第ニ声 庭園の約束
国王の許可を得て、グレームは逸る気持ちを抑えつつ、ソファーに腰を下ろした。膝の上で指を固く組むジョルジャが、視界に飛び込んでくる。
早く彼女の容態を把握し、手元の文献と照らし合わせたい。研究者としての好奇心と、彼女への同情が入り混じる。
隣に座るアーネストは、そんな弟の様子に閉口し、ややあって口を開いた。
「……第一王女殿下のご容態は、深刻のようですね」
「その通りだ」
第一王女の隣に深く座り、些か辟易した様子で、国王が頷く。
「見ての通り、娘はここ暫く体調を崩しがちだ。このままでは政務にも支障が出かねない。ラッセル男爵家には、何とか力を貸していただきたいのだ」
「ふむ……、お前の見立てではどうだろうか、弟よ。王女殿下のご容態は、どれくらいで回復できそうだ?」
話を振られハッとし、グレームは兄と国王に視線を戻した。
率直に言えば、ジョルジャの症状は未知数だ。彼女自身には問題がないのに、話す相手に影響を及ぼすなど、現状、まるで解決策が思い浮かばない。
グレームはテーブルの上に用意されたジョルジャの、まったく口をつけていない茶器を見やり、眉尻を下げた。
「……恐れながら、陛下。私は研究者として、確証のない事は言えません。ですが、王女殿下が【魔法使いの呪い】によって」
「魔法使いなど、もう存在しないのだよ、ラッセル男爵の弟君」
顎を撫でながら耳を傾けていた国王は、眉をひそめ、静かに首を左右へ振る。その表情には魔法使いに対する、王族としての嫌悪感が滲み出ていた。
え、と瞠目し視線を上げれば、冷淡にも見える双眸と見つめ合い身震いする。
国王は再度、首を振って横目にジョルジャを見た。
「良いか、男爵家諸君。この婚約はジョルジャの療養のためだ。娘は心身ともに疲弊している。そこで、君のような才気ある若者に、一時的に寄り添ってほしいと考えているのだ。聡明な君なら、この意味が分かるであろう?」
グレームが兄の横顔を見れば、アーネストも視線を返して頷いた。
「そういうことだ」
つまり表向き、【魔法使いの呪い】などという、呪いの言葉は使うな、と。
各国の王家が滅ぼした魔法使いの残響が、未だ世界に響いているなど、度し難いことなのだろう。それは理解するが、研究者としてぞんざいに扱われている感覚がし、よい気分ではなかった。
グレームは不満が吹き出す表情を必死に取り繕い、発言を考えてから、口を開く。
「しかし、その、王女殿下が衰弱しているのは、確かだと、思います。それに……、……」
【魔法使いの呪い】の一番恐ろしいところは、発症者を命の危険に晒すことだ。
彼ら、彼女らは、不可思議な現象によって心身ともに衰弱していき、やがて命を落とす。それはグレームに限らず、他の研究者も調べが行き着いた事実だった。
最後まで言葉にするのは憚られ、グレームは視線を泳がせる。
ジョルジャは青い顔でこちらを見つめ、喉を押さえながら何かを必死に訴えるように唇を動かした。呼吸を引き攣らせる音が、聴覚を微かに震わせるが、やはり声は聞こえない。
戸惑うグレームに、彼女は力なく手を下ろし、そのまま眉根を寄せて俯いた。前髪の奥に見える表情には、落胆にも、絶望にも似た思いを抱えているようだった。
「……陛下、ここはひとまず弟に、王女殿下と対話する機会をお与え頂けませんか」
二人の様子を見かねたアーネストが、国王に向けて頭を下げる。
その表情は謹慎そのものだったが、グレームには、どこか計算高い笑みを浮かべているように見えた。
「我が男爵家は、陛下から頂いた名誉ある役目を、決して無碍に致しません。しかしその為には、相互理解が必要かと存じます」
「おお、そうか、そうだな。分かった。庭園の一角に場所を用意しよう。何せジョルジャの声は、周囲が騒々しいほどよく聞こえるからな」
そう言って国王は、準備に取り掛かるよう、衛兵に命じ始める。
