第十九話
◇◇◇ 教育開始から二十一日目
朝が待ち遠し過ぎた。一睡もできなかった、と言えば嘘になるが痛みでずっと
カチリと音を立てて長針が一番上に登り切ると、測っていたように扉が開いた。
「回復魔導の時間だ」
教師ヅラがムカつくベルナールと真っ白な出立が更にムカつく聖教騎士団の面々が入ってきた。
「これより聖教律第三条に則り痛み止めの術式を開始する」
無表情に術式の準備をする三人の騎士達。変なことを決して口走らないように口を引き締める。その瞬間、快楽に似た力の流れが全身を這い回る。そして痛みが一瞬で消えていく。
「んあぁー……」
悦楽に似た声が自らの口から発せられる。慌てて口を手で塞ぎたくなるが、まだ術式の途中なので手を動かせない。顔を赤くしてじっと耐えるしかない。
「……あぁん!」
魔力の潮流が変わり両足の痛みが夢見心地の快楽に変わっていく。スラム街では骨をも溶かす毒薬を混ぜた魔導麻薬が流行ったことがある。あまりの流行に騎士団・黒鎧も販売組織の壊滅に協力したとか。
破壊された身体の痛みを無くすことは耐え難い快楽なのだろうか。
(だから……少し……怪しい声が漏れても仕方ありませんわ!)
「んあんっ!」
しかしベッドに横たわるうら若き乙女から漏れる熱い吐息。それを冷静に聴く四人の男。
この状況にはどうしたって顔は真っ赤になってしまう。
(公女の私にとってはこの時間が一番の屈辱よ!)
「どうする。少し時間を空けようか?」
「いえ……大丈夫です。すぐに授業を始めてください」
回復魔導の威力は絶大。既に痛みは感じない。聖教騎士達は既に部屋から出ていった。そっとベッドから起き上がると黒板の前に椅子と机を一つだけ並べる。並べた椅子に座ってからそっと折られた箇所を確認する。軽くなら動かしても鈍痛すら無い。
(もっとも自分で折るのは御免なの。そりゃあ動きは慎重になるってものよ)
深呼吸を数回してからいつもよりお淑やかにベルナールの方に視線を向けた。
「では先生、お願いします」
「うむ。残るは聖教律の纏めだけだな。ふふ、喜べ。今日で聖教律の講義は終了となる。明日からは別の法を学べるぞ!」
「うへぇ……」
これで国家の法という巨大な体型の小さな枝葉の一つを学ぶことができた。それにしても……この枝葉が問題なのだ。
「先生。何故……何故こんなに異質なんですか?」
「主語が無いが――」
「――聖教律に決まってます!」
食い気味に言葉を被せる。
そうだ、学べば学ぶほど異常さが際立つ。この国の法律『アイスバーグ共和国憲法』は体系だけでも学べば自ずと理解できる。全てが性善説に基づいている優しさの塊みたいな法律なのだ。流石は『世界で残すべき綺麗なもの百選』に世界中の法規の中で唯一選ばれただけのことはある。
そして、言い換えると、聖教律だけが徹底して『疑わしきは罰
「どう考えても合理性も必然性も無い。人の心を無くした学者が面白半分に作った――」
「――法律には敬意を持て」
いつもの回答。プンスカしながらベルナールの顔を睨むと、横を向いて苦しそうな表情をしている。
(あら? お腹痛いのかな?)
少し黙っていると、表情を変えずに独白し始めた。
「聖教律は……この聖教律は絶対悪の存在から国家を護る為に存在する。決して誤りは無い……そうだ、あってはならない!」
「えっ?」
突然に声を荒げるベルナール。苦悶……というより憎悪と言って良い感情が滲み出ている。
「間違っている筈がない……いや、間違っていてはいけないのだ!」
「何故……」
ふと思いついた。ベルナールは法律に従っているのではない。あたかも法律に
「間違っては……間違っては――」
「――間違ってるわよ」
声を上げた瞬間、獣のような顔でこちらを睨んでいる。それをただ睨み返す。
「り、理由を言え! 間違っているなど、この聖教律が間違っているなどと――」
「――私を被疑者として尋問をしている。それが証拠だ」
食い気味に返答すると、安心したように笑い出した。
「あはは、被疑者が犯行を認めないのは世の常だ。それが何故証拠に――」
「――何度でも言おう。『私』を被疑者にしたからだ。この国の王位継承権を持つ公女が他国の騎士団長に護られた。この事実を否定して、私が操られているだと?」
感情が昂る。あの時のことを思い出すだけで涙が溢れそうになる。それを我慢する為、思いっきり睨みつけてやる。すると、私の迫力に負けているのか、少しだけ狼狽えていた。
「しかし……相手は悪の権化ミクトーランだ。慎重に慎重を重ね――」
「アマリア様をバカにするな!」
勢い良く立ち上がると椅子が後ろに倒れた。ベルナールは数歩後退りしたが、構わず突っかかる。そのまま右手で胸ぐらを掴んだ。
「アマリア様はミクトーランを私に一歩も近づけなかった。スケルトンを
右腕に力を込める度に激痛が走る。しかし、怒りが私に痛みを感じさせない。
「しかし……それすら幻想――」
「――だから甘く見るな! アマリア様を甘く見るな! あの方は、魔導を封じられた結界の中で、自らの体内の魔力だけを使って敵を討ち滅ぼしたんだ」
「そ……そんな話は……誰からも聞いて――」
「――誰にも聞かれていないからな!」
そうだ。この国の誰にも聞かれていない。ナイアルスの騎士達からは詳しく状況を聞かれたのに、黒鎧すら何も聞かずに私を自国まで送り届けただけだった。
(しかし、聖教律に書かれているからって……)
『被疑者は迅速に隔離し帰国させる。他の誰にも会わせずに、速やかに尋問を開始する』
黒鎧達は法律を守っただけだ。
「その結果がコレだ。無実の少女の両手足を折るだと? 正気の沙汰でこんなこと――」
「――正気だった! 私は正気だった……間違いない。法律は正しい。だから……だから私はタリアの腕を折った……」
ベルナールの目から生気が消えている。タリア……奥さん?
「誰よ、その……タリアって?」
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