第11話
自分の姿を思った矢先、磁石は勢いよく針を回したあと、駅の方角を指した。
よかった。まだ私は駅にいる。
駅まではそう遠くない。しかし、数百メートルと近いはずの距離が街を覆う緑や木々のせいで遠くに感じさせる。
田舎と街中では距離の感覚が変わる、というのはこういうことなのだろうか。緑や木々さえなければいつもの日常の風景。このくらいの距離、数分後の電車でも間に合う。だが今は歩けども歩けどもなかなか近付かない妙な感覚に襲われている。
何より、蔓延(はびこ)る木の根に足を取られるのだ。茂った苔は水分も含んでいるのかよく滑る。足元ばかり気にすれば、どこからか伸びた枝に頬を引っかかれた。とても歩きづらい。
そんな中、店主はいつもの街を歩くように歩を進ませる。様相からは視界の悪さも動きづらさも容易な想像だ。しかし、そんなもの意にも返さず、私よりもこの街に慣れている様子。
「ごめんなさい」
「大丈夫ですよ」
転びそうになる度に支えてもらい散々店主の手を煩わせながら、ようやく改札が視界に入る辺りまで来ることができた。
そのとき――
「うるせぇわ、しねよ、って」
「それな。産んでくれ、なんて頼んでない」
悪態をつきながら談笑する女子高生が数人、私の横を通り過ぎた。
聞くつもりもなかった言葉が頭にこびり付いて離れない。
あぁ、……聞くんじゃなかった。
「危ない!!!」
店主の手が私を掴み、足を止めさせた。
反動で方位磁石を放ってしまう。
前を見ると眼前に針のような鋭い棘が二つ、切っ先を私に向けていた。
気付かなかった。と言うより、無かった。足元や考え事に気を取られたとはいえ、こんなもの見逃すはずがない。
いきなりそこに現れ、私に棘を伸ばしたのだ。
「気を抜いてはいけません。これが危険と言った理由です。先ほどのような本当に殺意や悪意を持っている訳ではない戯言でさえ、言(こと)の〝葉(は)〟にしてしまえば、その言(こと)の〝刃(は)〟はどこかを傷付ける。言葉はその形を持ってしまう、それが影響です」
そう言い店主はその棘を払い除けると形が崩れ、ぱらぱらと消えていった。
「影響を与えるもの。それは様々ですが、その多くは言葉が由来します。怪我や傷を負ったわけでもないの何かに刺されたような、絡められたような、そんな痛いや苦しいという感覚になったことはありませんか? 目には見えなくてもね、ああして確かに影響はあるんですよ」
言葉が痛い……よくわかる。
でも、あの棘はきっと私が作り出したもの。言ったのはあの高校生たち。
でも、でも……。
私の中にも、軽薄で身勝手な苛立ちはある。
胸が締め付けられた。
「ごめんなさい。注意します」
「ですが痛い苦しいと傷付けるだけが言葉でもありません」
そっと背中を押され、止まっていた足がようやく前に出せた。
先ほど放ってしまったせいか、磁石の調子が悪い。
駅のホームに辿り着いたのに肝心の〝私〟がいないのだ。駅構内も通常通りの騒然とした様子。粛々と日常の喧騒を繰り返している。
そんな中、ある会話が耳に入ってきた。
「――で誰か倒れたらしいよ」
「なに、それ――」
「駅員が連れて――見た」
「人身とかじゃ――よかった――」
「それな――」
「止まるのだけは――ほしいよね」
「――を巻き込むなってやつ」
「そーそー迷惑――」
「〝勝手に他所で死ねばいいのに〟」
最後だけ、はっきり聞こえた。
当然なのかもしれない。
誰かの命より自分の予定。
駅で事故やトラブルと耳にすれば自ずと故意によるものと連想してしまう。
もしも自分なら、と、考えてみた。事情も知らず、命の有無も知らない。電車が止まる、その結果だけがある。その電車の遅れのせいで予定が崩れるのは私も嫌だと思う。もし、そのことがきっかけで、誰かに責められるようなことがあれば、知らない誰かの原因たる命さえ批判してしまうかもしれない。
死を選んでしまった。それしか目に入らなかった。――そんな人の、最後の決意。脆さ、弱さ、と言われることかもしれない。そんな、誰かの最後に対しても私たちは自分の思いを通す。知らない誰かの居所の無さなんてお構いなしだ。
さらにはその命が終わっても尚、命の居場所を平気で奪おうともする。
それほど私たちには余裕がなく、時間や物事、何かをしなければいけないと縛られているのだろうか。意思ではなく、急かされるように。
誰かより、より良く、より欲。
気分が悪い。何かがズルズルと這いよるような、不快が触感を持って上ってくる感じ。早くここから離れよう。
「〝私〟は多分救護室です。そこに行きましょう」
おそらく私はそこにいる。先ほどの会話と救急車などで騒ぎになってないことから場所は予想できた。
ホームから駅構内へ引き返す。再び改札を通り、案内窓口の事務室横の通路を通った奥まった場所。以前、貧血で動けなくなったときにお世話になった場所だ。
救護室に着いたタイミングで扉が開いて男性の駅員が二人出てきた。
「それじゃ私たちは業務に戻りますので、あとの対応はよろしくお願いします」
「はい、こちらでお引き受けいたします」
中からは女性の声がした。
救護室の中は簡素なベッドが二つ。カーテンで間仕切られており、その一つに〝私〟がいた。
どうやら女性の駅員さんが付き添ってくれているらしい。
「どうやら無事のようですね」
店主が安堵の声をかけてくれた。
「私はどうしたら戻れますか?」
体を重ねれば戻れるのだろうかと考えたが、どうにも、どこかの芸人のネタのような光景になる気がする。自身の体が近くにあっても〝戻れる〟という感覚にはどうしてもなれない。
「それはあなたが――」
店主の言葉を遮るように外が騒がしくなる。
「――こちらです」
「失礼します」
救急隊が数人部屋に入ってくると〝私〟を確認し呼びかけを始める。
「聞こえますか? もしもーし、聞こえますか――」
「呼びかけ、応答なし。意識不明――」
「脈拍値正常、呼吸値正常、血圧値正常――」
「――病院に搬送の連絡を――」
「えっと、この方が倒れられたときの様子など――」
事態を大事にはしたくないと思った。
これ以上、私のことで誰かの手を煩わせたくない、迷惑をかけたくない、そう思った。
私の焦りに反応したのか私は〝私〟に吸いよせられるように引かれていく。
私が――〝私〟――に戻っていく。
言葉が見えるようになる話 三月ひつじ @03hitsuji
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