第三話 家督継承の根回し
1560(永禄3)年9月 近江国 於:国友村及び安養寺城 浅井新九郎
野良田の戦いいからしばらくして、傷も癒え、普通に動けるようになった。だが、右胸の矢傷は大きな跡が残りそうだ。
父と宿老の赤尾清綱と会って相談した結果、米の収穫が始まる10月初旬に、前線で六角家に備えている家臣たちも小谷城に集め、浅井家の今後を決める評定を開くことになった。この時代の戦は農民兵が主体で農閑期に行われるので、いったん収穫が始まると大きな戦は起きない。
父の久政は10月の評定までに、自分が今後も影響力を振るえるよう、家中で根回しをするつもりだろう。
だが、俺もただ待っているつもりはない。
小谷城を馬に乗って出た。父が俺の動向を探っているだろうから、体調回復のための遠乗りだと周囲には伝えてある。
実際には国友村を訪問するつもりだ。同行するのは直経と近習だけで、みな騎乗している。もし父の手の者が尾行しようとしても、徒歩の者では追いつけないだろう。もし騎馬で追ってくれば目立つので分かる。
国友村は鉄砲を生産する村として歴史に名高く、浅井家の最重要拠点といっていい。
その鉄砲衆の頭が野村藤左衛門直隆だ。俺の知識では浅井四翼の一人に野村定元という武将がいるが、もしかすると直隆のことかもしれない。
「開門!開門!!」
直経が声を張り上げると、国友城の門が開いた。
馬から降りて屋敷に向かうと、すぐに直隆が迎えに出てくる。
「これは若様。わざわざのお越し、恐れ入ります。お呼び頂ければ小谷城に参りましたものを。」
「急に押しかけてきて済まぬ。小谷城では話しにくいこともあるからな。」
俺が率直に話すと、直隆は苦笑した。
屋敷の中に入り、人払いをしてもらい、直隆、直経と三人だけで話す。
まずは鉄砲の生産が順調であることなどを聞いてから、本題に入った。
「ところで、聞き及んでいることと思うが、来月、浅井家の今後のことを話し合う評定がある。評定では家督のことも話に出るだろう。家督について、お主の忌憚のない考えを聞かせてもらえるか。」
真面目な直隆のことだ。もし俺が家督を継ぐことに反対なら、「主家のことは畏れ多くて意見など言えない」などと答えるだろう。
「はっ。主家の家督に口出しするなど僭越ではございますが、新九郎様が家督を継がれた方がよろしいかと存じます。」
「父上は俺に譲りたくなさそうだ。家臣にも、まだ早いという者もいるだろう。」
「畏れながら、野良田の戦いに久政様はご出馬されず、我らは若様のもとに馳せ参じ、六角家を破ったのでございます。家督交替が早いなどということはございますまい。」
ここまで直隆が踏み込んで言ってくれるとは思わなかった。嬉しい驚きだ。
「浅井家は京極の御屋形様の後を継ぎ、北近江の旗頭となったのです。六角の機嫌を伺うばかりで家臣のようにされていく久政様に我慢ならない者は多くおります。此度の勝利は誠に嬉しゅうございました。」
「ありがとう、藤左衛門。お主がそこまで思ってくれているとは考えが及んでいなかった。俺も腹を括ろう。父上が嫌がっても家督を継ぐことに決めた。」
「新九郎様の御覚悟を聞くことができ、嬉しく存じます。この野村藤左衛門直隆、微力を尽くして殿をお支え致します。まずはこれをお納めくだされ。」
直隆は立派な
小谷城への帰り道は、人目も考えて、いったん琵琶湖の側に出て、湖岸を北上して城に戻る。
「若様、よろしゅうございましたな。」
隣の馬上から直経が声をかけてくる。
「そうだな。あそこまで藤左衛門が腹を括ってくれているは思わなかった。思ったより家督の継承はうまくいくかもしれん。」
「家内の多くの者は、再び浅井の武威が輝くことを望んでおります。」
湖上では夕日が雲間から差し込み、幾条にも分かれ、神秘的な情景だった。
先行きは困難だが、光も差している。
数日後、また遠乗りと称して、今度は安養寺三郎左衛門尉氏種を訪ねた。
やはり人払いを頼み、三郎左衛門尉と直経と三人だけで話す。
「三郎左衛門尉、野良田の戦いいで勝利したことを他家に伝えたいと思うのだが。」
「それでしたら、既に使いは出しております。」
「おお、手回しが早いな。流石だ。」
「いえ、外交は早さが重要ですので当然のことでございます。戦が終わると、たいてい双方ともに自分が勝ったと宣伝するものですが、今回、六角は派手に負けましたから、いくら六角が勝ったと言い張っても、諸将は我らの勝利を疑わないでしょう。」
氏種はベテラン外交官らしく、もう必要な手を打ってくれていた。
さて、ここからが機微な話になる。
「実はな。他家との交渉に詳しい三郎左衛門尉に相談したいのは、新たな同盟相手を探すことだ。」
「新たな同盟相手ですか。当家は既に朝倉家と同盟関係にありますが。」
「確かにそうだ。しかし、戦に勝ったとはいえ六角は大きく、美濃の齋藤は縁戚とはいえ疎遠だ。もう一つ味方をつくった方が良いのではないか。」
「もう一つの味方ですか?」
「うむ、織田家はどうだろうか。」
「なるほど、桶狭間で今川義元を討った織田家ですか。当主の三郎様はうつけという噂もありますが、確かに勢いはありますな。」
「海道一の弓取りと言われた義元をうつけが討てるとは思えぬ。兵力で大きく劣っていたのに勝ったのだ。何らかの策を講じたのではないか。それに三郎殿は熱田や津島の商いを振興することで領内を豊かにしているとも聞く。」
「若様はよくご存知ですな。確かに織田家は商いで富を得ているようです。桶狭間の戦についてはいろいろなことが言われておりますが、今川を油断させて討ったという説もありますな。今では美濃の齋藤家は疎遠というより敵対に近い状態です。その背後の織田と組むのは良き案かと存じます。」
「経験豊かな三郎左衛門尉に賛成してもらえて良かった。取り敢えず感触を得るための使いを織田家に出してくれるか。」
「承知致しました。」
氏種は久政の意向を確認しようとは言わなかった。これは重要な点だ。自分の考えで外交を進めることは、俺が当主であることの既成事実化といってもいい。
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