海に沈むジグラート 第67話【真贋の奥】
七海ポルカ
第1話 真贋の奥
ピク、ととぐろを巻いて眠っていたフェリックスは顔を上げた。
彼はおもむろに立ち上がり、器用に翼を立てて、ギリギリ通れる幅の騎士館から出て来る。のしのしと駐屯地を歩いて行くフェリックスを、すれ違う騎士達などがおや? という顔を見せて目で追っている。
近頃分かったことだが、フェリックスが何となく駐屯地を歩き回るときの足取りと、明確な意志と目的を持って歩いて行く時の足取りはやはり少し違う。
今はまっすぐにのしのしと駐屯地の入り口へと歩いていることが分かり、以前一度フェリックスが規律違反をして一人で飛んだことがあったため、何となく騎士達はフェリックスが入り口に向かうと目線をやるようになっている。
しかしそれ以降フェリックスの規律違反は一度も無いし、大抵の場合、彼はピタッと入り口の見張りの前で綺麗に止まるため、規律の違反の意志はないのだなと見なされるようになった。
だがややこしいことに、フェリックスは最近「海」というものに興味津々のようで、少しだけ駐屯地を出て行くようになった。ほんの、駐屯地を出た所のスペースなのだが、目前にもう海が広がっているため、崖の端まで行って長時間寄せては引いていく波の繰り返しを眺めているようなのだ。
でもそこは駐屯地の前とはいえ、中からは見えない場所なので、やはりフェリックスが迷いなく駐屯地を出て行くと見張りの騎士達は若干ドキドキするのである。
フェリックスは今日ものしのし堂々と歩いて見張りの前を過ぎ去ると、あっさり駐屯地を出て行って、いつものポジションで海を眺めるのかと思って見張りの騎士が一応覗き込み外の様子を見ると、迷いも無くヴェネツィア市街へ続く街道の方へ歩き出したから、二人いた見張りはギョッとした。
「わーッ! 待て待て! フェリックスどこに行く!」
フェリックスが街道に向かって歩き始めるのは初めてのことである。
二人は慌てて追って、フェリックスの尾を掴んで引っ張った。
屈強な竜騎兵二人がそうしても、力のあるフェリックスは何ともないようで、ズルズルと彼らを引きずって行く。
「どうしたどうした突然! 竜が街に行っちゃダメなんだってば! みんな怖がるから!
なんだその『そろそろいいでしょう』みたいな迷いの無い歩き出し方は!」
「おあああああああああ全然止まらねえ! おい! 二人だけじゃ止まらん! 人を集めてこい!」
引きずられながら騎士の一人がそんな風に言ったが、もう一人が尾にしがみついた姿でハッとする。
「ちょっと待てよ? こうやってフェリックスが迷いなく駐屯地出て行くときって大概ネーリ様が関係してたよな? 竜って相当遠くからでも人間の気配を感知出来ると言うから……ネーリ様がこっちに来てるんじゃ無いか?」
尾を掴んだ二人は引きずられながら街道の先に目線をやる。
「来てないな! 誰一人来とらんな!
なんだ本当に街に行ってみようかなの好奇心か⁉」
「ちょっ……それにしてもなんで今日⁉
やめてフェリックス! 俺らお前を街になんか行かせたら団長に怒られるから!」
「団長に怒られるならまだいいぞ! 王妃の耳に入ってみろ! とんでもないことになる! 人呼んでこいってば!」
「竜ってホントに分かんねえな! 精霊を視る者とか言われるわけだよ!」
「タイミングが全く分からん!」
「フェリックス! お前近頃【竜の森】の前で大人しくしてるかと思えば! 油断させるなよ!」
「なにしてるんだ」
見張りが戻ってこないことに気付いたのか、騎士が数名入り口から出てくる。
「そんなところで遊んでるとトロイ隊長に怒られるぞ」
「どの辺を見て遊んでると思った⁉
引きずられてんのどう見ても分かるだろ!
