第2話 威嚇の流儀

 転生から2年が経った。

 赤井孤児院での日々は淡々と流れ続けている。

 自重トレーニングは続けている。


 背中、肩、腕、胸、足──基本的な五分割法による日ごとの鍛錬だ。日に分けてそれぞれの部位を追い込み、超再生による筋繊維の強化(筋肉痛)が行われている間、ほかの部位を追い込むのだ。こうすることで効率的に鍛えることができる。


 なお筋肉痛が残っている状態で、同じ部位の筋トレをしても、効果は薄い。むしろ逆効果に繋がる可能性さえある。しっかりと筋肉が回復してから、もう一度、痛めつけ追い込む。これがトレーニングの最も基礎的な部分であり、重要なことだ。


 もちろん手首リスト握力グリップ、腹筋の鍛錬も欠かさない。


「院長! また威嚇が滝のような汗を流して腕立てしてます!」

「今にも倒れそうな顔して……焦点があってないわ!」

「もう放っておきなさい。どこかおかしいのよ」


 失礼な言われようである。

 徹底的に追い込むことの何が悪い。

 ぶっ倒れるまでやるって言葉あるだろう?

 それを実践しているだけだ。


 これこそ俺の──威嚇いかくの流儀なのだ。


「はぁ、はぁ、あぁぉぉぉぉーんッ!」

「威嚇くんがまた咆哮あげながら腕立てしてる!」

「こわいよ~!」

「あぉぉおーんッ!」


 肉体と精神の限界に挑む。

 その先に究極はある。

 やるからには徹底的に。

 

「あぁぉぉぉ──バタッ」

「威嚇くん気絶した!?」

「白目剥いてる!」


 腕立て伏せをして、休んで、腕立て伏せをし、また休む。腕立て伏せが出来なくなるまでこれを繰り返す。今日は完全燃焼に7時間かかった。


 精神は物質ではない。

 ゆえに折れない。ゆえに砕けない。

 だから先に物質たる肉体が限界に達する。


 トレーニングが終わったあとはしっかりプロテインを補給だ。



 ~転生から2年半経過~


 

 たまに孤児院にお客さんがやってくる。子供たちを2階に追いやって、院長が対応するお客さんだ。黒いハットに黒いコートを来た男たちで只ならぬ雰囲気がある。


「誰なんですか」

「赤井家の人だよ! 悪魔祓いの人たち!」

「悪魔……ですか」

「悪魔をやっつけて街を守る! 赤井家の人たちはかっこいいよね!」


 悪魔。恐るべき化け物。

 たびたび聞こえてくる単語だなーとは思っていた。

 時間が経つと次第にその単語の全容が見えてきた。


 どうやらこの世界、悪魔がでるらしい。

 それもわりと高頻度で。


 伝説上の生物というわけではない。

 人々の命と心の平穏を脅かす実害としてだ。


 人に化けて、社会に潜み、陥れる。

 毎年数万人が悪魔被害で亡くなっているとか。

 

 聞くほどに身の毛もよだつような話だ。

 こんな危ない世界でどう生きていけばいいのか。

 俺には筋トレくらいしか対抗策が思い浮かばなかった。


 しかし、人類もただ黙っているわけではない。

 恐るべき悪魔たちに対抗するため、人間の世には『悪魔祓いエクソシスト』という職業があるのだ。彼らは悪魔をぶっ殺して地獄に送り返す専門家とのこと。


 赤井家はそんな悪魔祓いを代々生業として、世の平穏を守っている由緒正しい武門なのである。


 いやはや、俺の命を救ってくれただけでなく、なんと立派な家なのだろう。そんな立派な仕事をしているのなら、孤児院の隣にある巨大な屋敷を所有しているのも納得だし、恵まれない子供を育てる立派な事業に取り組んでいるのも納得できる。


