


綾音は穏やかに微笑みながら、頷いた。


「確かに、少しリラックスするわね。でも、それだけじゃ足りないわよ?」


「ふふ……まだこれからですよ。」


氷室は淡々とした口調を崩さず、じわじわと暗示を深めていく。


「まぶたが少し重くなってきましたね……ほら、閉じたくなってきませんか?」


「いいえ。」


綾音は涼しげに笑いながら、意識を研ぎ澄ませる。


(さすが……まったく動じない。これが3年生の実力……!)


氷室はさらに言葉を重ねた。


「綾音先輩、リラックスすればするほど、私の声が心地よくなりますよ……。」


「確かに、心地いい声ね。でも……これくらいなら、耐えられるわ。」


制限時間が過ぎ、氷室は僅かに眉をひそめた。


「……お見事です。」


「ありがとう。でも、次は私の番ね。」


綾音は静かに指を鳴らし、氷室をじっと見つめた。


「氷室さん、あなたは優秀な催眠術師ね。でも、相手が私ならどうかしら?」


彼女の声が一段と落ち着いたものになり、周囲の空気が変わる。


「あなた、少し疲れているでしょう? さっきの試合で、ずっと集中していたから……。」


氷室の肩がわずかに下がる。


「そう……少しだけ力を抜いて、楽にしてもいいのよ。」


「……まだ、耐えられます。」


「そう?」


綾音はふっと微笑む。


「なら、試してみましょう。あなたは今、とてもリラックスしている。私の声が、まるで心に染み込むように……。」


氷室の呼吸が乱れ始めた。


「……っ!」


(まずい……! 私の意識が……!)


「ほら、まぶたが重いでしょう? ゆっくりと……閉じていく。」


氷室は抵抗しようとしたが、すでに綾音の言葉が深く心に入り込んでいた。


「……っ……!」


パタン。


氷室のまぶたが完全に閉じ、そのまま脱力した。


「はい、おしまい。」


綾音が軽く指を鳴らすと、氷室ははっと目を開けた。


「……負け、ですか?」


「ええ、あなたも強かったけれど、まだまだね。」


試合は綾音の勝利で幕を閉じた。


「やっぱり3年生は格が違う……!」


周囲の2年生や1年生が息を呑む。


政宗は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。




一段落したところで、三島綾音がゆっくりと立ち上がった。


「じゃあ、1年生の皆さん。そろそろ私たちとの実力差が分かってきたかしら?」


冷静な声が響く中、1年生の中には悔しさを滲ませる者もいれば、完全に怯えている者もいた。政宗は当然のごとく後者だった。


(分かってたけど、やっぱり3年生のレベルが違いすぎる……!)


すると、綾音は微笑みながら提案する。


「でもね、実力が違いすぎる勝負って、あまり面白くないわよね。だから、1年生にハンデをあげるわ。」


「ハンデ……?」


彩花が訝しげに聞き返すと、綾音は頷いた。


「ええ。私と芽依の2人で、あなたたち4人に催眠術をかける。あなたたちは協力して、それに10分間耐えられたら……久我くんの暗示を解いてあげるわ。」


その言葉に1年生たちはざわついた。


「4対2……ってことは、こっちの方が有利ってこと?」


「10分間耐えればいいだけなら、なんとか……?」


「でも相手は3年生よ? そんな簡単に勝てるはずが……。」


政宗は耳を疑った。


(いやいやいや、絶対無理だろ!? 2年生ですら3年生には全く敵わなかったんだぞ!?)


しかし、他の1年生たちは少しでも勝機があると信じたい様子だった。彩花が代表して綾音を見据える。


「……本当に、耐えきれたら政宗くんの暗示を解いてくれるんですね?」


「もちろん。」


「分かりました。受けて立ちます!」


政宗の内心の悲鳴をよそに、試合が決まった。


(お、おいおいおい……俺の意思はどこに行った!?)









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