早く手を貸してくれ!」
慌てて三人が加わったが、突撃で城壁を破壊するほどのパワーを持っているフェリックスは人間五人がしがみついたくらいではのしのし歩いて行く足取りは全く変わらない。
「なんだこいつどこに行こうとしてるんだ⁉」
「いや……街に行きたいのかもしれないけど」
「なんで街に行くのに歩いて行くんだよ! 飛べばいいだろ! いや飛ぶのはダメだが!」
「ぬああああああ! 全然止まらん! おいまだ駐屯地に人いるだろ! 集めてこい!」
「いやこれ何人集まってもダメだろ! トロイ隊長呼んでこい! 説教して貰おうぜ、聞いてただろ。騎士館の扉こいつが破壊した時も」
「グルグル言うなフェリックス! 怖いから!」
「本当に街に行く気なのか⁉」
「お前が街に行くと大騒ぎになるからダメなんだって! ごめんなさい諦めて!」
「団長もネーリ様も街にいて気になる気持ちは分かるが……」
「やっぱそうか! それか!」
「くそ~! こいつネーリ様に会うまではかなり人間にも竜にも素っ気ない態度取るクールな竜だったんだけどな~!」
「飛ばなきゃいいんだろみたいに歩いてるけどそういう問題じゃ無いんだフェリックス!
頼む聞き分けてくれ!」
「聞き分けてく……おっ?」
引きずられていた五人が止まる。
突然フェリックスがピタリと止まった。お行儀良くそこに座った。
「なんか知らんが聞き分けてくれたみたいだな……」
もう駐屯地の入り口が大分向こうだ。
五人はホッと息をついて、引きずられている姿から立ち上がった。
「俺らのことからかってたんじゃないか……? フェリックスってあるぞ。人間をからかって遊ぶようなところ……」
「退屈してんだろうなあ。こいつは戦場じゃ負けん気強いし雷雨の中でも砲弾の雨の中でも迷いなく飛ぶ豪気な奴だけど……ここじゃ力を持て余すんだろ」
「気持ちは分かるけど頼むからじっとしててくれ」
「確かに団長が駐屯地にいる時はこういう行動絶対取らないもんな」
「やっぱり俺たちは暇つぶしにからかわれてんだな……」
「大人しく絵でも描いててくれんかね……」
「止まってくれたのはいいけど今度は帰ってくれんぞ」
「ビクともしねえな」
「フェリックス~。厳密に言うと駐屯地から許可無く出るのも規律違反になるんだぞー」
「完全に無視してますね」
「やっぱネーリ様が特別過ぎるんだよ。元々はこうやってフェルディナント将軍以外の言うことは聞かない奴だった」
「気難しいってこいつ最初言われてたもんな。気位高くて全然命令に従わなかった。無理に従わそうとすると激怒して暴れたりしてたし」
「そういやなんで団長には従うようになったんだっけ?」
「調教が必要な竜はいるけど、フェリックスはそうならなかったよな」
「いやだからそこがこいつの変わってるとこなんだよ。ものすごく反抗的な態度を取ったし人に従わなかったし攻撃的な性格をしてたから騎竜になれないタイプなのかなと思われてたけど、団長には数日一緒にいただけで従うようになった。
自分で主を見つけて認めると、こいつはそうなんだよ。団長と組んでからは一度も反抗的な態度も見せたこと無いしな。他の人間が気安く触ろうとするとやっぱり怒って暴れる素振り見せるし」
「ある意味本当に竜っぽい性格なのかもしれん」
「確かになあ」
「いやだからこそ俺、こいつがネーリ様乗せたって聞いて驚いたよ。団長以外を乗せられるような奴じゃないの分かってたし」
「それ言ったらネーリ様が刺された時助けに行ったのだっておかしいだろ」
「どこで刺されたかはまだ分かってないんだろ? 干潟の家じゃないんだよな」
「この近くなのかなあ。でも街だったらこんなデカいこいつがうろついてたら絶対目撃されるはずだもんな」
「まあそのことは……ネーリ様が団長に話せることは話してるさ」
「あまり勘ぐるな。画家には辛い記憶だろうし」
「勘ぐったわけじゃないよ。ただフェリックスがどこに飛んでネーリ様を見つけたのかが知りたいだけだ。遠くだったのかなって」
「お前が言葉を話せたら便利なのになぁ」
軽くぽんぽん、とフェリックスを叩くと、グルグルと言いながらおもむろにまた竜が立ち上がった。
「なんだよ。怒ったのか?」
「怖いからお前あんまりフェリックスを触るなよ……お?」
また歩き出したフェリックスを捕まえようとした五人はその時、街道の遙かに遠くから駆けてくる一騎に気付いた。昼下がりの明るい光の中、軽やかに走ってくる。
「フェリックス!」
