第二章 悲しみしかありません

第八話

「何……アレ……魔獣?」


 一瞬で血の気が引き身体が震える。魔獣一匹でも騎士一人で敵うかどうか。それが地平線を埋め尽くすように無数に走ってくるように見えた。


「あぁ……い、いやだ!」


 この世界、魔獣に会えばどうなるかは子供でもしっかりと教えられている。だからこそ、不用意に森には近づかないようにキツく言われている。

 生まれて初めて死を明確に意識した。真の後悔に苛まれ、そして絶望という感情を初めて理解した。


(もう、死を免れることはできない)


「いやっ! いやよっ! 死ぬのは嫌! 助けてっ!」


 泣き叫びながらマリアの腕を引っ張ることしかできない。もう最期なら優しく抱き締めてほしい。

 しかし、こちらを見もせずにじっと魔獣の群れを見つめている。


「二百から三百か? ふん! 恐らく魔獣の集落で病が出たか……」


 その時、私が必死に握る腕を振り解いた。呆然と見つめる私。


「では、やる事は同じか」


 マリアの表情に大した変化は無かった。読み取れたのは、強いていえば『面倒臭い』だけだった。


「サーガちゃん……もう引っ張らないでね」


 冷たく言い放たれる。


「えっ……」


 思わず驚きで動きが止まる。

 そして、絶望したまま『何故この騎士マリアは最期を迎えようとしている私に優しくないのか』と怒りの感情だけが湧いた。


「な、何をっ……」

「でも、死にたくなければ絶対に離れないで。そして……はぁ、めんどーい。私の邪魔だけは絶対にしないでね」


 ほんの少しの優しさを声色に混ぜて、それでも面倒臭そうな素振りを隠そうともしないマリア。


「えっ……?」


 気怠そうに魔獣の群れの方を見つめている。そこには恐怖は感じられなかった。


「仕方ない……やるか。さぁ、『妖精ちゃん』力を貸してね」

「よ、ようせい?」

「ふふ、私のセリフは秘密よー」


 踊るようにくるくると回り始めるマリア。

 それは、恋人を想いながら舞い踊る少女のよう。

 スカートの裾がひるがえり花びらが舞い上がる。

 それは、あたかも教会で祈りを捧げる乙女のよう。

 無造作に縛ってあった髪は解け螺旋を描く。

 長い髪が作る螺旋は陽の光を浴びて黄金色こがねいろに輝いている。


 その輝きは私の瞳の中に虹のような影を作る。

 正しく絵本の中の住人が飛び出てきたようだったが、その光景は記憶の中の大切な思い出とぴったりと重なった。


(アメリア姫……えっ……えっ? アマリア様?)


 突然に『小難しい生意気な名前も知らなかった騎士マリア』は『憧れの騎士アマリア様』に変異した。私の中に巣食っていた恐怖や絶望は『閃光騎士団』の象徴の顕現によりあっさり消えてしまった。


「妖精ちゃん、妖精ちゃん、私達にサラダボウルを被せなさい」


 その瞬間、二人の周りに透明な半球が作られ始めた。



――これはアマリア独自の魔導発動方法でアマリア自身は『妖精ちゃんとのお話』と呼んでいた。精霊を『妖精ちゃん』と、ある意味名前を付けて制御することで、何故か通常の精霊使役より圧倒的な威力を引き出すことができた。しかしながら、この方法での精霊使役はアマリアしかできなかった。

 アマリアも未来のリアやサーガと同様に『魔導の天才』と呼ばれた一人だった



 半球が二人を包み込んだ瞬間、無数の魔獣が唸り声を上げながら襲いかかってきた。


「きゃーーっ!」


 しかし爪や牙を立てて唸り声を上げ魔獣が二人に襲いかかるが透明な半球には傷一つ付くことは無かった。


「大丈夫よ。魔獣なんかじゃ絶対に壊れないから」

「……凄い……」


 引っ掻く音すら聞こえてこない。無数の魔獣に取り囲まれている状況には気が狂いそうになるほどの恐怖が襲ってくるが、横を見るとマリア……いや、アマリアは胡座をかいて座ってしまった。

