第4話 のっぺらぼうの彼女との日常
この人は絵を描くのが好きなのだろう。そう思わせる固さだった。
野平さんは僕に手を握られたまま、振り返る。やはり表情はわからない。クレヨンでぐちゃぐちゃに塗りつぶされたように見える。
この人とこれでお別れとなるのはあまりにも惜しい。僕はそう思った。たしかに表情が分からないというのは不気味ではある。
でも先ほどまで、あんなに楽しく会話をしていたのも事実だ。あんなに心から楽しんだ時間は人生でも初めてだ。それが、もうこれで最後だなんてあまりにももったいない。
それにだ。野平麻里子さんはそれはもうむちゃくちゃエッチな体をしている。女性をスタイルで判断するなんてよくないと頭では分かっている。でもあの大きなおっぱいと服の上からでもわかるプリンとしたお尻はそれはもう魅力的だ。
あんなエロい体をしている野平さんとこれで別れていいのか。
いや、良いはずはない。
「待って下さい。野平さん、僕はこれでお別れだなんて思いたくありません」
彼女ともっと同じ時間を過ごしたい。そして、できたらその柔らかそうなお胸を触らせて欲しい。まあ、さすがにそれは口には出さないけどね。
「水樹さん……私のこと怖くないのですか?」
相変わらず声は可愛い。野平さんは僕を見ているのだろうけど表情が分からないので確認しようがない。
「怖くないと言えば嘘になります。しかし、野平さんのことをもっと知りたいとも思っています。あなたと今日みたいな時間を過ごしたい」
それは本音出会っていた。
そうだ、顔なんて皮膚一枚ではないか。
表情が分からないのは不便だけど野平麻里子さんの魅力はそれだけではない。そして彼女が描くという紳士向けの同人誌を読んでみたい。
「そうですか、そうですか。水樹さん、よろしくお願いします」
野平さんは僕が握っていた手を握り返してきた。ペンダコは固いけど温かくて気持ちの良い手のひらだった。
「こちらこそよろしくお願いします」
僕はぺこりと頭を下げる。
「ええ、こちらこそですわ。こらから私のことは麻里子って呼んでください」
「じゃあ、僕のことは冬彦って呼んでください」
こうして僕たちは交際の前段階に入ることになった。
それから僕と野平麻里子さんは一週間に一度の割合でデートを繰り返した。麻里子さんが大阪に来ることもあれば僕が奈良まで行くこともあったた。
麻里子さんはイラストレイターをしながら漫画も描いていた。主にホラー要素の強いジャンルを描いている。麻里子さんの描くキャラクターは魅力的だが、それが無惨にも死んだりするシーンはかなりショッキングだ。ネットにも出しているようでニッチなファンも多い。僕も、もちろん麻里子さんの漫画のファンになった。
デートを繰り返し、
麻里子さんとオタロードを探索したり、僕が奈良公園の鹿に突撃されて転んだりした。
麻里子さんは僕に会うとよく笑う。うふふっと可愛らしく、楽しそうに笑う。笑顔はわからないが、その笑い声を聞くと幸せな気分になる。
勇気を出して、手をつないでみたら麻里子さんのほうから指をからめてきた。指の間に指を入れてきた。いわゆる恋人つなぎというものだ。
季節は春になろうとしていた。
奈良まちのカフェでいつものようにオタクトークに花を咲かせたあとの帰り途、僕は意を決して麻里子さんに告げた。
「麻里子さん、良かったら付き合いませんか?」
手をつないで歩きながら、僕はできるだけ平然を装いつつ、そう告白した。
このまま微妙な関係でいるより、はっきりとした形にしたいと思ったからだ。
断られるのは怖かっけど、やっぱりきちっとした形にしたいという気持ちになったからだ。
「本当に私でいいの?」
「もちろんだよ。麻里子さんが良いんだよ」
「うれしいわ、冬彦さん」
くるりと麻里子さんは僕の方を向く。サングラスとマスクをとる。
その瞬間、あのクレヨンでぐちゃぐちゃに塗りつぶさていた顔から、それが消えた。
麻里子さんの顔がはっきりと分かった。
垂れ目がちな大きな瞳にちいさくて丸い鼻をしている。唇は厚めで左目の下にほくろがある。美人というよりは可愛らしい顔をしている。
「麻里子さん、可愛い」
僕は思わずそう言った。
グラマーな体に垂れ目な童顔というのがたまらなくそそられる。
「えっ」
という驚いた声をあげ、麻里子さんは手を離す。
そうするとまたあのクレヨンで顔がぐちゃぐちゃに塗りつぶされる。
僕は麻里子さんと離れたくないので、また手を握る。そうするとクレヨンのぐちゃぐちゃは消えて、麻里子さんの可愛い顔が姿をあらわした。
どうやら僕が手を握っている間だけはあのぐちゃぐちゃで塗りつぶされなくなるようだ。
「冬彦さん、見えるの」
麻里子さんは驚いた顔をしている。そう、驚いた顔が見えるのだ。
「うん、見えるよ。麻里子さんって可愛い顔をしているんだね」
「可愛い……私が……」
「うん、可愛いよ。麻里子さんのこともっと好きになったよ」
そう言うと麻里子さんは僕の体を引き寄せて、胸に抱きしめた。うわっこれは至高の柔らかさだな。思わず顔を埋めてしまう。そんな変態行為をしても咎められないというのは恋人として認めてくれたということだろうか。
「冬彦さん、私たち付き合いましょう」
こうして僕と野平麻里子さんは交際することになったのだった。
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