第四十二話

 ハリエッタの本気の叫びが聴こえる。


「あれは、人の死を、いえ、それより恐ろしいものをもたらす悪魔です!」


 慌てるミクトーランは躊躇なく瓶の蓋を開けると落ち着きを取り戻したように見えた。


「うははは、やはり見えているな? めしいた妾よ、お前の目は後で調べ尽くしてやる」

「サーガ様!」


 何かは分からない。しかし切羽詰まった状況らしい。すると、『ここは本人の口から話してもらうしかないよ』と聴こえた気がした。


(アマリア様……よし!)


「ひ……ひぃ。そ、その不審な液体は何なのですか?」


 か弱い町娘風に演劇口調で尋ねるとあからさまに嬉しそうな顔をするミクトーラン。


「ほほう、この恐怖が分かるか? 私は、高濃度のの液状化に成功したのだよ!」


 自慢げに語る仇敵。これはイラッとする。とはいえ情報を入手せねば。小首を傾げて町娘を続ける。


「ま……まそ? とは何なんでしょうか?」

「全く……脳が足らんからそんなことも分からんのだ」


 カチンとくるが時間は稼げているので良しとしよう。こうなったら頭の足りていない女のフリを続けることとする。


「み、ミクトーラン様……そ、それはどんな素晴らしいモノなのでしょうか……って、えっ?」


 両手を胸の前で祈るように組んでなるべく可愛い声を出す。思いっきりへつらったつもりだったが、逆に一瞬不審そうな顔に変わった。気付くと左手に持っていたナイフが右手首に思いっきり刺さっていた。


(しまった。痛みに強くなり過ぎ……というか鈍感になってしまった?)


 そっとナイフを抜くと思ったより深く傷つけてしまったようで、脈動に合わせて血が噴き出てきた。しかし、刹那に思い出したのはアマリア様が背中から血液をハリネズミのように操った姿だった。


「そんな手管てくだがありましたね。アマリア様……あれ?」


 アマリア様の最期の姿に想いを馳せる数秒。完全にミクトーランには怪しまれていた。仕方ないので町娘作戦はやめとする。


「ミクトーラン、何のつもりだ?」


 右手からは盛大に出血が続いている。そして瞳からは涙、これは痛みで泣いているわけではない。もう二度と戻ることはない途轍もなく大事な存在を永遠に失ったことを突然思い知らされたからだ。


「言え! 今度は誰を不幸にするつもりだ」


 故に隠し切れない憎しみが私の顔からミクトーランに向けられていたのだろう。こちらの心の移ろいを理解していると言わんばかりにニヤニヤと下衆な笑いを浮かべていた。


「小娘、この魔素が何か教えてやろう。今から起きることを知っていた方が興に乗ずるというものだ」

「……」


 真意が読めない。返事をどうするか手をこまねいているとミクトーランの方から焦って説明を始めた。あたかも仕掛けた悪戯をバラしたくて仕方がない悪ガキのようだ。


「これは私が生み出した赤熱死病の素なのだよ」

「せき……赤熱死病! 貴様……えっ? 生み出した……だと?」


 言葉を失っていると、すぐ横にアマリア様を感じた。横を見ればお姿を拝見できるのでは、という濃密な気配。

 そして、その気配からは激しい怒りを感じる。


「そうだ。感染者の呼気に含まれる魔素をほんの少しでも吸い込めば病は拡がっていく。あはは、だがな。これはその原液となるものだ。皮膚に一滴でも付けば最早手の打ちようがない。魔導薬を使う間もなくゾンビ化するだろう」

「ゾンビ……?」


 強がっている訳が分かった。私とミクトーランの間には聖教騎士が一人。ミクトーランはお父様とお母様の目の前にいる。迂闊に動いて小瓶の液体をかけられれば負けということなのだろう。


「だから、もう諦めるが良い。騎士よ、小娘を抑えろ!」

「御意」


(考える暇はくれないか!)