ネーリは颯爽とやって来ると、何故かそこにいるフェリックスに目を輝かせて、馬上から飛び降り、お行儀良く座り直したフェリックスの首にしがみついた。
「こんなところまで来てるの初めてだね。どうしたの」
「クゥ」
「ネーリ様、お久しぶりです」
「お久しぶりです皆さん」
ネーリはしばらく街にいると聞かされていた騎士達は、フェリックスの行動のこともあり、一瞬呆気に取られた表情も見せたが、ここにいる彼が幻でないのだと確信を得ると、ホッとしたように笑った。
「やっぱりネーリ様が理由だったのか」
「?」
「いや、フェリックスがさっきにわかに駐屯地を出て行きまして……街に行くつもりなのかと驚いて」
「最近駐屯地前の海は見てたんですが。街道をここまで来たのは初めてです。でも……街に行くつもりはなかったんだな。貴方がこっちへ向かっているのが分かったから、迎えに行くつもりでこのあたりまで来たんでしょう。この街道は我々の駐屯地にしか続いてませんし、用の無い人間は来ない場所ですからね……全てを分かってて来たんでしょう」
そうなの? とネーリが見ると、フェリックスは金の瞳をピカピカさせて見つめ返して来る。
「でもこいつは新しい騎士館の方にいたから、あそこからネーリ様の動きを察知したとなると、やっぱり竜の感覚というのは他の動物とは比べものになりませんね」
竜は戦場の遠くを見通すとも言われて、竜騎兵の彼らもそのことは十分に理解していたが、具体的にどれだけの範囲を竜が察知しているかは彼らにも正確なことは分かっていない。個体によってもかなりばらつきがあるからだ。
「分かったよ。フェリックス。お前は変な規律違反なんかプライド掛けて絶対しないわけだな。お前が動く理由は団長かネーリ様だけ。そう言いたいんだろ」
「ネーリ様、駐屯地にご用でしたか?」
ネーリ・バルネチアは嬉しそうに首を振る。
「今、街でフレディに会ってきました。今日は駐屯地に泊まっていいかなって聞いたらいいよって言ってもらえたから。また駐屯地の絵を描きたいからいっぱい紙持って来たよ」
肩に掛けてきた鞄から紙を出して見せれば「クゥ!」とフェリックスが嬉しそうに鳴いた。
「そうでしたか。ネーリ様のお部屋はずっとそのままにしてありますから、すぐにでも休憩出来ますよ」
「ありがとうございます。でもまず久しぶりに竜が描きたい」
騎士達が笑いながらネーリの鞄と、乗ってきた馬を預かり、駐屯地へと一緒に歩き出す。
騎士達を引きずりながらここまでやって来たフェリックスが、ネーリの歩調に合わせて隣で駐屯地まで歩いて行く姿には、彼らは本当に驚くばかりだった。
「ディアロ。なにしてる。早く馬を持ってこい」
一番竜騎兵団で若く、小柄なディアロ・ダフネが馬の手綱を握ったままなのに気づき、先輩騎士が振り返って声を掛ける。
「何をボーッとしてるんだ。馬が動かないか?」
竜は地上最強の生物である。
その為、他の動物と鉢合わせた時、その動物が恐怖で動かなくなることがよくあった。
しかし、そういうわけではないらしい。
この馬は元々駐屯地にいた馬なので、竜にはもう慣れていた。
「なんだ。ネーリ様に見蕩れてたのか?」
別に悪意のある言い方ではなく、からかうように彼は言った。
ディアロは竜騎兵団の一員としてこの地にやって来たが、正式には彼はまだ竜騎兵ではない。見習いだ。自分の正式な騎竜もまだ持っておらず、先輩の騎竜の世話をさせてもらいながら、まずは色々な個性を持つ竜に慣れたり、見分けられる力を今現在培っている。
フェリックスは特に気位の高い個体なので、世話はフェルディナントが、トロイか、彼ら付きの従者にしか許さない。
主以外に気安く世話をされるのが嫌いな竜は決して珍しくないのだが、大概は時間を掛けて側にいれば、身体などは洗えるようになる。フェリックスの場合は本当に怒って手が付けられなくなるタイプなので特別気性が激しいのだが、大概は自らの竜騎兵が任せた従者になら、世話を許すものだ。
つまり、ディアロはそういう経験も今積んでいる時期なのである。どの竜だろうと一応世話は出来るようになれば、そろそろ自分の騎竜を持っても大丈夫だな、ということになる。竜は序列を作る生き物なので、世話を出来る竜の数が増えるほど、騎竜もその人間を尊重したりするようになるからだ。
ディアロ・ダフネはそういう意味でも、竜騎兵でもなく『刷り込み』という因縁があるにせよ、単なる画家のネーリが、フェリックスに懐かれている様には今でも驚きが隠せない。竜を学んでいる最中の彼は、余計にネーリが特別な存在に思えた。