その間もグレームはジョルジャの様子を観察していたが、彼女と双眸が交わることはなかった。
◇ ◇ ◇
案内された庭園は、今まさに、庭師によって手入れが行われている最中だった。
数人が談笑しながら樹木の枝を切り揃え、植え込みの整備をし、時折、通り掛かったメイド達と言葉を交わす。使用人たちが運搬用の手押し車を押しながら通り過ぎ、微かな車輪の音が聞こえてきた。
そこは確かに、賑やかな場所であると同時に、貴族の婚約者同士が対面する場としては、あまりに不釣り合いな場所であった。
大理石の天板を使用した、鉄製の装飾フレームのテーブルには、ティーカップへ注がれた紅茶がゆれ、繊細な白いカップの縁から静かに湯気を立てていた。色とりどりのマカロンや、艶やかなベリーを乗せたタルトなども、美しく並べられていく。
周囲の視線から遮断するように、四方は植え込みで囲まれているが、すぐ向こう側は使用人用通路だ。
本来なら、このような場所で王女と婚約者が対面することなどありえない。
しかし、あえてこの場所が選ばれたのだろう。彼女の声が、静かな場所では相手に届かないことを、彼女自身がよく知っているからだ。
グレームは両手を膝に置いたまま、そっとジョルジャへ視線を向けた。
「……先ほどは、声が突然聞こえなくなり、驚いたでしょう。申し訳ありません」
「! い、いえ」
「父もわたくしの症状に、手を焼いているのです」
喧騒が大きいほど、確かにジョルジャの声は美しく響く。
思わず高鳴る心音を、深呼吸で落ち着かせたグレームは、彼女の手元にあるカップまで視線を下げた。
ジョルジャがカップを持ち上げ、音もなく口をつける様は、体調の悪さを感じさせないほど洗練されている。しかし、微かに震えた指先が食器を揺らし、カツン、とソーサーにぶつかった。
「わたくしは父を手伝い、政務に当たっていますが、これでは本当に役に立ちません。大事な会議で発言もできない、……いえ、発言を聞き取ってもらえないのです」
眉をひそめ呟く声は、堪えきれない悔しさを滲ませている。そこには第一王女として生まれたジョルジャの、国王となる夫を迎え手を取り合い、国政を担おうとする矜持が感じられた。
本来なら順当に婚約者を迎え、日々邁進していたはずの時間を奪われた苛立ちもあるのだろう。
ジョルジャの琥珀色の双眸が、グレームへ縋るように向けられる。
「……わたくしの体は、治りますか」
絶望に切迫する声も、望みたいと願う言葉も、真っ直ぐに胸へ飛んでくる。
どれほど周囲が騒々しくとも、世界が二人だけになったと錯覚してしまう。
その声は狂いなき弧を描いて夜空をかけた、心を奪っていく流星だった。
グレームは小さく喉を鳴らして唾を飲み込み、緊張に乾いた口内を湿らせると、一度、深呼吸をして気分を落ち着かせる。
「恐れながら殿下。私は医者ではありませんので、治るとは言えません。研究者の立場としても、実例が乏しい症状ですので、あらゆくことが未知数です」
「…………はい」
「けれど、殿下の症状を解明したい。そう強く望んでいます」
一瞬、落胆気味に下がった視線が、再びグレームを見た。
「ご無礼を承知で言えば、今の殿下は大変魅力的です」
「え?」
「今まで研究してきましたが、恥ずかしながらこの目で実例を見るのは初めてなんです。どういった時に強く症状が出るのか、それによって現れる体調の変化も知りたい。静かな場所で殿下の声が聞こえないなら、聞いているこちら側の血圧や脈拍が関係しているのかも。改善策や対応策を発案する必要もあります。殿下、どうかお力を貸してください、俺はぜひこの、……、……」
早口で捲し立て熱弁していたグレームは、呆気に取られ口を開けるジョルジャを視界にいれ、息を吸い込む。
次いでサーっと顔から血の気が引くと、侍女たちからの視線も相まって、顔を引き攣らせた。しまった、またやってしまった。興奮すると周りが見えなくなるのは、昔からの癖だった。
