2001年9月10日(4)
緊張する彼を他所に、アキヒロは話を続けた。
「そんな顔しないでくださいよ! これじゃあまるで、私が脅しているようじゃないですか。ただ、ダニエルさんが知っていることを正直に話して欲しいだけなんです」
アキヒロの言葉は、全て嘘偽りの無い真意だった。そして、彼も当然のようにそれを理解していた。
ただ、彼は流石に、自分を疑っている人間の言葉を信じることは出来なかった。たとえ不本意であっても、
「じゃあ、こうするのはどうですか? 私が何に疑問を持っていたのかを教えます。ただ、それと引き換えに、貴方は自分の隠し事を教える」
アキヒロが取引の話をすると、彼は
「いい取引だと思いませんか?」
「……ああ、感心するよ。職業柄ってやつかい? 但し、君が先に教えるのが条件だ」
条件を加えることで、彼はアキヒロへのささやかな抵抗を試みた。
最早彼の中には、アキヒロという人間を真っ当に尊敬する気持ちなど、欠片も残っていなかった。この時彼に有ったのは、踏み躙られた自尊心と、アキヒロへの嫉妬心から生まれた対抗心のみだった。
「まあ、その程度なら、条件としなくても進んでやりますって。私もなるべく誠実でありたいと思っているんです。なんせ、ダニエルさんは――」
「いいから、とっとと教えろよ!」
バンッ!
そう言って彼が机を叩くと、店の中が、急激に静かになった。彼らに店中の視線が集まって、それに気づいたアキヒロは恥ずかしそうに俯いた。
意外にもこの瞬間、彼の良心には、感情の思うままにタメ口で恫喝してしまったことを、反省する気持ちが僅かに生まれていた。しかし、この時の彼は残念ながら、贖罪の言葉を口に出来るほどの余裕を持ち合わせてはいなかった。その
「…………」
アキヒロは、店内がざわつき始め、日常を取り戻したのを確認して、おもむろに自分の考えを伝え始めた。
「私が初めに気になったのは、数日前から始まった、日本の株取引です」
ダニエルに、自分の願いが届くことを祈りながら――
「ここ三日ほど継続して行われていたんですが、どうも不可解なんですよね。一部の航空会社や保険会社がピンポイントで売買されていて、最初のうちは一体何をやっているんだと思ってました。
ただ、今日の朝、ツインタワーが崩壊するという話をたまたま耳にして、考えたんです。もしもこの話が本当なら、どの様な方法で、誰が、何の為に崩壊させるのかを。
最初は、暇つぶし程度で考えていたんで、机上の空論でしかありませんでした。建物が勝手に崩壊するはずが無いので、単純に、崩壊するなら人の手によるものだと思って、でも、第二次世界大戦の時に日本軍が使用した、飛行機による自爆特攻でも厳しいんじゃないかなーなんて考えてたんです。でも、考えていく間に、どんどん辻褄が合っていきました。だって、航空会社が不自然に売買されていたことも、崩壊するのがツインタワーだけであるということも、飛行機で特攻するから、という理由だったら、結構納得度高くないですか?
まあ、少なくとも私自身が納得するには十分な理由だったので、次に私は、それを誰が何の目的で行うのかを考えました。
最初は、全く絞れませんでした。そもそもこの国は『アメリカ・ファースト』と謳って、他所からの反感はいっぱい買いながら成長してきたので、候補が多すぎたんですよね。
でも、そんな中、ふと、噂していた人達がユダヤ人だったことを思い出したんです。もしかして、と思って貴方にハッタリを噛ますと、貴方の職場、ユダヤ人しか居ない貴方の職場で噂になっているという話じゃないですか。
あとは、言わなくても分かりますよね、ダニエルさん。私の職場には一切そんな話は流れてこなかったのに、ユダヤ人の間だけでこの噂が出回ってるのには、何か
嗚呼、アキヒロさんは、本当に頭が良いんだな。
彼は、思わず笑いそうになった。
「さあ、次はあなたの番です、ダニエルさん…………」
二人の間に、再び沈黙が流れた。
店内はピーク時と比べ大分人が
彼は、未だに気づいていなかった。
自分がこの一連の出来事の分水嶺であるということに。
実際、この時の彼の行動によっては、何千という命が救われる可能性があった。少なくともアキヒロはそれに気づいていたし、それを完遂するだけの覚悟も持ち合わせていた。その一方で、彼はその点に
「…………それだけじゃないだろ」
彼がただの木偶の坊だったら、アキヒロはどんなに楽だったか。
「ん?」
「だから、それだけじゃないだろって。これからどうなるかも、あんたは予測してる。そうだろ?」
図星すぎて、アキヒロは声を失った。
彼は、偶然にも、アキヒロの疑問が全て「未来」に関連していることを見抜いていた。
その顕著な例として、彼らが初めて出会った時、アキヒロが放った「午後から雨なので、お店にとってこの行列は有り難いですよね」という発言が挙げられる。日頃からありとあらゆる「これからどうなるのか」を考えてないと、こんな台詞は中々出てこないだろう。
この日、彼がアキヒロの疑問に興味を示したのも、それ故だった。ツインタワーがどのように崩壊するか、それがどれほど現実的なのかを、こっそり探る為だったのだ。
アキヒロは長い沈黙の後、溜息をついた。
「ダニエルさん。世の中には、知らない方が良いこともあるんですよ。そしてその代表例として私がいつも使うのは、大体『未来』なんです。私が言いたいこと、分かります?」
「ああ、よく分かるよ。そうやって言い逃れして、少しでも得しようっていう醜い魂胆がな!」
彼らが、これから、純粋な気持ちで会話を交わすことは無いだろう。そしてアキヒロは、その修復不可能な関係性に気づいて、明白にがっかりした。
「な、なんだよ」
彼は相変わらず、悲しいほど愚かさを露呈させていた。二人を隔てる溝が、自分自身によるものだとも知らずに。
アキヒロは、そうして、全てを諦めた。
「……貴方が私にその機密情報を教えたら、私はそれに従って、ツインタワーで働く人達を事前に避難させます。大方の人達は普通に呼び掛けても反応しないでしょうし、多分、嘘の避難指示を出したりしたら一発でしょう。
でも、それ即ち、テロの失敗を意味します。そうなると、テロの主犯格やそれらに賛同するユダヤ人達が黙っていないでしょう。まず、情報がどこから漏れたのか、真っ先に特定されるでしょう。衛星をジャックしたり、ここら一帯の聞き込みによって、一月経たない内に、貴方と私がその主犯であると暴かれると思います」
「……つまりは?」
彼がおそるおそる続きを聞くと、アキヒロは、窓の外の景色に目をやった。
そこにはやはり、いつもと変わらない景色が写っていた。
「私も貴方も、いや、家族も、ユダヤ人に報復されて死ぬでしょう」
風が少し吹いていて、店の前の草木が優しく揺れていた。
「まじか…………」
そう言って頭を抱えた彼を、アキヒロは愛おしく思った。
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