 横に並んでしゃがむことにする。


「あの……アマリア様……なんですか?」

「んふふ、バレちゃった」


 頭の中がパニックになってペタンと座り込んでしまうと、そっと頭を撫でてくれた。


「良い子。少し静かにしていてね」

「は、はい!」


 言われた通り静かに横で見ていると、まず大きな半透明の球体を魔力で作っていた。それから中庭で作っていたような爆発する小さな球を作っては押し込んでいる。


「あと三百個は欲しいな……少し待ってね」

「はい……」


 ふとアマリアの背後に目をやると、魔獣達と目が合ってしまった。一瞬の沈黙の後、牙や爪を立ててこちらを食い殺そうと暴れ始めた。見ているだけで震えてくる。この半球サラダボウルが壊れた時が自分の命の尽きる時だということだけは理解できた。

 今度はアマリアに視線を向けると少しだけ慌て始めた。


「もう少し待ってねー」

「あっ、はい」


 火炎を右掌から出すと物凄い圧力で固めて小さな球状にする。それを左腕で抱える球体に放り込む。それを繰り返す様をじっと眺めていた。



「ふぅ、終わったわ。さて……」


 半透明な球体を両手で持ってニコニコのアマリア。持っている物体に目をやると、尋常ではない魔力量に見ているだけで不安になる。


(暴発したら私たち二人、間違いなくバラバラよ)


 徐に立ち上がると、それを頭の上に持ち上げた。


「えいっ!」


 ポンっという音と共に球体はサラダボウルのてっぺんから上空高くに飛び上がっていった。呆然と見る私にウインクを決めるアマリア。


「もうすぐ帰れるからね」

「はい?」


 お尻の土埃を両手で払ってからリラックスした表情で両手を伸ばして伸びをしている。


「んー……ほら」


 その瞬間、ポンっと何かが弾ける音が上空でした。その音に見上げると、キラキラした何かが無数に降ってきた。


(あっ、さっき沢山作っていた小さな球……)


 辺り一面にたむろする無数の魔獣達に降り注ぐと、地上や魔獣に当たるや否や爆発し始めた。容赦無く魔獣を吹き飛ばしていく魔力の爆発。数秒続いた爆発が、全ての魔獣を跡形も無くバラバラにしていた。


「はい、終わりよ」


 サラダボウルを右手で数回ノックするように叩くと、瞬時に細かなヒビが入り、その直後に砕け散っていった。

 魔獣の死骸からはムッとした獣の匂いと、それが焼け焦げた不快な香りが辺りに立ち込めている。思わず鼻と口を手で押さえた。


「さーて、リリーは何処に行っちゃったかなぁ……あの子、逃げ足は早いから無事だと思うけど……」


 いつもの呑気な感じでキョロキョロしながら辺りを見回すアマリア。それをじっと見詰めることしかできなかった。

 突然の死の恐怖からの脱出。そっと目を瞑り、胸に手をやってから安堵の溜息を吐く。それくらいでは胸の動悸は治まりそうにない。それにしても閃光騎士団の筆頭騎士アマリアの凄まじさ。魔獣数百体を一度に倒せる騎士など聞いたことがない。


(これはお父様に言って正式にお礼しないといけないわ。サーガ、これは貴女に与えられた使命よ!)


 そんな決意を胸にもう一度アマリアに視線を向ける。

 すると、いつの間にか見たこともないくらい厳しい表情に変わっていた。


「しまった……」

「えっ?」


 その瞬間、視界の中に修道士の格好をした男が現れていた。


「これはこれは、筆頭騎士殿に……ほほう、オリオール公王の娘か?」

「えっ、誰?」


 思わず声が出たが、逆にアマリアは口を閉じたまま男を睨みつけていた。その表情を見た時、刹那に先程よりも命の危機が迫っているということを予感せずにはいられなかった。

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