 そんなわけで、俺が前世の日本とまるっきり同じと思っていたココは、どうやら少し違うらしいのだ。パラレルワールドっていう奴なのか、神の悪戯なのか。


 少し頭を捻ったあと、俺は考えるのをやめた。

 気づいたら懸垂をしていた。答えのでない思索に費やす時間があるのなら、僧帽筋そうぼうきんをいじめたほうが有意義だからだ。



 ~転生から3年経過~



 この世界が少し違っていて、かなり危険なことを知ってから、俺のトレーニングへの情熱はさらに増していた。


 強くなること。それ自体がこの世界では意味があることだ。前世の世界ではハッキリ言って体を鍛えたところで、さほど実用性はなかった。


 トレーニングは楽しい。

 デカくなっていくのは楽しい。

 実用性があるのはもっと楽しい。


 また個人的な楽しみ以上に、トレーニングへの情熱が増す理由がある。


 たびたび赤井家のエージェントが孤児院を見に来る。

 志願した子供や、見込みのある子供を連れていくためだ。

 連れていかれた子供は、悪魔祓いになるための訓練をしているらしい。


 まるで少年兵を鍛えているように聞こえるだろうか。

 でも、これは仕方のないことらしい。


 この『赤井孤児院』に流れついた子供たちは、様々な背景こそあれ、皆とある共通点を持っている。


 それは『霊傷れいしょう』があることだ。

 俺にもある。黒いタトゥーみたいな痕跡だ。


 これは霊的存在に干渉された痕跡らしい。

 ありていに言えば悪魔に攻撃された証だ。

 

「悪魔は同じターゲットを付け狙う。弄り、愉しみ、奪い、嗤い、喰らう。ほかの悪魔も霊傷を負った獲物を狙う傾向がある。それは死ぬまで消えることはない。悪魔と関わってしまったものは、身を守る術を身につけなければならない」


 そういうわけで、霊傷を受けてしまった子供は、だいたいが赤井孤児院のような特殊な場所へと託されてしまうのだ。


 この孤児院の子供たちには、選択肢が用意されている。

 赤井家で訓練を積み、悪魔祓いの力を身に着けるか。

 あるいは養子縁組を組んで、一般家庭に引き取られるか。


 後者が成立する場合は極めて稀だという。わざわざ霊傷がある子供を養子に迎える物好きはいないからだ。


 ゆえに赤井孤児院の子供には、実質的にひとつの選択肢しか残されていない。


 なお悪魔祓いになれた後は、悪魔祓いギルドという場所に歓迎されるらしい。運がよければ赤井家の悪魔祓いとして直接召し抱えられることもあるらしい。


 命の恩人へ報いる進路があらかじめ用意されている。

 これが俺の鍛錬への情熱が増しているもうひとつの理由だ。


 俺は迷わずにそこを目指せばよいだけ。

 道がひとつしかないのなら選びやすい。

 偶然にも俺が取り組みやすい分野なことだし。


「ふん! ふん! ふん!」

「威嚇、今日もトレーニングを……」

「あの子はもしかしたら最初から察していたのかもしれないわね。自分の運命を。この先に待つ過酷な宿命カルマを──!」


 院長は眼鏡を白光しろびかりさせて重くつぶやいた。


「だから、ずっと鍛錬を!?」

「ええ、間違いないわ」


 そういうことでいい。

 その方が格好いいから。


「ぐへっ」

「ぁぁ! 腕立て中にまた気絶したわ!」

「なんて精神力、常軌を逸している……」

「目覚めたらすぐにプロテインと鶏むね肉を食べれるようにしてあげましょう」


 シスターと院長たちが話している光景が見える。

 それに気絶した俺の肉体も。


 それを他人事のように宙から眺めている。

 これが一体どういう状態なのか。

 疑問に思われるだろう。


 安心して欲しい。

 俺にもわかっていない。


 推測することはできる。

 恐らく肉体から魂が出ちゃってるみたいな感じだ。幽体離脱みたいな。最初に”コレ”が起こったのは、1歳の誕生日、第二の人生でトレーニングを始めた日だ。


 あの日も当然、精神より先に肉体が限界を迎えて、失神によって筋トレは終了した。その失神した瞬間、俺は幽体離脱したのである。


 おかしな現象だ。

 でも、慣れた。


 もう2年くらい繰り返しているから。

 威嚇の流儀において、失神は至高の終わりだ。

 肉体の限界を精神が追い越したわかりやすい指標ゆえ。

 だから俺はそこを目指す。

 なので週に1、2回は幽体離脱するのだ。


(おっ、そろそろ、肉体に戻りそう)


 魂が肉体に引き込まれたあと、俺の視界はちゃんと肉体視点に戻る。

 この不思議な現象は、俺の特殊能力なのか……あるいは肉体の限界を責め過ぎた結果、肉体が精神を恐れて追い出しているのか──いずれ答えは得られるだろう。


「んー! はぁ、身体が動かない。今日も頑張ったな、俺」

「威嚇、はいどうぞ、バニラプロテインでよかったかしら」

「ありがとうございます、院長。本当に助かります」


 追い込んだあとは栄養摂取と休息が重要だ。

 明日は足トレの日。一番キツイ日だ。

 しっかりと睡眠をとって備えよう。

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