彼はヴェネトの人間なのに、なんであんなに普通に竜に接することが出来るんだ、とネーリを驚きながらも眺めるうちに、気付いたのである。
(フェリックスだけじゃない)
最初はフェルディナントも「フェリックスは特別だが、他の竜にはあまり触れない方がいい」とネーリに言っていて、彼もそれに素直に従い、他の竜を見たい時は他の竜騎兵に同席してもらい、離れた所から眺めるだけに留めていた。
しかし駐屯地で過ごすようになり、また一時傷を負ってから、その傷が癒えた後、駐屯地でまた絵を描くようになると明らかに竜達の反応が変わったのだ。
ネーリがやって来ると、歯牙にも掛けない相手なら見向きもしない竜が、彼の方を見るようになった。これは竜騎兵などに竜が見せる行動で、相手を信頼している時に見せる行動の一つだ。
騎士達も驚いていたがどの竜もそういう反応を示すので、最近ネーリ・バルネチアは、フェリックス以外の竜にも近づき、触ることが出来るようになった。彼が竜騎兵ならば、そろそろ自分の竜を持っていいだろうと先輩に言われるような兆しである。
しかも、普通は従者が竜の世話をする時は、竜はあまり従者の顔を見ない。
ディアロ自身、なんとなく彼らから伝わって来るのが「世話をしてもいいぞ」という感じの空気であり、ネーリの場合そういうものともまた違うのが不思議だった。
この竜騎兵団の隊長騎であるフェリックスがネーリに懐いているので、余計に他の竜も彼を尊重したり興味を持っているのかもしれないが、明らかにネーリの場合は、竜達が彼に対して自発的に興味を示しているのを感じる。これはディアロからすると、驚くべきことなのだった。
何故あんなことが出来るんだろうとよく彼が話すので、先輩騎士達からは「憧れるだけにしておけよ」と笑われているのである。ディアロは慌てて首を振った。
ネーリは彼にとって、憧れの雲の上の存在のような人であるフェルディナントが尊重する画家だ。横恋慕などとんでもないことはちゃんと分かっている。
彼はただ、感嘆しているのだ。
すごい人もいるんだな、と。
今日もからかわれたが、ディアロは今日は、別のことに驚いていた。
「いえ……違います。ネーリ様は馬に乗るのもお上手なんだなって驚いて」
ん? と先輩騎士は小首を傾げる。
「前から一人で乗っておられただろ」
「は、はい。それはそうなんですけど。でも今駆けてきた時、立って乗りこなしておられました。かなり駆らせていた感じですし。ネーリ様はただの画家なのに、なんであんなことが出来るんだろう?」
言われて気付いたように、先輩騎士は腕を組む。
「……まあ確かにな……。ヴェネトは開けた地形も街にはあんまりないし、ネーリ様は教会に庇護を受けて生活してこられたというから、馬の世話とかはなさっていたらしいんだが、馬に乗れるのと全力で駆らせられるのはまた全然違う能力だからな」
確かに今さっきも随分遠くから駆らせてきたが、危なげも無く、美しい乗り方だった。
あまりに危なげが無いから、言われなければ気付かなかったほどだ。
「幼い頃は貿易商の祖父の元で裕福な生活をなさっておられたらしいからな。それで馬の扱いは教えられたのかもな」
実のところネーリの素性はまだ駐屯地の人間はよく分かっていない。
フェルディナントの大切な客人なので、その辺りの事情を詳しく聞く者もいない。
「でも、十年前くらいにそのおじい様とは死に別れてしまったんですよね? 幼い頃教わった馬術で、今もあんなに馬が扱えるなんてすごいです」
うーん……。と先輩騎士も少し考えていたが、歩き出す。
「フェルディナント将軍があんなに寵愛なさる才能だ。貴族の屋敷とかでも絵をきっと描いて来られたんだろう。馬遊びくらいはして来たんじゃないのか。
まあそれは不思議じゃないにしても、確かに単なる画家にしては、ネーリ様は運動神経がいいと俺も思うぞ。フェリックスにも二度ほど乗って飛行したことがある。普通の人間はいくら将軍が一緒に同席なさっても、竜でいきなりは飛べん。あれも確かに凄い」
「そ、そうですよね」
「豪気なんだよ。あの人は」
やっぱり竜騎兵の人が見てもそうなのか、とディアロはしきりに驚いている。
「不思議な人だなあ……」
「ディアロ行くぞ! 早く馬を連れてこい」
「あ、はい!」
立ち竦んでいた彼は慌てて頷くと、馬を引いて歩き出した。
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