第8話 なじみと母親
帰宅したなじみは、そのまま母が帰ってくるのを待ちながら、今日のことを反芻していた。
朝からいきなり髪を染め、初めて化粧をして、綺麗な服をいろいろ着て、原宿を歩いた。
そして、甘楽の従姉に、芸能界に入れ、と口説かれる。
いままでの自分では想像もできなかったことが、次々に起こっている。
不思議で仕方なない。
母親がいつもの時間に帰って来たた。
なじみが出迎える。
「お帰り。お母さん。」
母親がなじみを見て固まった。
「…なじみなの?」
「ええ、そうよ。お母さん。」
「何がどうなってるのか、ちゃんと説明して頂戴!あなたにはチャラチャラしている時間なんて無いのよ! 誰にそそのかされてこんな格好してるのよ!」
「芸能プロダクションの人。私、芸能界にスカウトされたの。」
母親が、あまりのことに絶句する。
「お母さん、私、やってみたい。」
なじみが、こんな風に自分の意見を言うことは珍しい。
「ちゃんと、説明してちょうだい。」
そして親子の会話が続く。
結局、結論は保留になり、とにかくなじみを変身させたその芸能プロの女性に会いたい、ということになった。
母親は、なじみに化粧の落とし方を教えてくれた。
二日後、母親の休みの日、智香と甘楽がなじみの家を訪問した。
母親は、家を見せるのは恥ずかしいと抵抗したが、「こちらからお願いした話で、事務所に呼び出すのは筋が違う」と智香が主張したため、家に上げることにしたのだ。
その日までに、家の隅々までなじみが掃除している。
当日になり、智香と甘楽が手土産を持ってやってきた。
母親は、智香の若さに驚く、芸能プロのチーフディレクターという肩書なので、かなり年配の人間を想像していたのだ。
「はじめまして。芸能プロダクション、アムールの上新智香と申します。本日はお時間いただきありがとうございます。」
そう言って智香はにこりと笑う。敵対しようかと思っていた母親は、いきなり出鼻をくじかれた格好だ。
「ともかくお上がりください。」母親は智香と甘楽を中に入れる。
「改めまして、アムールの上新智香です。そしてこちらが私の従弟で、なじみさんの同級生の淀橋甘楽です。」
甘楽が頭を下げる。
「はじめまして。なじみさんの同級生の淀橋甘楽です。なじみさんにはお世話になっています。」
智香はビジネススーツで決めている。甘楽は少しフォーマルな感じで、チノパンにジャケットだ。髪型も決めてイケメンを押し出している。
母親は、この二人にすっかり気圧されてしまった。
智香が言切り出す。
「先日は、突然なじみさんを連れ出して、すみませんでした。でも、あの日、なじみさんの魅力をしっかり理解したつもりです。」
母親が聞く。
「なぜあんなことをされたんですか?なじみは学費免除のためにも、勉強しないといけないんですよ。あんなちゃらちゃらしている暇はないんです。」」
「単刀直入に申し上げます。なじみさんに、芸能界で活躍していただきたいのです。」
「なじみには無理でしょう。なぜ、うちの子なんですか?」
どうやらこの返答を予想していたようだ。智香がよどみなく話し始める。
「なじみさんには無理、ではありません。なじみさんでなければダメなんです。」
智香は言い切る。
「私は、この甘楽に、芸能界で活躍できそうな原石を紹介してほしい、とかねてから言っていました。でも、そんな人間はなかなかいないと思っていました。 そんな時、甘楽がなじみさんの話を出してくれたんです。
真面目で目立たないけど、外見の素材がすごく良くて、性格も飛び切り良い同級生がいると。
それで無理を言って、なじみさんに出てきてもらったんです。
髪を染め、化粧して着替えてもらい、写真を撮らせてもらいました。」
甘楽が、大判の封筒を差し出す。
「これはスタジオで甘楽が撮ったものです。ご覧になってください。」
流行の先端の服を着て、ばっちり化粧をして、笑顔でポーズをとるなじみの写真が10枚くらい出てきた。
母親も、思わず見入ってしまう。
「これが、なじみさんです。正直、私も驚きました。ここまでの逸材はなかなかいません。ぜひ、当社に所属して、芸能界デビューしていただきたいんです。」
「そんなことを言われても、なじみには学業があります。ちゃんと勉強して学費免除を撮らないといけないんです。」
「野島さん。」 智香が母親を苗字で呼ぶ。
「なぜ、勉強するのでしょうか?ただ学費免除のためだけに、これから高校、大学と勉強させ続けるのですか?」
「ご覧になればおわかりの通り、うちの家計では学費を払うのは大変です。それに、いい学校に行けばいい会社に入れるんです。私は、なじみに私みたいな苦労をさせたくないんです。」
なじみが何か言いたそうだが、黙っている。智香が続ける。
「お金の問題なのですか?それとも勉強させたいんですか?」
