絶対に斬れない刀

 父が絶対に斬れない刀という物を買って来た。

 この世に二つと無い名刀との事だが、斬れない刀に何の意味があるというのだろうか。

 意味が解らずに首を捻る私と母の前で、不格好に刀を振って満足そうに笑った。

「これで大丈夫」

 何も無い空間を斬って何がしたかったのか、そもそも斬れない刀なら何も斬れないだろう。私の代わりに母が「何をやっているの?」と尋ねると、父は刀を鞘に納めながら言った。

「この刀で縁を斬ってみた」

 絶対に斬れない刀で縁が切れるはずがないので、今切られようとした縁はずっと切れないで存在し続けなければならない! と、狂った数学者のような論法でそう言い放った父は仕事のし過ぎで頭がおかしくなったのかと思った。

「そんな事しなくても縁が切れるわけないでしょ」と母は呆れたように笑った。

 思えばその頃から父は自分の死を悟っていたのかもしれない。

 父は半年後に胃癌で急転直下、天国へと旅立った。あまりの事に呆然として、涙すら出なかった。豪快で少し馬鹿な父が居なくなった家は、どんなに部屋を明るくしてもどんより暗かった。

 父の遺品を整理している時に、件の斬れない刀が出て来た。

 鞘から取り出して、その刀に触れてみる。

 驚くほど簡単に、指先が切れて血が出て来た。

「斬れるじゃん」

 そう呟いた途端、何だか笑いが込み上げて来て、同時に視界が揺れた。

 ああ、馬鹿だなぁ、本当に。

 馬鹿で不器用で、それでも私たちを愛してくれた父。

 世の中に絶対は無いが、これだけはわかる。

 どんな名刀でも、どんな事が起こっても、死すら、父との縁が切れる理由にはならないだろう。

 線香の匂いが、目に痛かった。

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