「……あ、その……申し訳、ありません……つい……」
魔法使いになると周りが見えなくなると、常日頃から兄に嗜められているというのに。特に今日の相手は兄ではなく、この国の第一王女である。
顔面蒼白で硬直するグレームだったが、数拍置いて聞こえてきた笑い声に、驚いて顔を上げた。
ジョルジャはテーブルに乗せていた扇を取ると、開いて口元を隠す。しかし堪えきれないのか、ふふ、と優しい声が溢れていた。
柔和に表情を緩める姿は、年相応だ。先ほどの張り詰めた雰囲気が和らぎ、少しだけ顔色が良くなった彼女に、グレームは無意味に紅茶を飲んで視線を外す。
「……そんなこと、初めて言われました」
「もっ申し訳ありません」
「それに、力を貸して欲しいのはわたくしなのに、あなたの方が力を貸してほしい、なんて」
「申し訳ありません……」
「いいえ、いいえ。なんだかとても、元気が出ました」
そう言って笑うジョルジャは、再び視線を落とし、扇の内側で何事か考えているようだった。
そして静かに扇をとじテーブルに戻すと、グレームと視線を交える。
「ハワードさま。わたくしの体が治るまで、この婚約は続きましょう。その後は……円満に解消となれば、あなたにご迷惑をおかけすることもないはずです」
「迷惑なんて……! 兄が家を継いでいます。私は、研究ができればそれで……」
「静かな場所で、わたくしと話す場面もございましょう。今まで婚約された方は皆、わたくしを気味悪がり、本来なら言葉を交わせるはずだと憤りました。ハワードさまにもご不便をおかけしましょう」
「それこそ勿体無い! ぜひそこに立ち会わせてください! これまでの研究で役立つこともあります。もしかしたら、回数を重ねるごとに新しい発見が、あ、いや、その、ええと」
「ふふ、魅力的?」
やはり笑う彼女に、グレームは顔に血が集まってくるのを止められない。
興奮しすぎて対応を失敗し続けているばかりか、そもそも同年代の異性と話す機会があまりないのだ。魅力的であると同時に、ジョルジャが朗らかに笑う声は刺激的だった。
「……そうですね、……ありがとうございます、ハワードさま。わたくしと研究を進めましょう。わたくしとあなたは、非検体と言えばいいのでしょうか」
「そ、……そうかも、しれません」
「辛いことも苦しいこともありますが、どうしましょう、少しワクワクしています。ハワードさまならこの呪いを解いてくれる。そんな気がします」
微笑む王女に、グレームが赤面したまま紅茶を飲み干せば、ジョルジャは侍女に命じ、新しい紅茶を淹れさせる。
そのまま大皿に乗った苺のケーキも切り分けさせ、グレームの前に置いて食べるよう示した。
「どうぞ召し上がって」
「お、恐れ入ります……」
侍女がケーキを一切れ、小さく切ってジョルジャの前に差し出す。
彼女は数秒、甘い香りがするそれを見つめた後、デザートフォークを手に取った。
「とても久しぶりに、食べられそうです。ずっと上手く、食事もできなかったから」
白いクリームとスポンジを切り、フォークの先にさしたジョルジャが口元に運ぶ。
素材を噛みしめ飲み込んだ彼女の目尻から、大粒の涙が一筋、こぼれ落ちた。
それが、長らく失っていた意欲が蘇った喜びからか、それとも、理解者を得た安堵からか。あるいは、その両方からかは、グレームには分からない。
ただ、確かに、ジョルジャが抱える苦悩が、ほんの僅かに報われたような、そんな涙に見えた。
「…………っ……美味しいわ……!」
グレームは胸の奥が締め付けられるような感覚を覚え、唇を引き結ぶ。
彼女がどれほどの苦しみを抱えてきたのか、その一端を垣間見た気がした。
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