第21話 帳が下りた屋上で

 ――――時が、止まった気がした。



 ……今、どんな心境なのかな? 困惑? 嫌悪? それとも……少しは、慰めになってたりするのかな――なんて、流石に思い上がりかな?


 ただ、彼の方はともあれ……私は今、とても幸せで。このまま、いつまでも重ねていたい……溢れるほどのこの愛情おもいを、残さず全て貴方の中に注ぎ込みたい。



 ……でも、足りない。接吻これだけじゃ、全然足りない。もっと、もっと愛情おもいを……私の全てを、貴方に知ってほしいのに。





 ――時は、数日前に遡る。



『――あの、由良ゆら先生』 

『ん、どうかしたのかな蒔野まきのさん』

『……あ、いえ……何でもないです』



 放課後、教室を後にし廊下を進む由良先生を呼び止めるも、自身で言葉をとどめる。きっと、何かを察したのだろう。どうか、何も聞かないでほしい――そんな悲しくなる意思が、私の良く知る穏やかな微笑から明瞭に見て取れたから。


 ともあれ――そんな彼の様子から、確信に至った。やはり、何かあったのだと。彼の心に、浅からぬかげを落とすような何かが。



 だけど、流石にそれが何かまでは分からない。少なくとも、昨日までは変わりは……いや、私のことで頭を悩ませてくれていたであろうことは分かっていたし、変わりはないと言うのもどうかとは思うけど……ともあれ、昨日までとは何かが明確に違うことは明白で。


 ……さて、どうしようか。あの様子だと、直接聞いたところで教えてはくれないだろう。だけど、当然ながらこのまま放っておくわけにもいかない。まあ、自身の苦痛すらどうにか出来ていないくせに人の心配している場合か、とは思うものの……それでも、やっぱり放っておくわけにはいかない。だって、彼は紛れもなく私の恩人なのだし。……さて、どうしたものか――


 

『…………ん?』


 思考を巡らせつつ家路を歩いている最中さなか、ふと前方の光景に声を洩らす。と言うのも――



『……藤宮ふじみや、先生……?』


 そう、ポツリと呟く。視線の先には、恐らくは帰宅途中の藤宮先生の背中。でも、今まで帰り道で彼女の姿を見たことは一度も――


 ……いや、何でも良いか。教師と生徒では基本的に帰宅時間も違うだろうし、そもそも私は一ヶ月くらい登校してなかったのだから、今まで見ていなくてもそれほど不思議でもないし……何より、繰り返しになるけど別に何でも良いし。



 ともあれ……さて、どうしようか。いや、どうするも何もないんだけど……ただ、今辺りに人は――少なくとも、当校の関係者はいないようなので振り向かれると何となく気まずい。もちろん、気にする必要などまるでないのは分かってるのだけど……まあ、それでも――


 ……うん、やっぱり変えようかな、道。少し遠回りになるけど、気まずくなるよりは良いし……それに、何処までかは分からないけど、正直のところ彼女の姿はあまり見ていたくない。我ながら狭量だとは思うけど、あの人の恋人の姿なんて――



『…………ん?』


 そんな陰鬱な思考の最中なか、ポツリと声を洩らす。そんな私の視界には、向こうから少し駆け足で藤宮先生へ近づいていく少し強面の男性の姿。そして、そんな彼に笑顔を浮かべる藤宮先生。見た感じ、それなりに仲が良さそうだけど、どういう関――



『――――っ!!』


 刹那、稲妻が走る。そして、意識の間もない速さで私の全身なかを電流が巡る。


 ……指が、手が、身体が……全身が、震える。目の前の光景に――想い人の恋人が、他の男性と唇を重ねるその光景に、私は……未だ嘗て覚えのない、どうにも抑え難いほどの昂揚感を自覚しないわけにはいかなかった。






 ――――今、何が起こっているんだ?



 ……いや、分かっている。何が起きているか、それ自体はもちろん分かっている。だけど、なぜこうなっているのかが分からなくて。


 ただ、理由それはともあれ……離れなきゃ! 早く離れなきゃ! そして、それはいとも簡単――ただ、その華奢な肩をそっと押せば良いだけ。きっと、それだけで容易く離すことが出来て――



 ……なのに、出来ない。身体が……いや、指一本すらも動かない。いったい、どうして――


 ……いや、分かっている。こんな僕でも、流石に分からざるを得ない。だって、それくらいに彼女から……その柔らかな唇から伝わるのは、疑う余地などまるでないほどに――



 ――空気が、変わった気がした。微かに映る彼女の後方は、いつの間にか黒に染まっていて。


 徐々に、意識が霞んでいく。その最中さなかにも、彼女から伝わる焼き付くほどの熱が――愛情おもいが、僕の全身を灼熱のごとく巡っていく。


 ……決して、受け取ってはならない。僕に、そんな資格などない――これは、そういう類の感情もの。分かっている……もちろん、分かっている。なのに……僕は、彼女の愛情おもいに抗うことなく身を委ね――



 ――すっかり夜の帳が下りた頃、ゆっくりと微睡みの中へ堕ちていく。



 

















 


 

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