第3話

 帰宅すると、夏希は、私を部屋のベッドにそっと降ろしてから、やさしい笑みを浮かべて言った。


「縁の気持ちはすごく分かるよ。でも、こんな経験も滅多に出来ないだろうし、案外悪くないものかもよ?」


 前向きな捉え方で私を納得させようとしているのだろう。

 夏希の意見も一理ある。でも、そんな興味など通用しないほどには心が許してくれない。

 堪える余裕もなく、じわり、と生暖かい液体が放出していく。涙だ。


「ちょっ……そんなに嫌だった?」

「嫌だけど、それだけじゃなくって、一生このままだったらと思うと、怖くて怖くて……。どうして、みんな、落ち着いていられるの……??」

「それは……」


 二十歳を迎えることへの不安や恐怖も大きい。けれど、子どものままで過ごすことも意外としんどいかもしれない。

 思えば、大人になりたくないくせに子ども扱いはずっと嫌だった。

 生まれたばかりの頃は、当然ながら、着替えも食事もトイレも何一つ自分で出来なかった。

 でも、約二十年の人生でたくさんの経験や学びを得て、一人で出来るものが増えていった。少しずつだけど、確かに成長してきた。

 長い時間を掛けて大人を目指して発達してきた心と体なのに、子どものままでいてたまるか。子どもっぽいから大人になりたくない? それこそ幼稚な思考だ。

 私は、この二十年間を否定したくない。大人になる現実と向き合わないと。


「私、やっぱり、このままなんて嫌! 立派な人間になれる自信は全然ないけど、二十歳を迎えて、大人として頑張りたい!」


 気がつけば、私はベッドから立ち上がり、声を張り上げて宣言していた。

 その時だった。


「いやぁっ……!」


 数時間前と同じ体温の激しい上昇を感じた瞬間、止まることなく大きくなっていく全身がベビー服とオムツを引き裂いていく。急増した体の重みによろけながらも反射的に毛布で裸体を包み、しゃがみ込む。


「縁っ……大丈夫??」

「……私……元に、戻ってる?」


 夏希は見開いた目を私に向けてコクコクと頷く。その瞬間、思いっきり気が抜けて、安堵の溜め息を溢した。


「よかったあぁ……。──あ、やば」


 体も脱力したことで尿意を堪えていた力が緩み、限界が近づいてきた。

 私は再び引き締めながらベッドの上に畳まれたパジャマに着替えるとダッシュでトイレに向かった。私服を選定している余裕なんてない。


「おお! よかった、元に戻ったんだ。てかなんでパジャマ──」

「邪魔っ!!」


 よりによってランニングを終えて家に来た幸起がトイレの前に突っ立っていたので声を荒げながら駆け込んだ。

 元に戻ったとはいえ、どっちにしろ幸起に恥ずかしい所を見られたかも。


「おいコラ。復活して早々態度悪すぎだろ! つーか、俺がトイレ行こうとしていたんだけど!」


 危ない危ない。あと数秒遅ければ間に合わなかった。

 やっぱり、約二十年を生きてきたこの体が一番落ち着く。

 それにしても、あの赤ちゃん化現象……本当に何だったのだろう。




 トーストにハムエッグに野菜サラダ。洋風の朝食が並んだテーブルを幼馴染三人と母で囲み、年相応の食事を前に感動している時のこと。


「ごめんなさい!」


 いただきます、と挨拶した直後に夏希が頭を下げたので何事かと思っていると、


「実は、縁を赤ちゃんに戻したのは私です!」


 と、私を見つめ、わざとらしく堂々とした口調で打ち明けた。


「「……えええぇ!?」」


 一瞬、間を置いて幸起と同時に驚いた。

 すぐさま夏希に訊ねる。


「ど、どういうこと……??」

「ほら、私、薬学を専攻していて、科学者の母とたまに実験しているじゃない? だから、母の力を借りて体を幼児化させる薬を作って縁に飲ませたの。あの紅茶、美味しかったでしょ?」

「あ……」


 あの時、キッチンでこっそり紅茶に薬を投入していたのか。苦味を感じたのもそれが原因なのかな。

 夏希が親とよく実験していることは私も幸起も以前から知っているので、今の説明を聞いて納得した。


「ちなみに、私も夏希ちゃんと計画の打ち合わせをしたので知っていましたー」

「お母さんも!?」


 しれっと笑顔で手を挙げてネタバラシしている。

 なるほど。どうりで二人とも有り得ないぐらい冷静だったんだ。


「どうしてそんなことしたの! めちゃくちゃ怖かったんだから!」

「それはね、縁がずっと『大人になりたくない』って嘆いていたから、一度赤ちゃんに戻したら二十歳になる現実と向き合ってくれると思ったの。笑顔で二十歳を、明日を迎えてほしいから。でも、さすがにやり過ぎちゃったね。ごめんなさい」


 今度は真剣に弁明し、私に向き直って頭を下げた。顔を上げると、


「私は、今の縁が大好きだから、幼い性格なんて気にせずに自分らしく二十歳になってほしい」


 夏希は、打算など感じない澄んだ瞳で私を見据えて伝えた。

 彼女のことだから赤ん坊化する私を見て楽しんでいたのだと思った。それもゼロじゃないかもしれないけれど、きっかけは大人になることへの大切さを親友に教えるためだったんだ。