「両方です。学生の本分は勉強です。なじみにはしっかり勉強させたい。だから塾にも通わせているんです。」
「学生の本分は勉強、それを否定するつもりはもちろんありません。でも、それだけでしょうか?」
智香の問いに、母親はちょっとたじろぐ。
「まずは勉強でしょう。」
「勉強だけなら、学校に行かくても独学でできます。ホームスクールで、家から出ずに親御さんが教育している家庭だってあります。
でも、学校はそれだけじゃありません。集団生活、社会生活を営むことによって、友人を作り、人と交わって楽しい時間を過ごし、成長する。そういう役割もあるはずです。
失礼ながら、聞くところによると今のなじみさんは勉強だけです。部活にも入らず、すぐに帰宅する毎日。友人も正直あまりいないようです。
本当なら高校生活をもっと謳歌したい年ごろでしょう。友達とカラオケにも行きたいしおしゃれや買い物もしたい。趣味に没頭したり恋だってしたい。
それをさせてあげてもいいのではないでしょうか。」
(芸能界入りと話が少しずれているな)、甘楽は思う。
「でもいい大学に入れるには、勉強させるしかないんです。」
「良い大学に入ると、何がいいでんですか?」
「いい会社に入れば、生活が安定するじゃないですか。お金も入るし。」
「いい会社に入るのはお金の問題ですか? まず、有名会社に入ったら幸せでしょうか。決してそうとは限りません。
有名な一流企業には、一流の人材が揃っていてその中で競争を続けます。働き方改革とか言っていますが、現実は競走が厳しいです。
勉強だけして対人関係が不得意な人は、すぐに競走に負けます。
結局、肉体や精神を病んでしまう人も多いんですよ。
それに、たとえば30代のサラリーマンの平均年収は450万円くらいです。せいぜいその程度ですよ。1000万円を超える人は数少ないです。」
私、高卒でそのあと専門学校しか行ってません。27歳です。私の年収、いくらだとお思いですか?」
突然、智香が妙なことを聞く。つられたのか、母親が答える。
「400万円くらいですか?」
「いえ。1500万円です。」
母親が絶句する。なじみも驚愕している。
甘楽は、そんなものだろうと思っている。
「なぜ1500万円か。理由は簡単です。私は会社に3億円以上の利益をもたらしているらです。むしろ少ないくらいですよね? 実際、倍の給料で引き抜きの話があるくらいです。 いい大学を出ることだけがお金を得る方法ではありませんよ。」
「でもそれは、上新さんに才能や能力があったからでしょう?」
「その通りです。つまり、学歴と才能は必ずしも関係しません。本来、収入というのは、その人がどの大学を出たから決まるものではなく、その人がどんな仕事をして、その会社、あるいはその事業に貢献したか。それにかかっているんです。」
「…」
「誰でもできる仕事では、付加価値が低いから給料も低い。一方、その人にしかできない仕事には価値が高い。
私は、今の仕事に向いていると思っています。だから結果も出している。他の人に負けない能力がこの仕事で発揮できていると思います。
ところで、モデルってどれくらい稼ぐとお思いですか?」
「500万円くらいですか?」
「10万円から3億円くらいですね。」
幅が大きすぎる、と甘楽は思う。
「売れないモデルは、収入がありません。たまに声がかかっても、長時間拘束で5000円くらいのテレビ局の観客とかです。事務所から給料をもらうどころか、所属料だけでマイナスになったりします。
デパートの広告のモデルなんて一握り、雑誌の通販の下着モデルとかなんかでさえ取り合いになります。
底辺はこんな厳しい世界です。
でも。」
智香は一拍置く。
「雑誌の読モからタレントになった女優は、高校時代でも1000万円稼いだり、大学に籍をおきながらもタレント活動とかで年収4000万とかもいます。 パリコレのモデルは年収で200万ドル、3億円ですね。なじみさんにはそうなる可能性があると思っています。」
「え、まさか。」なじみが声を上げる。
なじみの母も反論する。
「あなたにしても、高収入のモデルにしても、適性や才能があるからですよね。
智香が微笑む。
「ええ。その通りです、。そして、その適性というのは、学歴とは関係ありません。
超大企業で競争して出世するには、学閥もあるし、いい大学を出ることはたぶん不可欠な条件です。でも十分条件ではない。
私は、なじみさんには適性、才能があると思っています。
あの写真を見て、素敵なモデルだと思いませんでしたか?」
母親は黙る。
「そう思ったのは、私だけではありません。実は、あの日、なじみさんは、月刊エイティーンとサンキャン、両方の雑誌からモデルにスカウトされました。」
「え、そんな…まさか。」
母が言う。
「いえ、本当の話です。たぶんなじみさんは、デビューしたら世間が放っておきません。
