壱④


 祓師塾というのは未来のきゆうてい呪術師を育成するために置かれているがくりようの一機関だが、卒業生全員が宮廷呪術組織である明仙連に進めるわけではない。採用は基本的に明仙連からの指名制で、たいていは成績ゆうしゆう者から順に指名を受ける。

 祓師塾で学ぶ学生呪術師達は、みなこの指名を得るためにけんさんを積む。指名を得られなかった人間は、国ではなく地方で呪術師として採用されるのが常だ。時折、おおやけに仕えず在野の呪術師になる道を選ぶ者もいるが、それもごくまれだと聞いている。呪術師界では『祓師塾卒業』というだけで呪術師としてのうでは保証されるから、余程就職先をり好みしなければ卒業生が食いっぱぐれることはないという話だ。

 祓師塾入塾からずっと涼とともに首席に名を連ねてきた紅珠は、もちろん第一席で明仙連からの指名を受けた。きちんと確かめたわけではなかったが、紅珠にお声がかったのだ。ほぼほぼ同率首席と言っても過言ではない涼の許にも、もちろん指名は来ているだろうと思っていた。

 このまま二人そろって、明仙連でも名をせる呪術師になってみせる。

 そう勝手に思い込んでいた。

 祓師塾を卒業する、あの日までは。

「は? 俺、明仙連には行かねぇぞ?」

 紅珠がそのしようげき発言を耳にしたのは、祓師塾卒業にまつわるもろもろの行事と手続きが終わった後のことだった。翌日にさっそく明仙連でのあいさつが予定されていて、その日程について何気なく涼にかくにんした返事がそれだった。

「……は?」

「いや、だから俺、明仙連の呪術師にはならねぇんだって」

 あまりの衝撃にけな声をらしたきり固まった紅珠に、涼はいつものように頭の後ろで手を組んだまま『何言ってんの、お前』と言わんばかりの表情を向けていた。

「そもそも俺、一言も言ってねぇだろ。明仙連に入るって」

「は……はぁっ!? じゃ、じゃじゃじゃ明日あしたからどうするってのよあんたっ!!」

 確かに言われてみれば、涼からそういったたぐいの言葉が出てくるところを聞いたことはなかった。『楽しみだな』という生意気な発言も、『明仙連に入ってもお前とのくさえんが続くのかよ』といった皮肉のひとつも、紅珠がおくしている限り、涼は一度も口にしていない。

 だがそれ以外の道をほのめかすような発言も、涼は口にしていなかったはずだ。

 ──だ、だって……なんで……っ!?

 祓師塾にざいせきする者は、だれもが当たり前のように明仙連入省を目指す。そもそも祓師塾とはそういう場所だ。

 そんなかんきようの中で、涼はずっと紅珠と首席の座を取り合ってきた。そんな涼がまさか『明仙連には入省しない』と言い出すとは、誰に予想ができたと言うのだろうか。

 だというのに、涼はいつものごとくハンッと紅珠を鹿にするように笑った。

「思い込みが激しいと、相手の術中にハマることになんぞぉ~? お前、先生達からも再三注意されてたじゃねぇか。まだ直ってねぇのかよ、そのちよとつもうしんなトコ」

「そっ、そんなこと、今はどうでもいいのよっ!」

 紅珠は必死に己を立て直すとズイッと涼にせまった。そんな紅珠に対し、涼はどこまでも常のひようひようとした表情をくずさない。

「あんたは、どこに進むの? 明日からどうするの?」

「さあねぇ?」

「さあねぇって……!」

「ま、何もしていなくても、勝手に日はしずんでのぼるんだ。俺が何者になっても、ならなくても、明日は勝手にやってくんだろ」

「~~~~っ!! そういうことを言ってるんじゃないっ!!」

 正直に言おう。あの時の紅珠はあせっていた。

 毎日顔を合わせて、たがいににくまれ口と軽口をたたき合って。時に対極に立ち、時に背中を預け合ってせつたくしていく。

 涼が紅珠と同じ道に進まないということは、この『日常』も今日でおしまいということだ。明日からも変わることなく続いていくと勝手に思い込んでいた日常は、今日この場限りで『日常』ではなくなる。

 おまけに涼は、どうやら紅珠に己の行く先を告げずに行方をくらませるつもりでいるらしい。六年間も腐れ縁をやってきたのだ。はぐらかし方でその辺りのは分かる。

 思い返せば、涼がどこに住んでいるのか、どんな家族の中で暮らしているのか、そういった類の話を紅珠は一切聞いたことがなかった。その手の話題を向けられるたびに涼が上手うまくはぐらかしていることを知っていたから、紅珠からはかないようにしていた。それがここに来てあだになっている。

 ここで涼を取りがせば、もう二度と涼に会うことはない。行方を知ることもない。

 その事実に、どうしようもなく胸が痛んだ。

「……どうしても話す気はないってのね、あんた」

 低く問いかける紅珠に、涼は言葉では答えなかった。ただみを深く刻み、常と変わらないすずやかでちやすような目で紅珠のことを流し見ただけで。

 その笑みとちんもくだけで、紅珠には十分だった。

 ──あくまでもくってことね。上っ等じゃないっ!

「涼! 私と一本立ち合いなさいっ!!」

 刻々と強くなっていく胸の痛みをはらうべく、奥歯を強くめてから紅珠はさけんだ。

「あんたが負けたら、今後のこと、洗いざらい説明しなさいっ!!」

 紅珠から叩き付けられた言葉に、涼はいつしゆんだけ笑みをかき消した。だが次の瞬間には新たな笑みが涼の顔におどる。

「ほぉん? んじゃ、お前が負けたらどーすんの?」

 新たに涼が顔に広げたのは、好戦的な笑みだった。『己が負けることなど万にひとつもありはしない』と言わんばかりの表情に、紅珠のいかりはさらにれつさを増す。

「あんただって私に何か要求すればいいでしょ!?」

「おん? つまりこの勝負に勝ったら、お前は俺の言うことを何でも聞いてくれるってこと?」

かなえられるはんで、一回だけね!」

「へぇ? いーじゃん。受けて立つわ」

 そんな売り言葉に買い言葉でけつとうが成立した。絶対に涼から事情を聞き出すために、『負けた方は勝った方の言うことを何でもひとつ聞き入れる』というせんせいまでわした。

 その結果、紅珠は涼に負けた。

 そりゃあもう、今まではくちゆうしていた実力は何だったのかと問いめたくなるくらい、ものの見事にざんぱいしたのだ。

「お前、気が動転してるとたんにボロが出るよなぁー? そんなんで明仙連でちゃんとやってけんのかぁー?」

 信じられない結果に地面に両手とりようひざをついたままがくぜんとする紅珠の頭上で、涼はケラケラと笑っていた。いつもと変わらないその反応があれほど憎らしかったことはない。

「俺ぁ心配だなぁー? 明日から俺っていうおもりはついてないんだぞぉー?」

「……っ!」

 その言葉が憎らしくて、悲しくて、つらくて。とにかく現実を認めたくなかった紅珠は、反射的にこぶしを固めると全身のバネを使って涼になぐりかかった。

 だがその拳はスカッと空を切った上に、次の瞬間、紅珠は涼が起動させたえんまくによって視界をうばわれていた。

 煙幕が晴れた時にはすでに涼の姿はかげも形もなく、紅珠がどれだけ名を叫んでも、怒りの声を上げても、涼は二度と姿を現さなかった。

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