第5話 訓練課程

「俺はここまでだ」


 訓練場の手前でエージェントは足を止めた。

 

「威嚇よ、お前がどんな悪魔祓いになるのか、楽しみにしている。訓練課程を終えれば、きっとまた会えるだろう」

 

 エージェントと別れた後、訓練場に集まっている集団に加わった。

 その数は20名ほどいる。見たところみんな俺より年上で、10歳~15歳くらいまでの子たちが集められているようだった。


 事前に聞いた話では、みんな赤井家の運営する孤児院出身の子供だという。赤井孤児院は東京、埼玉、神奈川にかけて展開しており、エージェントたちは時期をあわせて年度ごとの訓練課程に進む子供たちを赤井家の屋敷に集めるのだ。


 まわりを見たところ、皆、2~3人くらいのグループを作っており、親しげに話していた。きっと同じ孤児院の子なのだろう。今年度、うちの孤児院から訓練課程に進んだのは俺だけだ。特に話し相手もおらず少々気まずい気分。


 暇だな。仕方がない。

 腕立て伏せでもするか。


「なんか腕立て伏せ始めたやついるぞ」

「ちっちゃくね? 何歳だ?」

「ちっちゃいのに、なぜかデカいな……」


 皆の視線が集まっている。

 甘美なる気分だ。痺れるねえ。

 全日本選手権を制覇した時を思い出す。

 皆が俺を見ていた。皆が称えていた。


「こわ……」

「化け物みてえな体」

「得体が知れなすぎる」

「近づかないほうがいいな」


 思ったよりネガティブな反応。男の子たちなのでてっきり俺の筋肉に注目してるのかと思ったが。


 しばらくして大人が近づいてきた。同年代の子供たちが、射撃訓練しまくっている方向からだ。


 腰に銃をさげ、黒い迷彩服を着こみ、目力は非常に強い。そんなおっさんだ。彼は「クソガキども、背の順で整列しろ!」と叫びながら、俺たちの前にやってくる。思わず背筋が伸びる恐ろしい怒声に、皆、慌てて列を成した。


 彼はバインダーファイルをチラと見てから、俺たちを睥睨する。

 

「人数は揃っているようだな! よく集まったカス野郎ども! 逃げ出さずに訓練課程に参加したことは褒めてやろう! 俺の名前は斬鮫きさめだ! 斬鮫教官と呼ぶように。わかったのなら返事をしろ!」


「は、はい!」「わかりました!」

「了解であります!」「いえっさー!」


「まとまりのないクソガキどもが! 俺をイラつかせた罪を償え! 訓練場を3周してこい! いますぐだ! 走れ! 走れ! 走れぇ!」


 子供たちは恐怖に駆られて走りだした。

 3周が終わる頃には皆、膝に手をついて息をしていた。


「この程度で根をあげるとはすぐに悪魔に殺されそうな雑魚ばかりだな!」


 教官の眼差しが俺で一瞬止まって、次に行こうとして二度見してくる。「ごほん。変な奴もいるようだな!」そう言って、教官は気を取り直した。


「貴様らは今日より悪魔祓いを目指す! 本訓練課程の目的は、第十級悪魔祓いの免許を取得することだ! 貴様らは霊傷が刻んだ運命から決して逃げることはできん! 同時に孤児院はいつまでも貴様らのような穀潰しの面倒を見ることはない! 人間である以上、一人前になったら自分の力で生きていかねばならん!」

「うぅぅ、シスター、マザー、家に帰りたいよぉ……」


 斬鮫教官の怒鳴り声にメンタルの限界を迎えたのは優しそうな顔の弱々しい男の子だった。さっそくホームシックらしい。


「貴様ぁ! 立て! 立つんだ! 俺を見やがれ!」

「ひぃい……っ」


 教官は少年の胸倉を掴んで、片手で持ち上げた。


「お前のような弱い奴は、真っ先に悪魔に頭からかじられて絶命だな! どうせ死ぬのなら俺がこの場でぶち殺してやろうか!?」

「うわぁあああ!」


 銃口が子どもの頭につきつけられる。 

 現場は騒然。皆、青ざめた顔をしている。


「いや、嫌です、死にたくないですっ」

「よろしい! では、もう二度とその女々しい顔を見せるな! 次に俺をイラつかせたらそのブサイクな鼻を引きちぎってやる! 返事をしろ!」

「い、イエッサー!」

「ここは軍隊ではない! 返事は”はい”だろうが! このマヌケめが、訓練場をもう1周してこい! 走れ! 走れ! もっと速く走れぇ!」


 尻を蹴飛ばされた少年は、訓練場を走り始めた。

 彼は戻ってくるなり、肩で息をしながら列に加わり、もうそれ以上、余計な言葉を発さなかった。教官はビビり散らかしている少年たち──俺を含む──を睥睨へいげいする。


「いいか、よく聞けよ、小便くさいクソガキども。お前たちはこれまで優しいマザーに大切に育てられてきただろうがな、それはひと時のぬるま湯に過ぎない! もうとっくにお前が揺蕩たゆたう湯舟は冷めきった! ここから温かくなることは決してない!」