 小瓶を持ってお父様とお母様の方を向いている。ミカトーランはまず二人をターゲットにしていた。


「では公王夫妻、お別れです。いや、死してから永遠に私の為に尽くすことを許す。うはは」

「な、何だと!」


 狼狽えているお父様の叫びとミクトーランの苛立つ笑い声。聖教騎士は真正面から私を抑えようとこちらに向かって駆け出している。ミクトーランから小瓶を奪いこの場を切り抜ける方法を思いつかない。後悔に苛まれ絶望を感じる一瞬。もう崩れ落ちて泣き出したくなる。

 その時、刹那にアマリア様の声が聴こえた気がした。


『大丈夫。あなたは魔導の天才よ』


 最も尊敬する人からの言葉。それと共に背後からそっと右腕に手を添えられた気がした。


「はい。魔導でどうにかします!」


 自らの手首から噴き出る血液。これを鞭のようにイメージして腕を振るうと思った通りの軌道を描くことができた。その真紅の鞭に『燃えろ』と指示してから聖教騎士を薙ぎ払う。紅蓮の鞭は燃えながら騎士を鎧ごと袈裟に切り裂いた。

 崩れ落ちる騎士の身体越しにミクトーランが見える。既に小瓶を振り翳していた。


「うはは、死ねーー!」


 小瓶から放たれた赤い液体が空中を舞っている。刹那に自らの血液でできた鞭を降りかかる赤い液体とお父様、お母様の間に滑り込ませた。


「私ならできる。だって――」


 血液の鞭で螺旋を描く。自らの回転する力で螺旋が大きく拡がる。瞬時に螺旋の中心から外側に向けて無数に糸を張ると蜘蛛の巣状の形が出来上がった。


「――アマリア様が一緒に戦ってくれるのだから!」


 網目の隙間を埋めるよう、膜を張れと自らの血液に指示を飛ばす。血液の鞭は瞬時に布状の形を作ると降りかかる赤い液体を一滴残らず受け止めた。

 布状に形作られた私の血液に触れた液体は瞬時に蒸発していく。


「間に合った……」


『良くできました』


 柔らかな感触が頭の上にある。それだけで涙が出るほど嬉しくなる。でも油断はダメ。布を纏めてまた鞭状に形作るとミクトーランの右手を拘束する。


「サーガ……お前が助けてくれたのか?」


 辛うじてお父様が呟いた。お母様は目を見開いて驚いていらっしゃる。


(もう大丈夫ですよ。不出来な娘でもあなたを護ることくらいできます)


 視線が合うと見つめ合うのは刹那の間だけ。すぐに下を向いてしまわれた。それでも良いと今は思える。先程のやり取りでも相反していようが、何か親子の絆は感じられた。


(はい。サーガはそれだけで満足です)


 こくんと一度だけ頷くとお父様が息を吐きながら剣を構え直した。お父様とお母様には一滴たりとも掛からなかった自信がある。フンと鼻息荒くミクトーランを睨みつけた。


「ははは、自らの血液を媒体に護るか。全く下賎な技――」

「――うるさい。お前は黙れ」


 赤い鞭を二つに分けて片方をミクトーランの顔に巻き付けて口を塞ぐ。すると顔と右手から溶け出し死臭を撒き散らし始めた。


「全く……悪いことしたらまず『ごめんなさい』でしょ?」


 呆れたように嫌味を言うと溶け出しつつある顔に不満の色が見てとれたので少しだけ溜飲を下げることができた。それ以上は語ることもないので鞭を引き絞ると右手と顔が細切れになり床に落ちるまでには燃え尽くされていった。


