1 § prophetia : かの邂逅は、まさしく預言にある通り①

 朝食のテーブルを見て、エレクトラはまゆをひそめた。

 とれたてのオレンジ、羊乳のチーズ、イワシのオリーブえに、かま焼きのパン。質素ながらも質にこだわられたメニューはいつも通りで、特に問題はない。

 気になるのは、はじっこに置かれた水の入ったびんだ。

 ──さて、どう開けたものかしら。

 瓶を見ながらエレクトラは考えた。

 瓶には金属製のフタがあり、フタの端にはと呼ばれる小さなピンが付いている。つう、あそこに魔力を当てればピンが弾けてフタが開くらしい。

 けれどエレクトラにはできない。なぜなら、ミトス王国第一王女エレクトラは『無能』として生まれ、魔力を使うことはできないからだ。

 無能、用なし、けつかん品。

 王女のくせに、てんで使いものにならないむすめ

 元老院議員の世間話から、貴族の娘たちのおしゃべりから、どれほど聞いたことだろう。そのたびに思う。無能は事実だからいいとして、欠陥品は言いすぎだろうと。

 けれど周りのにんしきはそうじゃないらしい。今も周りのじよはにこにこと笑っているだけで、誰一人、手伝おうとはしないのだから。

「カトラリーはこちらに」

「ええ」

 侍女に返事をした後、いつも通りにやることにした。

 テーブルの引き出しから金属製のピックを取り出すと、フタの間にあるピンの下に差し込んだ。強く力をこめ、ぎぎぎ、とピンを動かす。

 あとはフタとわんりよくとのこんくらべだが、すぐに勝敗がついた。金属製のフタはぐにゃりと折れ曲がり、開いたのだ。

 今日も私の勝ちね。エレクトラはさわやかに微笑ほほえんだ。

『魔力がないお前には腕力も必要だ』──き父の教えである。伊達だてきたえてはいない。

 父はその言葉と共に剣もあたえてくれた。腕力と剣術、これらがエレクトラが生きる上でのひつの手段だ。

 まあ侍女たちは、不快そうに目をらしているが。

 それもそのはず、この国においては魔力こそ絶対という共通認識があるからだ。

 ミトスの人間はがみセラのまつえいであり、中でも王族はその直系子孫。神に最も近いからこそ魔力も強いのが当たり前。あつとう的な才能によりたみと敬意をいだかせるのが王族たる者の義務。

 それなのにエレクトラには魔力がない。民であっても持って生まれることが当たり前の魔力を王女が持っていないなんて、言語道断というわけだ。

 だから毎日こうやって敬意のないあつかいを受ける。

 魔力でふうじられた瓶が出てくるのも、はっきり言っていやがらせだ。フタを開けた状態で出すというはいりよくらいできるはずなのだから。

 まあそんなのは慣れっこのこと。気にするだけ時間のだ。エレクトラはすずしい顔で朝食を平らげ、背筋をばして立ち上がった。

「講義までは時間があります。本日もはなぞのへ向かいますので、ともを」

「かしこまりました」

 親密なおしゃべりはいつさいなく、侍女たちは機械のように従った。


 数分間歩いてたどり着いた『花園』。

 まったくもってゆうひびきだが……しかし。

 ──じゃり、じゃり。

 冷たく湿しめった音とともに、エレクトラは自分の手が茶色に染まるのを見ていた。指とつめとの間には砂が入り込み、どろみずがしみ込んでいく。

 花園、と言っても優雅に散策するのではない。

 逆だ。手入れをする方だ。

 王族に生まれれば普通、多くの時間は魔力の扱い方に時間をついやす。

 具体的には、大気にふくまれる魔素というりゆうを身にまとい、魔力として放つ方法を教わるそうだ(この一連の流れを『魔術』と呼ぶらしい)。

 だが先述のとおりエレクトラは例外。魔力を扱えないわけだから、魔術の授業も存在しない。受ける講義はもっぱら歴史、芸術、その他の教養くらいになる。

 となると予定はすかすかだ。そんな彼女に、母でありミトス女王であるクリュストラ王が与えた命令がこれだった。

『花園の管理。それが今日からお前の使命です』

 十五のころ、母が何の感情もない表情で言ったのを今でもしっかり覚えている。

 十五というと、普通なら王族は社交界デビューをするねんれいだ。王族のひめぎみとしてはなばなしくかざって、将来のための人脈づくりや、ひいては将来のはんりよとなる相手を探すものとされている。

 だが母王はエレクトラにそれを命じなかった。

 おそらくは、ずべき存在であるエレクトラを人目にれさせないために。

 作戦は功を奏したのだろう。エレクトラが社交の場に出ることはめったになく、ほとんどの時間を土いじりや独力で剣術をみがくのに費やすこととなったのだから。

 彼女はただ、きゆう殿でんで生きるだけの人形となった。

 とはいえ前向きで、何事にもくつしない性格のエレクトラだ。時がつにつれ、この仕事にもほこりを持てるようになった。

 手は土にまみれ、よごれ、けれど美しい花をかせる。魔術で無理やりこじ開けるのではなく、しんぼうづよく寄りい続けるからこそ、つぼみがほころんだしゆんかんがなによりも尊いと思える。魔力を持っていたら体験できなかった喜びだろう。

