第三十七話 観音寺騒動・上

1563(永禄6)年10月上旬 於:近江国観音寺城 後藤賢豊


 殿がお呼びだと聞いて城に参った。

 しかし、殿はなかなか現れない。

 このところ、殿は儂のことが疎ましいようだった。言うことを聞かぬと周囲にこぼしていたようだが、儂は六角家のためを思い、あえて憎まれ役を買って出ているのだ。

 そのあたりのことを義賢様なら分かってくださるのだが、殿はどうなのであろう。

 そろそろいったん屋敷に引き上げようと思ったら、周囲の襖が開き、武装した者どもがわらわらと現れた。

 儂は息子とわずかな供の者と応戦したが、多勢に無勢だ。

 何と愚かな。儂は謀反を企てたわけではない。

 気に食わぬというだけで家臣を討つとは。

 これでは六角家は滅びかねぬ。


於:近江国小谷城 浅井長政

 「殿、一大事でございます。橘内殿から知らせがあり、六角義治が家臣の後藤賢豊を討ったようでございます。」

 近習の増田長盛が飛び込んできた。

 ついに来たか、観音寺騒動だ。この機を待っていたのだ。

 「そうか、三郎左衛門尉と橘内と善祥坊を呼んでくれ。それから出兵の準備をするよう、領内に触れを出してくれ。」

 しばらくしてやってきた安養寺たちにいくつかの指示をした。

 三郎左衛門尉は少し驚いていたが、橘内と善祥坊は悪い笑みを浮かべた。

 数日のうちに後藤家、目賀田家、平井家からそれぞれ使者が来た。理不尽に忠臣を討った主君の義治と戦うので加勢してほしいという依頼だった。このときのために関係づくりに腐心してきた三家だ。

 当主とその息子を殺された後藤家の怒りは大きい。残された次男を中心に仇討ちだと士気は高いようだった。

 目賀田家は後藤家と縁続きであり、その領地は浅井領に近い。歴史でも浅井家に支援を依頼したと伝わっている。

 平井家は娘の出家を手伝ったことで関係は良くなっていた。

 それぞれの使者を労い、浅井は必ず加勢すると伝えた。

 

 主な家臣たちから出陣の準備ができたと連絡が来た。

 城内が慌ただしくなる。

 お市が勝ち栗など縁起物を持ってきてくれた。大名の普通の妻ならそれで終わりだが、うちは違う。

 「それでは一緒に参ろうか。」

 「はい。」

 お市は俺と一緒に戦場に行く。小谷城の守将は宿老の赤尾にした。

 甲冑を着込んだお市と馬を並べて、城の前に出た。

 「者ども出陣だ!六角義治は忠実だった家臣を手にかけた。そのような非道は天道が許すまい。我らを長年苦しめた六角を討つ好機だ!」

 兵たちが「おお!!」と応える。長年の敵との戦であり、名分もこちらにある。皆の士気は高い。

 浅井領の城から続々と兵が出てくる。

 小谷城から琵琶湖に向かうと、安養寺家の兵が合流してきた。浅見家もいるようだ。浅見対馬守は阿閉と樋口の誘いに乗らず、宮部に少し遅れて俺に状況を知らせてきた。この世界線では信用することにしよう。

 山本山城からは姉上の軍が出陣してきた。女性部隊もいる。六角家に恨みがあるのは男ばかりではない。士気は高いようだ。

 北国街道を南下し、東山道と合流する箇所に来ると、新庄直頼の軍勢が待っていた。遠藤と中島は美濃に備えて留守番だ。史実では竹中重里が六角の要請を受けて近江に攻めてきたこともある。

 今回は浅井全軍を出す必要はないから、周囲に備える兵を残している。朝倉に対する備えは田屋の伯父上にお願いしてある。

 だいぶ空も暗くなってきた。

 今日は佐和山城で一泊する。六角領に攻め込むのは明日だ。


於:近江国六角領 浅井長政

 翌日、佐和山城の磯野軍も加わり、六角領に向かう。浅井全軍ではないが、それでも7千名ほどの軍勢になった。 

 道を埋め尽くす大軍は、まるで蟻の群れのようだ。

 地面を踏みしめる行軍の足音は地鳴りのように響く。

 やがて、遠くに観音寺城が見えてきた。

 多くの曲輪を備え、家臣たちがそれぞれの曲輪を守る壮大な城だ。

 ほぼ百年前の応仁の乱の頃には存在していたという、六角家の歴史を象徴する城でもある。

 その観音寺城に、六角家の家臣たちの軍が攻め寄せている。

 橘内の報告によれば、当主と嫡男を殺された後藤家をはじめ、後藤家の親戚の目賀田家、平井家、進藤家もそれぞれの領地で兵を集めて観音寺城を包囲している。

 六角六人衆と呼ばれる重臣のうち四人が六角家に反旗を翻したことになる。

 浅井軍も包囲に参加し、こちらは大軍となった。

 いくら立派な城でも兵がいなければ戦えない。さらに六角家臣の三上家と池田家も義治を見限り、観音寺城の曲輪である三上丸と池田丸に火を放ち、領地に戻ったようだ。結局、六角義治は、わずかな手勢を連れて観音寺城から逃げ出したようだ。

 史実では蒲生家を頼り、日野城に向かったとされる。

 だが浅井家から蒲生家に宛てた偽の密書を作り、義治の手に渡るようにした。その指示をしたとき、安養寺は少し驚いていたな。

 猜疑心の強い義治は蒲生家を信じきれず、日野城に行くのはためらうだろう。そうなると箕作城にいる父の義賢と共に甲賀の石部城に逃げようとする可能性が高い。

 史実では織田家に押されたときに六角義賢は石部城に逃げ込み、甲賀の忍びたちとゲリラ戦をしている。


 蒲生定秀が六角親子の側に立って日野城に兵を集めたという知らせが入り、観音寺城を囲む六角家臣軍は日野城に向かうようだった。うちも磯野員昌に二千の兵を付けて日野に向かわせた。

 蒲生家は所領六万石と言われ、国人領主としては破格の広大な領地を持つが、動員できる兵は普段は二千程度、無理をして三千程度だ。名将の磯野に二千の兵があれば、六角家臣軍とあわせて十分に対応できるだろう。

 俺は三千の兵を率いて石部城に向かった。橘内の手の者によれば、観音寺城から逃げた義治の手勢と義賢の兵をあわせて五百程度のようだ。六倍の兵は必要ないが、念のためだ。

 二千の兵は観音寺城の抑えとして残し、状況に応じて日野か甲賀の援軍に行けるようにした。俺の指示がなくても自分の判断で動ける将として姉上に預けた。兵力の分散は一般論としては良くないが、今回はこれで良いはずだ。

 お市には観音寺で待ってもらっていいと伝えたんだが、一緒に行くと言われた。

 六角の最後を見届けてもらうのも良いかもしれない。

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