「じゃあ、そろそろこの世から消えなさい」


 ミクトーランだった身体へ思う存分に鞭を振るう。身体全てがバラバラに燃え尽くされるのに大した時間はかからなかった。

 ふと風を感じた。精霊の声が聴こえる気がする。


「そうだ……アマリア様にお礼……あれ? もういらっしゃらないの?」


 アマリア様の気配を探っていると弱々しい声が聞こえてきた。


「次は……私が地獄に堕ちる番か……」

「ベルナールか。忘れていた」


 近くまで寄ると回復の魔導をかけてあげる。すると何故か焦っている。


「いやこのままで良いんだ! このまま……このまま死なせてくれ……」


 分からんでもない。騙されたとはいえ自らの手で娘を処刑台に乗せたのだ。

 しかし懇願を無視して回復の力を強めた。


「ダメだ。お前はまだ簡単に死なせない」

「何故だ? 自分と同じ痛みを味合わせたいのか?」


 出血が止まったのを確認すると立ち上がってから両手を組んで鼻息をフンと鳴らす。


「そんな小さなことでお前の罪は償えん。既に処罰は考えてある。心して聞け」


 呆然とこちらを見上げるベルナールを無視して偉ぶることにした。


「被告、尋問官ベルナール。被告は無実の人々に濡れ衣を着せて不当な罪を被せることで死に追いやっている。情状酌量の余地はあるが罪は罪だ。処罰を言い渡す」

「分かっている。だから死を――」


 そんな手緩いことで許す訳ないでしょ。


「――無実だった者の遺族全員一人一人に謝罪をしろ。何年掛かっても良い。全員にお前の謝意を認めさせろ」

「……そ、そんなこと……出来るわけがない」

「それがお前の罪を償う唯一の方法だ」


 驚き震える顔が見える。それはそうだろう。愛する身内を死に追いやった者など殺しても飽き足らない。つい先程、自らに死を与えたいと思えるほどに。

 でもね、私は思ったより貧乏くさいの。だから才能や能力を無駄遣いしないのよ。


「まだあるぞ。謝罪を終えたら……いや生温いな。同時にこの国の刑罰を、法律を整えよ」

「な……何故俺が――」

「――決まっている。一番適任だからだ。間違いだらけの法の執行者よ。お前がこの国の法律の過ちを全て正せ」


 だから、あなたはこの国の法律を世界で一番良いものにしなくてはならない。例え、あなたの人生全てを費やしても時間が足らない分量だとしても。

 そうよ。あなたは絶対にやり遂げなければいけない。タリアちゃんの為にもね。


「それが俺の償い……なのか」

「んふふ。知らないわ。全て終わったら勝手に死ぬことを認めます。それまでは絶対に死ぬことを許さない」

「私は……」


 床で倒れたまま泣きじゃくるベルナール。気分が良いからもう少し演説しちゃおっと。


「美しい我が祖国に似合う美しい法律を完璧なものにする迄は……あれっ?」


 あらら……視界が狭くて鼠色よ。耳鳴りもするわ。私知ってる。もうすぐ気絶するの…………って。


「ん?」


 視界が戻るとお母様が私を抱き止めている。本当に久しぶりで幼い時を思い出すわ。まだ自らの魔力が氷属性でないと知らなかった時。それは希望に満ち溢れた世界……。


「……素敵な夢……お母様の腕の中なんて……って、あれ? あれ、あれ? もしかして現実……? えっ嘘で――」

「――そこの女中!」

「は、はい!」


 薄れゆく視界の中でハリエッタの背筋が伸びたのが辛うじて見える。


「お湯と清潔な布を持ってきなさい! あなた、ボサっとしてる場合ですか? 早く騎士でも呼んできなさい!」

「はいっ!」「お、おうっ!」


 お父様と私のハリエッタを顎で使うお母様、素敵です。すぐさまハリエッタが炊事場へ駆け出し、お父様も扉を勢いよく開けて飛び出していく。夢現でそんな姿を眺めていた。

 お母様が私を抱き止めて必死な顔で魔力を通して右腕を癒してくれている。懐かしさと心地良さにうっとりしてしまう。


「……あぁ、本当に面倒ばかり掛けて……ドレスも汚してしまって……すみません……」


 心地良いお母様の魔力を右腕に感じながら疲れと出血で徐々に意識が遠のいていく。


「怪我をした娘の血が服についた位で騒ぐ母親がいますか? んふふ、やっぱり面倒が掛かるあなたが一番可愛いわね」

「……えっ?」


 何やら聞き捨てならないセリフが聴こえた気がする。意味を必死で考える。


「お母様……お母様は私のことを疎んじていたのでは――」

「――王妃様、お持ちしました。お湯はもう少しお待ちください」


 大事な問いかけの答えを遮るように走り込んできたハリエッタの両手には、何処からかき集めたのか真っ白なタオルが山ほど抱えられていた。


「貴女、役に立つわね。サーガの専属女中になりなさい」

「えっ? あっ、はい!」


 ニコリと私たちに微笑みかけるとパタパタと走り去るハリエッタ。


「勝手に色々……決め……」


 この辺りで私は完全に意識を失った。

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