それくらいの逸材なんです。」
「…」
「実は、私は今度、アイドルユニットのプロジェクトを任されています。
なじみさんに、そのメンバーになって欲しいと考えています。」
「えーっ!」またなじみが驚く。聞いてないからだ。
「高校時代は、勉強が本分ですから、芸能活動は放課後と週末を前提にします。
もし学費免除が取れなければ、当社で学費を払いましょう。
当社に所属している限り、この高校からの内部進学の学費も保障しましょう。
いかがですか?」
なじみの母は、もう一杯一杯で、まともに返事も出来ないようだ。
なじみでさえ容量オーバーのようだ。
「今は18歳が成人です。高校を出たら、進路を決めるのは本人の自由であるべきですよ。それまでのことはお母さんが支援なさるのが当然ですが、それ以降はご本人に決めていただきましょう。 ところで」
智香が話題を変える。
「野島さんは、子供のころ、アイドルやタレントに憧れたことはありませんか?」
「小学生、中学生くらいまでは、ダイヤモンドレティ―が好きでしたけど…。」
少し息をつけそうだ。なじみの母が答える。
「ああ、そうなんですね! ダイヤモンドレティ―の『エイリアン』とか、流行りましたよね。」
「ええ、振付とか覚えて踊っていました。」
「お二人はうちの事務所の所属で、よくいらっしゃいますよ。マーさんもキーさんも気さくな人たちで、よくお話しますよ。
ちょっと待ってください。…ほら!」
智智香が差し出したスマホに表示されたのは、お揃いの帽子をかぶったダイヤモンドレティ―の二人に挟まれる智香の写真だった。
「これは去年の年末チャリティイベントの時の写真ですね。素敵な方たちです。なじみさんが事務所に来れば、顔を合わせる機会があるかもしれませんね。」」
智香はそう言ったあと、母親に向き直る。
「今日はご説明だけですので、どうするか、親子でお話し合いください。
あと、当方の条件を書いた契約書と、アイドルプロジェクトの申込書を置いておきます。
こちらもご参考にしてください。
不明な点はいつでも連絡ください。電話に出ないときは、留守番電話でもいいですし、メールでも構いません。
なじみさんは、甘楽経由でもいいですよ。では、本日は失礼します。」」
そう言って、智香と甘楽は去る。
二人が去ったあと、なじみがつぶやいた。
「すごい話だったね。」
「そうね。なじみも驚いてたみたいだけど、聞いてなかったの?」
「芸能界に入れとは言われたけど、それ以上は何も。あ、雑誌の人に声を掛けられたのは本当よ。別に何も決まったわけじゃないけど。」
母はしばらく考えたあと、なじみに問う。
「あなたはやりたいの?」
なじみはちょっと考えてから答える。
「あまり目立つのは好きじゃなかったし、学校で目立ちたくはない。でも、こういう仕事はやってみたい。挑戦してみたいの。それに…」
「何?言ってごらんなさい。」
「家計の助けにもなるし、綺麗な服も着られるもの。」
「なじみ、後半が本音でしょ!」母親が笑いながら言う。
「ばれたか!」なじみが舌を出し、二人で笑う。
二人の話し合いは和やかなもにになり、ずっと続いた。
そのうちに封筒の契約書を取り出し、いろいろ見ながら話をする。
「凄いわね。本当に学費のことも書いてある。上新さんも本気なのね。」」
母親が、感心しながら言ったあと、なじみに聞く。
「ところでなじみ、あの淀橋さんという男の子、結構なイケメンだけど、仲良しなの?」
母親が聞いてくる。
「え、えーと。ちょっと前から少し話すようになったくらいかな。この前、理由を言わずに呼び出されたから、すごくびっくりしたの。」
「彼氏とかじゃないの?」
「残念ながら違うよ。学校では目だたないけど、外では全然雰囲気違う人。」
「あなたもこれからそうするのよ、きっと。」
「そうね。」そう言ってなじみは微笑む。
数日後、なじみは契約書に捺印し、母の同意も取ったうえで、芸能事務所アムールに所属することになった。
ちなみに、アイドルプロジェクトの申込書の写真は、甘楽が撮ったものを使うことになった。
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こんにちは、お急ぎですか。
別に急いでいませんよ~ (元ネタは?)
作者です。
母親の考えはどう思われますか?
別に毒親ではなくて、娘のことを思って言っていることではあるのです。
なじみもそれがわかっているし、感謝もしているので、いままでは自分を殺して従っていたということですね。
お楽しみいただければ幸いです。
ハート、★、感想いただければ幸いです。
特に★があると作者は喜びますので、まだの方はお気軽にお願いします。
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