第7章:現代との繋がりと二重スパイの苦悩

山田真理子は、愛知県の小さな診療所の前で深呼吸をした。彼女の隣には、いつもの温厚な笑顔を浮かべた佐藤健太郎が立っていた。


「準備はいいですか、山田先生?」佐藤が優しく尋ねた。


真理子は無言で頷いた。この日のために、彼女たちは幾晩も眠れぬ夜を過ごしてきた。愛知県を中心に、現代の日本人のDNAサンプルを収集・分析するという大規模なプロジェクト。その最初の一歩が、今始まろうとしていた。


診療所の中に入ると、すでに研究協力に同意した地元の人々が集まっていた。真理子は彼らに深々と頭を下げ、感謝の言葉を述べた。


サンプリングが始まると、真理子の頭の中は次々と浮かぶ疑問で一杯になった。この中に、本当に邪馬台国の人々の末裔がいるのだろうか。そして、もしいたとして、それは彼らの人生にどのような影響を与えるのだろうか。


数週間後、研究室に戻った真理子は、分析結果に目を通していた。そして突然、彼女の手が震え始めた。


「これは...」


傍らにいた鈴木明日香が身を乗り出した。「どうしました、先生?」


真理子は深呼吸をして、冷静さを取り戻そうとした。「見て、明日香さん。この家系のDNAパターン。朝日古墳で発見されたものと、驚くほど高い類似性を示しているわ。」


明日香の目が大きく見開かれた。「まさか...」


「そう、私たちは邪馬台国の直接の末裔を見つけたのかもしれない。」真理子の声は興奮で震えていた。「でも、まだ断定はできないわ。さらなる検証が必要よ。」


その夜遅く、明日香は再び秘密裏に守護会への連絡を試みた。しかし、送信ボタンに指をかけた瞬間、彼女の手は止まった。真理子たちとの日々の研究、そして彼らの純粋な探究心。それらが、明日香の心に深く刻み込まれていた。


「私は...何をすべきなの?」明日香は、誰もいない暗い研究室で呟いた。


翌日、真理子は研究チームを集めて緊急会議を開いた。


「この発見の重要性は計り知れません。」真理子は静かに、しかし力強く語った。「しかし同時に、この情報が及ぼす社会的影響も考慮しなければなりません。まだ公表の段階ではありません。」


佐藤が頷きながら言った。「その通りです。慎重に進める必要があります。特に、『邪馬台国の末裔』という言葉が一人歩きしてしまうのは危険です。」


真理子は深く息を吐いた。「私たちはまず、この発見の科学的妥当性を徹底的に検証する必要があります。そして、もしこれが事実だとしたら、どのような意味を持つのか、慎重に考察しなければなりません。」


チームのメンバーたちは、真剣な面持ちで頷いた。彼らは、この発見が単なる学術的興味を超えて、現代社会に大きな影響を与える可能性があることを理解していた。


その後の数日間、研究室は熱気に包まれていた。追加のDNA分析、統計学的検証、他の遺跡から得られたデータとの比較...あらゆる角度から、彼らの発見の正当性を検証する作業が進められた。


一方、明日香の内なる葛藤は深まる一方だった。守護会への忠誠と、真理子たちとの絆。二つの相反する思いが、彼女の心を引き裂いていた。


ある夜、明日香は決意を固めた。彼女は守護会に最後の連絡を入れようとしたが、最後の瞬間でやめた。代わりに、彼女は自分の研究ノートを開き、これまでの葛藤と、今後の決意について書き始めた。


「私は、真実の追求こそが研究者としての使命だと信じている。たとえそれが、既存の価値観や社会秩序を揺るがすことになったとしても...」


真理子たちの研究室では、次なる調査の準備が慎重に進められていた。彼らは、「邪馬台国の末裔」の可能性がある人々のさらなる調査と、彼らが持つ可能性のある特殊な遺伝的特徴の科学的検証に向けて、細心の注意を払いながら計画を立てていた。


そして誰もが気づいていなかったが、この瞬間、真理子たち研究チームの運命と、日本の歴史観を大きく揺るがす新たな発見への道が、静かに、しかし確実に開かれつつあったのだった。

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