「私、まんまと嵌められたわけだ。おかげで、大人になる自分と向き合う決意が出来たからね」

「ただ、不思議なんだよね。本当なら専用の薬を飲ませて元に戻すはずだったけど、何もしない内に……」


 夏希の疑問が私の心にも強く引っ掛かる。薬を作った張本人でも未知な現象が起こるなんて奇妙な話だ。


「縁が大人になる自分を受け入れたからじゃね?」


 幸起が特に考えもなさそうな調子で口にする。

 確かに、宣言した瞬間に元の姿に戻ったけど……そんなドラマチックな効果があるのかな。いや、たまたまだよね。何はともあれ一件落着。




 翌朝、二十歳の集い当日。

 着付けの関係で昨日とほとんど変わらない時間に起床し、パジャマのまま瞼を擦りながらリビングダイニングへ顔を出すと、


「縁、二十歳のお誕生日おめでとう」

「おめでとう」


 開口一番、母と父が私を祝福してくれた。やさしい笑顔で迎え入れる両親を前に、現実を突き付けられ、目が覚める。

 私、横山縁は、本日で二十歳になった。

 今までの悩みが嘘だったかのように嬉しくて、誇らしかった。

 一方で緊張も凄まじかった。今日から二十歳であるというプレッシャーと、昨夜に決意した"実行"に対して。

 けれど、私は、もう逃げたりしない。向き合うんだ。


「ありがとう。二人のおかげで、今日まで健康に生きてこれました」


 照れくさくなりながらも誠意を持ってお礼を伝える。

 そうだ。私は、いつもそばに居てくれた両親や幼馴染の支えがあって今日を迎えられたんだ。


「お母さんの方こそありがとう。振袖姿を見せてくれて」

「縁もいよいよお酒解禁か。楽しみだな」


 前日にミルクを吸っていた私が今日からお酒を飲むのかと思うと、あまりにおかしくて笑えてきた。

 身支度を済ませて朝食を摂ると、私達は、お父さんの運転で着付け会場へ移動した。

 長時間に亘るセットを乗り越えると、大好きな赤に和の模様を彩る煌びやかな振袖と緻密に編んで花飾りを添えたヘアスタイルで式場へ赴く。

 到着し、両親と一度離れ、約束の場所へ向かって歩いている時。


「縁!」


 先に私を見つけた夏希が笑顔で手を振って名前を呼ぶと、隣の幸起も顔を上げてこちらを見つめる。私は、裾を軽く持ち上げて小走りで辿り着く。

 私と似たヘアセットの夏希は大輪の花を描いた紺色の振袖、幸起は黒と灰色のモノクロで統一した袴を着こなしている。お洒落や記念行事には興味がないイメージなのでスーツで来ると思っていたのに。胸がキュンとなる。


「縁、二十歳おめでとう〜! めちゃめちゃ可愛いよ〜!」


 来てすぐに夏希がハイテンションで私の手を取り体ごと上下に揺らす。


「ありがとう! 夏希もすごく似合っているよ! 幸起は……袴なんだね?」

「おう。着ている人……あまり居ないけどな」


 幸起に振り向いて伝えると、どこか照れくさそうに答えた。


「うん。でも……すごくカッコいいよ」

「縁もな」

「え? 私もカッコいいの? なんで??」

「ちげーよ、可愛いんだよ! 察しろよ!」

「なんで逆ギレしてるの!?」


 褒め合ったにも関わらず大人のくせに恒例の言い合いをしていると、夏希に横からポンポンと肩を叩かれる。「何?」と訊ねると「例の。いつするの」と耳打ちされる。

 夏希が言う"例の件"に対して少し悩んでから、私は意を決した。


「ねぇ、幸起」


 緊張が混ざる声で名前を呼ぶと幸起が私をじっと見つめる。


「式が終わったら話があるんだけど……二人で会えない?」

「……わかった」


 幸起も少し考えてから了承してくれた。




 無事に式を終えた正午。

 私は、人影のない屋外へ幸起を誘った。風が吹いていて寒いけれど体内は緊張で熱っていた。

 二十歳になった私は、新たな一歩を踏み出そうとしていた。

 幸起に、告白する。

 ……よし、今だ。勇気を出して息を吸った、その時だった。


「俺も、実は、縁に伝えたいことがあるんだ」


 真剣な瞳で私を見つめ、幸起が先に口を開いたのだ。


「えっ……何?」

「縁の後に伝えるよ」

「いやいや、ここは幸起から」

「でも、先に誘ったのは縁の方だし」

「いや、私はちょっと心の準備というか……」


 と、なんだか不毛な譲り合いになっていると、幸起が考えるようにしてからこう提案した。


「……じゃあ、同時に言わない?」

「……わかった」


 私は、少し悩んでから彼の提案に乗った。

 幸起に「伝えたいことがある」と言われて僅かに可能性を感じてはいたが、今の言葉で更に確率が高まったからだ。

 改めて空気を取り入れる。今の状況こそを「息が合う」と言うのか、幸起も同じタイミングで息を吸った。

 そして……


「私、幸起のことが好き!」「俺、縁のことが好きだ!」

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二十歳の魔法 小林岳斗 @10212136

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