第三十一話
◇◇◇
とはいえ治療は遅々として進まなかった。二人とも魔力を有していたので互いに患部へ魔力を流していたが、何も変化は起きなかった。
「今日で二週間経ちましたけど……」
「変わんないわね〜」
パラパラと図鑑を捲って頭部の輪切りを眺める。
「左目は傷が完全に塞がってるし……」
ハリエッタの左目の瞼を指で開けてみる。近くで見ると良く分かる。そこには目のような模様のついた肉塊が見えていた。
「左目はコレを作り替えなきゃいけないのよね……」
今度は右目の瞼を指で開けて覗き込む。ハリエッタが少しだけ身を竦める。少しだけ見える分、恐怖を感じるのだろう。
「大丈夫。痛いことしないわ」
「はい……」
やはり瞳の真ん中だけが白く濁っているように見える。
(この濁りを取るのをイメージしているけど……)
白く濁ったものが何か分からない。分からなければイメージもできない。
「高熱が出てから見えなくなったんだっけ?」
「はい。小さい時に。記憶はないんですが母からはそう聞きました」
ふと卵の白身がフライパンの中で白く固まるのを想像した。何も言わずに掌を右目に当てる。目を瞑って卵の白身を生に戻すのをイメージしながら魔力を流す。
「透明に……透明に……」
瞳の中には透明な宝石のようなものが有る、と図鑑に書いてあった。今迄はその宝石から濁りを取り除くことをイメージしていたが、高熱で茹でられて白く変異したと仮定してみた。
(ならば火傷と同じか?)
焼けてしまった組織を取り除いて周りの組織の成長を促す。そんなイメージだけを念じながら魔力を流す。
「あぁっ!」
ハリエッタが小さく悲鳴を上げた。そこで初めて『やり過ぎたかも』と気付いた。壊してしまったら元も子もない。ほんの少しの視力さえ失われてしまったら、それは取り返しがつかない。
「大丈夫?」
「……うぐっ……瞳の中から何かを引き抜かれたような感じがしたの……」
さっと血の気が引く。ハリエッタの瞳を壊してしまった? 私……やり過ぎたの?
「ねぇ、見える? 今までのように光は見えるの?」
両肩を抱いてハリエッタに訴えかけるが、まだ両手で右目を押さえていた。落ち着いたのか、そっと手を下ろした。右目は閉じられていた。
「ハリエッタ……」
「開けます」
「っ! う、うん」
ゆっくりと瞼を開けていくと、中の瞳は白い濁りが無くなって綺麗になっているように思えた。
(お願い……前と同じくらいは見えていて……お願い)
じっとハリエッタの顔を見つめる。すると、何故かキョトンとして何も話さずこちらの顔をじっと見ていた。
「サーガ様……」
「はひぃ!」
変な声が出た。気にせずハリエッタの顔をじっと見ていると、瞳がみるみる潤んできた。そのまま大粒の涙が零れ落ち始めた。
「サーガ様は……想像通りに綺麗なお顔をされておりますのね」
「えっ……あっ! ハリエッタ!」
その瞬間、ハリエッタは私の顔を両手で掴むと距離を調整し始めた。キスでもしそうなほどに近づくと、ニッコリと微笑んでくれた。
「この距離が一番よく見えますね。遠くだとぼやけてしまってダメね」
ここで私の涙腺が崩壊した。ハリエッタの視力を完全に失わせたかも、そう思った。それは絶望に等しかった。でも、上手くいった。私の四肢が動き出すことなんかより本当に嬉しい。
その歓喜が涙として零れ落ちていく。
「サーガ様が泣くことないのに……」
ハリエッタも安心したのか、また涙を流していた。二人とも落ち着いたところで、どのくらい視力が戻ったか試していたが、すぐにハリエッタの体調が悪くなってしまった。
「ものすごく目が疲れたわ。こんなの初めてよ。痛くなるほど疲れるなんて。だから、少し休ませてくださいね」
「大丈夫なの?」
心配だったので迷惑とは思ったが寝室までいつもの抱きつく姿勢で連れて行ってもらった。途中でふらふらに疲れたハリエッタになんという仕打ちをしているのかと自分の選択を呆れたが、もう遅い。ベッド脇の椅子に腰掛けさせてもらった。
ハリエッタがベッドに寝転ぶのを眺めていると、私を放っておいてものの数秒で眠りの世界に入っていった。
「よっぽど疲れていたのね……って」
ここでハリエッタがいないと寝室から出ることもできないと気づいた。仕方ないのでハリエッタの横に寝転がることにする。そっと転がったつもりだったが、結構な勢いでベッドに倒れ込んだ。しかし、ハリエッタは目を覚まさなかった。
「良かった……」
起こすのは可哀想。寝返りをうっているが起きる気配はない。
「本当に良かった……」
安らかに眠るハリエッタの後頭部を見ていると安堵の涙が流れる。暫くすると、いつの間にか私も眠りに落ちてしまっていた。
◇◇
薄っすらと光を感じ、影で物のシルエットを知ることしかできなかった瞳だが、今はぼんやりとだがカラフルな肖像を写すことができるようになったらしい。窓から見える森や湖の色とりどりな景色をじっと見ていることが増えたハリエッタ。数日は部屋の中や窓からの風景を飽きずに眺めていたが、ここ最近は様子が変だった。
「サーガ様、私の魔力が少ないばかりに……」
妙に私に謝ってばかり。
「そんなこと気にしないで。まだ諦めたわけじゃないから」
「でも……申し訳ありません」
「ハリエッタ……」
ハリエッタに起きた劇的な成果は私の魔力の才能が原因で、逆に私の症状が全く良くならないのはハリエッタの魔力が少ないから、と嘆いてばかりだ。
(この空気感はキライ)
雰囲気を変えるためにフンと鼻息荒く睨みつける。ハリエッタは今まで目が見えなかった割には人の感情の機微に敏感なところも多分にあった。今は表情も見えてしまうので過敏に反応してしまうきらいがある。
「そこまで言うなら図鑑をもっと観察して神経を繋ぐイメージをもっともっと詳しく頭に思い浮かべてくれれば良いんじゃない?」
「はい……」
不満そうなハリエッタ。グロテスクなスケッチはどうにも苦手なようで殆ど見えていない時から目を背けていた。初めてまじまじと解剖図を見た時は椅子から転げ落ちて怯えていた。
「とはいえね……苦手は苦手。どうしようもないわね」
「はい、本当に……すみません……」
微笑みながら伝えるが、余計に悄気るだけだった。
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