 マジか。もうちょっと湯舟にいればよかったかも。


「貴様らは凡人だ! 悪魔祓いの血統はおろか、魔法使いの血すらひいていない! 悪魔たちを前に力無きお前らができることは何ひとつとしてない! ただ奪われるだけのか弱い存在だ。断言しよう。お前たちの最期は悪魔に殺されるだろう」


 子供たちは皆、嗚咽を漏らして泣き出す。


「だが、この先、冷めきった絶望しか待っていないお前たちでも、どうにか生きれる手段がある。強くなることだ。悪魔を退ける力を学び、体得することだ。強くなれ。強くなるのだ。そうでなければ、お前たちは生きることも許されない」


 怒声はいつしか諭し、ハッキリと聞かそうとする落ち着いた声へ変わった。


「しかし、覚えておけ。もし悪魔祓いの免許を獲得したとしても、この中で酒が飲めるような年齢になるまで生きている者は、せいぜい2、3人だろう」


 2、3人……か。

 10人に1人くらいしか大人になれないと。


「だったら、悪魔祓いになんかなりたくないです……っ」

「甘えるなッ! 悪魔は待ってはくれない! こちらから赴かずとも、貴様たちに霊傷を刻んだ悪魔は、熟した果実を収穫するかのように、貴様らの目の前に姿をあらわす! 逃げようと隠れようとも無駄だ! その日は必ず来る!」

「ぅぅ、ぅう」

「お前たちを狙う悪魔は霊傷を刻んだ者だけではない。ほかの悪魔たちにとっても、霊傷を負ったものは美味しくみえる。お前たちは生涯、悪魔から逃げることはできない。ゆえに最期は必ず悪魔に殺される」


 悪魔祓いにならずとも死ぬ。

 悪魔祓いになっても死ぬ。

 霊傷……忌々しい呪いだ。


「だが、死ぬまでに出来ることがある。抗うための時間がまだある。お前たちは食って寝て死を待つだけの家畜ではない。この世に産まれ落ちたからには、必ず意味があるはずだ。あるいは無くとも、生のなかで意味を見つけることができるはずだ。そのためには生きていなければいけない。死ぬ気で強くなれ」


 教官の演説が終わる頃には、少年たちの表情は心なしか引き締まっているように見えた。


 教官は右から左へゆっくりと視線を動かして、納得したようにちいさく頷く。


「では、これより第102期訓練課程を開始する! まずは基礎体力作りからだ! 走れガキども! 死ぬ気で走れッ!」

 

 初日の訓練は基礎的な運動から始まった。走り込み、自重トレーニング、そして走り込み、そして自重トレーニング。教官は俺たちを疲れ果てさせるために、絶え間なくメニューを出し続けた。いつ終わるかわからない地獄が、ようやく終わりそうな雰囲気を出してきたのは、日が暮れてからだった。


「さあ、最後の10周だ! これが終われば今日のところは勘弁してやろう!」


 死にそうな顔の少年たちは、ぐにゃぐにゃのフォームでまた走りだした。あらゆる筋肉が疲弊しきって、まともな姿勢を維持できていない。


「お前はまだ余裕そうだな」

「鍛えていますので」

「そんなもの見ればわかる。ふむ、その歳でその体つき。そして、訓練課程に進んでくるとは。やる気があると見える!」

「ありがとうございます、教官」

「よおし! 貴様は追加科目のランニング、訓練場をひとりだけ追加で10周だ!」

「教官、それはあんまりです」

「なんだと!? 口答えするつもりか!! では、追加でもう10周、他人より20周多く走れい!」

「いいえ、この威嚇、ぶっ倒れるまで走らせていただきます!」

「そうか! ……は?」


 教官は一瞬言葉に詰まってから──。


「……よろしい! 頭がおかしいようだな! では倒れるまで走れ!」

「ははぁー!!」


 教官の演説でより一層、俺は呪われた運命を自覚できた。モチベーションが高まらないわけがない。俺は死ぬ気で強くなるしかないのだ。


 全部やる。

 伸びしろの余地を残さない。

 それでようやく正しい。

 俺はそう思う。


「今日はここまでだ! カス野郎ども! 寄宿舎に戻り、休むといい! 解散!」

「あの、教官、威嚇がまだ走ってます……」

「あれは頭がどこかおかしい! お前たちは先に帰れ!」


 俺は反吐を吐きながら、訓練場を85周して倒れた。

 目が覚めると教官に抱っこされ、寄宿舎に運びこまれていた。


「教官、運んでいただきありがとうございます」

「この俺に初日から運ばせた奴はお前が初めてだ、威嚇。ついでにいえば、初日で名前を覚えてしまったのもお前が初めてだ」

「それは嬉しいです。では、ちょっと失礼」


 俺はバニラプロテインを摂取して、さらにもう一杯、同じシェイカーで作っておく。


「ん? 何をしている?」

「プロテインの準備です」

「なぜ準備している? いま飲んだだろう」

「これから締めトレいくので」

「ラーメンで締めるみたいに言われても……」

「スクワット系で攻めていこうと思います。生まれたての小鹿まであと少しです。では、失礼します。あっ、気絶しているかもしれないので、気が向いたらトレーニングルームを覗いてくれると嬉しいです」


 俺はぺこりと頭を下げて本日の締めトレに向かった。

 

「頭のネジが飛んでいるな……」


 背後から困惑した声が聞こえた気がした。

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