 今日もシャベルで土をすくい、ビロードのようにやわらかい土にせつかいを混ぜて、土づくりにいそしんだ。れいな花を咲かせられますようにと願いながら。

 ただ、誇りを持っている反面、苦痛な時間はおとずれる。

 たとえば葉っぱの裏にかくれていた可愛かわいいテントウムシを見つけ、そっと人差し指ででようとしたとき。

「まあ。では昨晩、ユリウスさまも劇場にいらしていたのね」

 つんと高い声が聞こえて、エレクトラは手を止めた。

「そうと知っていれば、わたくしのおとなりにご招待しましたのに」

「はは、すまない。聖団の者にさそわれて、きゆうきよ行くことになったのでね。これからは観覧席をすみずみまで確認し、殿下のお姿を探すとしよう」

「ふふ、次はきっと隣で観劇いたしましょうねっ」

 優雅な会話をしながら歩いてきたのは一ついの男女だった。

 男女、といっても年齢は一回りくらい差がある。

 少女のほうはアイリーン。エレクトラの三つ下の妹だ。

 太陽の色をした、きらきらとゆるやかに波打つかみ。それを引き立てるような落ち着いたいろのドレス。やわらかいおもしにはくるりとした丸いひとみかがやき、くちびるは生き生きとしたバラ色に色づいている。

 見るからにかわいらしく、周りからどれだけの愛情を注がれて育ってきたか想像にかたくない。

 青年のほうはユリウス。エレクトラの従兄いとこだ。

 太陽のようなきんぱつに、らんらんと輝くそうめいな瞳。古代のえいゆうちようぞうのように整った面差し。太陽の光を受けてはつこうのように輝く聖騎士のよろいしく堂々とした、いかにも男らしい美しさ。

 ユリウスよりも美しい男性をエレクトラは知らない。

 だから……だろう。

 なかむつまじい二人の姿を見て、心がざわりとれるのは。

『無能』のエレクトラは、第一王女であっても女王になれない可能性が高い。

 一方、妹のアイリーンは幼いころからじゆつけ、いずれは現女王におとらないほどの実力者になるだろうと言われている。

 だから女王になるのはアイリーン。それがきゆうてい内でのもっぱらのうわさだ。

 そして女王の婿むこになるのは、これまでの歴史をり返ると、貴族筆頭の貴公子であることがほとんどだ。

 今のミトス国内での筆頭貴公子というと、聖騎士団長ユリウスその人だ。

 つまり二人は、次期女王とその婿候補にあたるわけで──エレクトラのはつこいは、最初から敗れることが決まっていたわけだ。

「まあ」

 ふと、アイリーンの愛らしい顔がこちらを向いた。

「本日も土いじりですか、お姉さま。精が出ますわね」

 やわらかい微笑み。だが皮肉めいた冷たい、すようなまなざし。

 エレクトラはなんともいえない気持ちで、手についたどろをはらった。

 そのまま前髪を直そうとしたが、泥をはらいきれておらず、髪に汚れがついてしまったことに後から気がついた。

 アイリーンはおもしろそうにくすくすと笑った。

 人の失敗を見て笑うのはよくないことよ、とよきまいならアドバイスもできただろう。だがあいにく、二人はそんな仲ではない。

 説教めいた気持ちをこらえて、エレクトラは微笑ほほえんだ。

「おはよう、アイリーン。ユリウス。本日はお散歩?」

 だがエレクトラのあいには何の意味もなく、アイリーンはもったいぶるように、わざとらしく首をかしげた。

「あら、お姉さま。もしかして聞かされていらっしゃらないの?」

「聞かされていない、というと?」

「今朝がた、女王陛下のおしがありましたのよ。えつけんの間に集まるようにと」

 まゆをひそめ、エレクトラはじよたちを振り返った。

 答える者はいない。だがそのちんもくが答えだった。侍女たちは招集の命令を知っていたのに、あえてエレクトラに知らせなかったのだ。

 ──くだらないいん湿しつないじめね。内心でため息をついたが、顔には出さなかった。そんなことをすれば彼女たちの思うつぼだ。

「そうだったのね。何時から?」

宣誓神リアの上刻ぴったりから、ですわ」

 リアの上刻、というと十時か。まずい、あと三十分しかないではないか。

「さすがに、その格好では……ふふっ。急いでおたくをしたほうがよろしいのではなくて?」

 ゆうたっぷりに微笑むアイリーンはごうに着飾っており、その姿は宮廷のどこを歩いてもおかしくない。

 ──一方、私は……。

 無意識に見比べてしまい、少しだけため息をつく。

「教えてくれてありがとう、アイリーン。ユリウスも。また謁見の折に」

「あまり無理をしないようにな、エル。もしおくれても、女王陛下には私から説明をしておくから」

『エル』とあいしようで呼び、気づかうように言うユリウス。この従兄はいつもやさしい。アイリーンと自分にへだてなく接してくれる。その優しさに今日も救われた。

 まあ隣にいるアイリーンはおもしろくなさそうな顔をしているが。

「感謝します。では、またのちに」

 軽くあいさつを済ませると、エレクトラは自室へもどった。

 ──欲しいものは、いつだって手に入らない。

 ──だから、初めから望まない。

 いつしか彼女の思考回路はそんな風になった。

 望むから傷つく。望まなければきっと強く生きられる。今のやり取りも、気にしなければいいだけなのだ。エレクトラはそう自分に言い聞かせた。

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