第39話 成海と唯月

「ごめんね、音咲おとさきくん。こんな時間に、わざわざ来てもらって」

「……まあ、別にいいけど……でも、いったいなんの用?」



 翌日、放課後にて。

 そう、怪訝そうに尋ねる美少年。今、僕らがいるのは四階隅の教室――現在いまはもう使用されていない、半ば物置きと化している空き教室で。


 ところで、放課後とは言ったものの――外は、もうすっかり茜色に染まっていて。つまりは、とうに授業が終わった後、わざわざ時間を空けて来ていただいたわけで。もちろん、申し訳ないとは思ったけど……だけど、万が一にも他の人の耳に入っちゃいけないから。と言うのも――



「……うん、どうしても聞きたいなと思って。きっと誰にも言えず独りで抱えている、君の苦痛について」


 そう、じっとを見て告げる。何とも唐突――と言うか、普通にわけの分からない発言だと自分でも思う。そして、そんな僕に対し――



「………………」


 ぎゅっと口を結び、じっとを見つめる音咲くん。その表情かおには、怪訝も呆れの様子もない。どころか、その瞳には不安……いや、恐怖の色さえ揺れていて。そのに――確かに見覚えのあるその瞳に、僕は改めて確信に至る。そして――



「……ねえ、音咲くん。君には、好きな子がいるんだよね? ――好きな、男の子が」



 そう、ゆっくりと告げる。その尊い心に、無遠慮に刃を突き立てる――そんな非道極まりない自身の行為に、ズキリと胸が痛む。だけど、当然のこと悲鳴を上げる資格なんて僕にない。ぐっと苦痛いたみを堪え、返事を待っていると――



「……ほんと、なんで知ってんだよ」



 そう、淡く微笑み答える音咲くん。半ば諦めに近いような、寂しい微笑えみで。それから、少し間があって――



「……ああ、そうだよ。そして……俺のせいで、そいつは傷つき学校に来なくなった」






『――ほら、早く来いよ唯月いつき!』

『……ま、待ってよ成海なるみくん』



 五年前の、夏の日のこと。

 小学校からの帰り道、駆け足のまま後方へと呼び掛ける。手を膝に突きこちらをみつめる、柔らかな顔立ちの美少年へと。

 彼は、杉崎すぎさき唯月――前年からのクラスメイトで、俺にもって唯一無二の友人だ。……全く、しょうがないなぁ唯月は。


『ほら、唯月』

『……あ、ありがとう成海くん』

『……お、おう』


 そう、駆け寄り告げる。すると、そっと手を出し掴む唯月。さっと差し出した、俺の右手を。


 ……この時は、まだ知らなかった。その時の彼の笑顔に、その手の温もりに、どうしてこんなにも心臓むねが脈打つのか。




 ――すると、そんなある日のことだった。



『――あの、唯月くん! その……あたしと、付き合ってほしいの!』



 放課後、校舎の裏からふと届いた大きな声。誰の声かは分からない。分かるのは、たぶん女子だということくらい。……でも、その相手――告白の相手については、俺のよく知る……いや、でも名前が同じ別人の可能性も――


『……その、ありがとう。三澤みさわさんの気持ち、すごく嬉し――』



 ……うん、唯月だ。間違いなく、俺のよく知る優しい男子だ。まあ、驚きはしないけど。少し気弱だけど、モテる要素も多いと思うし。


 ともあれ、その後も悪いとは思いつつも耳をそばだてる。すると、聞こえてきたのは申し訳なさそうな唯月の声。そんな彼の言葉で生じたのは、どうしてか心からの安堵……そして、それまで覚えのないほどの速度で脈打つ鼓動。そんな、我ながら何とも不可解な状態の中――



『…………そっか』



 そう、ポツリと呟く。……そう、分かっていた。きっと、とうの前から分かっていたんだ。




 それから数日後、俺は唯月へと想いを告げた。ほんとに……本当に怖かった。それは、振られることもそうだけど……それ以上に、気持ち悪いと思われることが……嫌われることが、怖かった。


 すると、果たして彼は戸惑っていた。……まあ、そうだよな。俺自身、未だに戸惑ってるくらいだし。


 それでも、ちゃんと返事をくれた。甚く申し訳なさそうな……それこそ、泣きそうな表情かおでちゃんと返事をくれた。本当にごめん、と。そんな彼の姿に、言葉にズキリと胸が痛んだけど……それでも、嬉しくもあって。俺の気持ちを、こんなにも真っ直ぐに受け止めて返事をしてくれたことが嬉しくて。こいつを好きになって、本当に良かった――そう、心から思えた。


 そして、これからも……もしかしたら、最初はぎこちなくなるかもしれないけど……これからも、今まで通り友達として共に時間ときを過ごしていける――この時は、そう思っていたんだ。




『…………ん?』


 翌朝、教室に入るなり声を洩らす。と言うのも……なんか、いつもと雰囲気が違うから。なんか、俺達を……特に、俺を見る皆の目がどこか違う。異物を……いや、なにか不気味なものを見るような目で。


 ともあれ、怪訝に思いつつも足を進める。すると、席に着くなりこちらに近づいてくる一人の生徒。このクラス――五年一組のリーダー的存在の男子だ。……でも、どうしたんだ? こいつが、いったい俺に何の用――



『――なあ、音咲。お前、杉崎に告ったんだってな?』


『…………え?』


 刹那、思考が止まる。……なんで、そのことを……いや、そんなことより――



『……ああ。けど、唯月は断った。だから……おかしいのは、俺だけだ。だから、唯月は……唯月だけは、変な目で見ないでくれ』

『……成海くん』


 そう、声を振り絞り告げる。目の前の男子だけでなく、教室ここにいる皆に。その後、視線を移すと甚く心配そうな表情かおの唯月と目があって。……ごめんな、唯月。でも、お前だけはまも――



 だけど……俺に、そんな力なんてなく。俺との件で唯月は揶揄かわかわれ、心ない言葉を浴びせられ――そんな日々が続いたある日、彼は姿を見せなくなった。







 

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