第2話 たからもの
1時間目が始まるチャイムが鳴った。国語の教科書とノートを机の上に置く。
授業の始まりは、日直の号令で始まる。
「姿勢!今から1時間目を始めます。お願いします。」
「「おねがいしまーーす」」
「声が小さい。伸ばさない。はいもう1回。」
クラス中が、ため息に包まれた。新しいクラスになってまだ2週間だが、ほぼ毎授業、号令でやり直しさせられている。
みんなはもう、うんざりしていた。先生は厳しい顔つきになった。
「先生はね、基本なんでも程々でいいと思ってる。手を抜いていいとこは存分に抜いていいと思う。でも、程々ってのは、周りへの礼儀があるからこそ許されるものなんだ。
ということはだよ。授業の号令は、先生やみんなへの礼儀だと思わないか?気持ちよく授業を始めるために必要なんだ。礼儀をきちんとするのは、程々に生きてく第一歩でもあるし、社会を生きてく第一歩だ。まあ、先生の考えだけどね。」
号令は、ただの掛け声。ずっとそう思っていた。心做しか礼儀だと思うと、しっかりやろうと思える。
この違いを、言葉に現すのは難しい。
2回目の号令はびしっと決まった。
「「「お願いします!!!!」」」
三国先生は、笑顔でグッジョブのポーズをした。みんなも私と同じような気持ちを持ったのだろう。
ため息の残り香が溢れていた教室はもうどこにも存在していなかった。
「では、さっそく授業をはじめよう。教科書は11ページ。今日から新しい話をしていくぞ。」
タイトルは、『たからもの』
戦争で、新結婚生活を送れなかった夫婦がいた。
歳を重ねてから、2人は新婚生活をやり直すことにした。ここに行ってみたいと言った場所は、どれも足を運んだことのある場所ばかりで、新婚生活をやり直すはずだった時間は、2人の思い出を巡る時間へと変わっていった。
けれど、次に結婚式を挙げた場所へ行こうとした矢先、夫が急逝してしまう。奥さんは、ひとりでその場所に立ち、物語は静かに終わる。
教室では、物音ひとつしない沈黙の時間が長く続いた。
私は胸の奥がきゅっと締め付けられ、気づけば教科書を握りしめていた。
「はあ〜。いい話だなあ。」
長い沈黙を破ったのは三国先生だった。目頭を押さえている。クラスのあちこちでもすすり泣く声が聞こえはじめた。
私も目に涙を溜めていることに気づいた。鼻の奥がツンと痛む。
こんな風に、長年付き添っても愛を失わない関係性って、なんて素敵なんだろう。
『たからもの』は、今まで読んだ物語の中で一番心にあたたかさをくれた。
1時間目からこんな良い物語に出会えたなら、きっと今日は、良い一日になる。
そう確信した。
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でも、そう簡単に現実はドラマチックにはならない。
1時間目以降、良いことも、悪いことも何一つ起こらず、時間は淡々と進んでいった。私は、机の上の教科書とノートをぼんやり見つめてため息をついた。
……確信したはずなのに。気づけばもう掃除の時間だ。
私の学校は、掃除の時間に「黙働ルール」がある。教室や教室前の廊下は、先生の目が光っているから、みんな黙々と掃除をせざるおえない。
私の掃除場所は、渡り廊下を渡って階段を降りた先にある、空き教室前の廊下掃除だ。
ここの掃除場所になった人達は、みんな心の中でガッツポーズを決める。
先生がほとんどやって来ないから、生徒の間では、穴場として有名な掃除場所だ。
私達はいつも20分間、突っ立ってべらべら話して過ごしている。しかし、微かな足音がしたらサッとみんな背を向け掃除をしているふりをする。ほうきを掃いたり、雑巾を走らせたり。
みんな、べらべらしゃべっているけれど、神経は常に張り巡らせしている。この切り替えが、ゲームみたいで面白い。
「侑奈、今日何かある日だっけ?」
掃除場所が同じの梨沙が、話しかけてきた。梨沙は、一応"ほうき係"だが、何も持たずに壁にもたれている。
「うん、今日は塾がある。」
「そっか、火曜は塾だったね。凄いよ。ほんと。」
「まあね。」
少し同意するように相槌を打った行ってるのが凄いとは思わないし、大変だとは思っていない。
ただ、友達と遊ぶ時間がもう少しほしいなとは思う。
月・水・金・土は、クラシックバレエ。火曜と金曜は塾。土曜は、習字とピアノ、日曜は、水泳。
唯一の休みは、木曜日だけだ。好きな曜日は何曜日かと聞かれたら、すかさず木曜日と答える。
バレエと水泳とピアノは保育園の頃から続けているし、習字も小学校2年生からしている。塾以外の習い事は、親が勝手に始めさせた。
それなのに、どれも長く続いてる。自分の唯一の長所だ。
でも、本当は辞めたいけれど、辞める勇気がないだけなんだ、、、。
(こんなに頑張ったのに。)
(もう少しやれば、もっといい結果がでるかもしれない。)
(今、辞めたらあとで後悔しそう)
とか考えて、自分に期待しすぎたり、過去に戻ることの出来ない怖さに怯えたり、自分がつくづく嫌になる。
辞めれるものなら、今すぐやめて毎日梨沙たちと遊びたい。
はあ。
ため息が出た。
「辞めたい」と、一度思ってしまうとそのループにハマってしまい、頭の中はそればかりになる。悩みに悩んだら最後、全てのやる気を吸い取られてしまうのだ。
友達のたった一言でこんなになって…。私は何やっているんだろう。
勢いよく頬をバチンと叩いた。 頬を叩く音とほうきの落ちる音が同時に廊下に響く。
ジリジリした頬の痛みで、目が回る。みんなが一斉に、私のほうを振り向いた。
梨沙は、驚きのあまり、まばたきを忘れてぼーとわた見ている。口だけが、魚みたいにぱくぱく動いていた。
「この前読んだ漫画でね、ほっぺた叩くシーンがあってやってみたかった の。やっぱ痛いや。」
慌てて弁解すると、梨沙は眉を高く上げた。梨沙のこの顔は、納得はしたけれど、呆れてるときに出る表情。
「もう〜。びっくりしたんだけど!」
私の肩を叩きながら笑う梨沙につられて、私も笑った。
丁度良く、掃除の終わるチャイムが鳴った。
今日は、これで下校だ。
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下校っといっても、教室を出て直ぐに、家に帰れるわけではない。
校区ごとに学年順で運動場に並んで、順番に下校できる。いくら早く並んでも他の学年がまだ並んでいないと、平気で15分くらい待たされる。
夏は暑いし、冬は寒い。毎日、地獄の修行を受けているみたいだ。
今日も15分以上待たされて、ようやく下校できた。
私の校区は、川と田んぼが広がっていて自然豊かだ。川で綺麗な石を集めたり、田んぼのあぜ道を通って近道したり。
大好きな帰り道を大好きなふたりと並んで歩くこの時間が大好きなんだ。
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