壱⑦


「で? 本題は?」

 あっさりと体の上下を入れえた紅珠は、涼の上にまたがると片手でのどの急所を押さえた。そんな紅珠の手元をかくすかのように、手入れが追いついていないいたんだ髪がパサリとこぼれかかる。

 えられた指は、その気になれば一息で気道もけいどうみやくめ落とすことができる位置に置かれていた。そのあざやかなぎわに、叩き付けられたしようげきで息をめた涼が、呼吸を忘れたまま身構える。

「こんな呼びつけ方をするんだもの。あんた、よっぽど何かに困ってるんでしょ?」

 言葉はあえてやわらかく、しかしきよには殺意すら込めて。

 明仙連がほこる『八仙』が一角、『きようせんによ』の名を取るようになった紅珠は、一度取り逃がした腐れ縁の同期に『今度こそ逃がしてやるもんか』と言外に詰め寄る。

「あんたがなおに全部いて助けを求めてくるんだったら、私だってあんたの言葉を無下にはしない。さっさと全部吐いて楽になっちまいな」

「……ハッ!」

 そんな紅珠に返されたのは、鹿にしたような笑みだった。紅珠を見上げる涼の顔には、一年前にたもとを分かった時よりも強く毒気がにじんでいる。

 それを感じ取っていても、紅珠は視線のひとつさえらがせなかった。しんといだ視線を注ぎ続ける紅珠に、涼は表情と同じく小馬鹿にしたような口調で言葉を向ける。

「何をこんきよにそんなことが言えるんだ? 一年以上顔を合わせていなかった上に、俺は六年も身の上をいつわってあの場にいたんだぜ? 『ぜつの契り』をいいように使ってお前のことを……」

「あんたは昔から、女としての私には興味がない」

 涼の言葉には、どこかぎやくめいた響きがあった。

 その言葉を、紅珠は静かにち切る。紅珠の言葉におどろいたのか、あるいはいつになく凪いだ紅珠のふんされたのか、涼は目を丸く見開くと言葉を失ったかのようにふつりと口をつぐむ。

 そんな涼へ、紅珠はせいひつな空気をまとったまま言葉を落とした。

「あんたは周囲には打ち明けられない事情をかかえてあそこにいた。そして今も、打ち明けられないきゆうに立たされているから、私を呼んだ。この世でゆいいつ、どんな立場に立たされても、どんなじようきようっ込まれても、じゆじゆつとして無条件で背中を預けられる私のことを」

 紅珠が今回の一件に冷静に思考を巡らせた結果、行き着いた『答え』がこれだった。

 つむぐ言葉に、迷いはない。偽りも、きよしよくも、いつさいない。

 だって紅珠は、これが自分達の中で絶対の真理であると、知っているから。

 ──私が逆の立場だったら、そうだもの。

 涼が『紅珠』にこだわり、そばに置きたいと必死になるならば、それは紅珠を『相方』としてほつしているからだ。だれが敵に回るかも分からない世界の中で、唯一絶対の味方であると無条件に信じることができる相手に、助けを求めているからだ。

 わざを偽る技量をとくする前から、ともに技をいできた同期。誰よりも勝ちたかったからこそ、誰よりも観察し続けた相手。

 そのくせも、思考の回り方も、考えるよりも先に分かってしまう自分自身がいやになるくらい、自分達は相手のことを知りくしている。それこそ、組んで現場に出れば『てつぺきの連係はそう無欠』とまでうたわれたほどに。

 あえて言葉で確かめなくたって、明仙連にそろって進むのだと、信じて疑わなかったほどに。

 ──あんたのことはいけ好かないと今でも思ってるけども。……でも、それ以上のしんらいを、私はあんたに置いてるから。

 だからきっと、自分は絶体絶命の窮地に追い詰められたら、真っ先に涼に助けを求めてしまう。涼もそれは同じはずだと、紅珠は勝手に思っている。

 冷静にそこまで考えた時には、もう理由はこれしかないと確信をいだいていた。

 ていさい上は断れない状況に追い詰められている紅珠だが、だからと言ってすんなり心まで折れてやるような性格はしていない。自力で真相に行き着けていなければ、たとえかつがれてこのしきほうり込まれていても、死に物ぐるいでこの部屋からだつしゆつしていたことだろう。それだけの技量と意地が、紅珠にはある。

 涼もそれを知っていたからこそ、あれだけの根回しをして予防線を張ったのだろう。真相に気付けなかった紅珠が、ちからくでほうもうとつしていかないように。

 ──じゃあ、どうして素直に正面から、明仙連にいる私に協力をらいしてこなかったのかっていう疑問はあるんだけども。

 そこは何かしら、おおやけにはできない理由でもあったのだろう。もしかしたら涼が第三皇子という身分をせてふつじゆくに通っていた理由と通じるものがあるのかもしれない。

「あえてこんいんという形で屋敷に迎え入れたのは、呪術師として私を招き入れたと周囲に思われたくなかったから。こんを後回しにしたのは、何だかんだと理由をつけて、事が解決したら私を元の場所にもどすため」

 紅珠が冷静に言葉を並べていくうちに、じよじよに涼の顔からは悪役じみた笑みがき消えていった。その下から出てきたのは、涼らしくない、だが涼の素顔であるとも分かる、泣き出しそうな気配をふくんだ情けない笑みだ。

「で? 何か反論は?」

「……お前、太っただろ? おめぇ」

「分かった。やっぱ殺す」

 涼の言葉に、紅珠は考えるよりも早く指先に力を込めた。だが紅珠の指が涼の頸動脈と気道をにぎつぶすよりも、涼の手がフワリと紅珠の手にかぶせられる方が早い。

「手ぇ貸してくれ、紅珠」

 柔らかく紡がれた声には、切実な響きが滲んでいた。このきよでも微かにしか拾えない声には、ごうがんそんを絵にいたような涼が紅珠にしか見せない弱さがひそんでいる。

「一年ちょい、一人でがんってきたんだけどよ。……やっぱさ、俺、お前がいないとダメみたいだ」

「最初っから素直にそう言えばいいのよ。とっとと言いなさいよ、バカ」

 スルリと涼ののどもとから手を引いた紅珠は、涼の体の上からも身を引くと傍らにポスリと座り直した。そんな紅珠に向き直るように、涼はみぎうでまくらにしてしんだいに転がる。

「で? あんたはここで何をしてるわけ?」

「ここでっつーか、きゆうていでっつーか、……まぁ、こうてい一族周りで、なんだけどよ」

 どこから話したものかと迷うように一度宙へ視線を投げた涼は、紅珠に視線をえ直すとつらつらと説明を始めた。

「皇帝一族には、代々一族の内側から……つまり一族に名を連ねる立場にありながら、臣下としてっつーか、お抱え術師としてっつーか、……まぁそんな立場から皇帝一族を守護する呪術師……『おんみつ呪術師』ってのがいるんだけど」

 どうやら涼は根本的な部分から説明を始めるつもりのようだ。話が長くなる気配を察した紅珠は、よりくつろげる体勢を求めて手元に枕を引き寄せる。

 そんな紅珠の仕草にフッと口元をゆるませながら、涼は紅珠へ問いを向けた。

「お前、そういう話、聞いたことある?」

「初耳。くわしく聞かせて」

「分かった。長くなるから、耳の穴かっぽじってよぉーく聞けよ」

「……あんた、そんなことづかいで、よく皇帝一族なんてやってられるわね」

『どこでそんな言葉遣い覚えてきたのよ?』とあきれとともに言ってやれば、涼は無言のままかたすくめる。

 そんな自分が知っている『涼』と変わらない仕草に、紅珠はわれ知らず残っていた肩の力をようやくすべいたのだった。

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絶華の契り 仮初め呪術師夫婦は後宮を駆ける 安崎依代/角川ビーンズ文庫 @beans

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