43.悟と前世

 悟が自ら命を絶った時、死後の世界の事など何一つ考えてはいなかった。ただ頭にあったのは、もうこれ以上誰かに迷惑をかけなくて済むという安心感と、苦しい感情から解放されるという喜びだった。

 けれども、次に意識を取り戻したのは、生前優人と沢山話した『リアンズ』の世界だった。


 どうしてここに来たのか、理由はわからなかった。ただ自分は何でもないモブで、物語に関与しない立ち位置であることは何となく理解した。『リアンズ』は優人から小説版を借りて読ませてもらったから、今の自分であるトルサが名前すらでてきていない存在であることも知っていた。


 最初、悟としての記憶を持ったまま転生した事に、悟は絶望した。苦しい感情は、死んでも逃げられなかったのだと、最初は苦しくて苦しくて仕方が無かった。けれども気が付けば、その苦しみは静かに溶けていった。

 穏やかな世界だった。悟の時は家が厳しくて勉強ばかりさせられてきたけれども、今は勉強しろという親はいなかった。勿論この世界にゲームはなかったけれども、自分の好きな物語を好きなだけ読めた。


 勿論ここは『リアンズ』の世界。だから、突然世界は瘴気の影響でおかしくなった。当然トルサは驚かなかった。だって、主人公たちが何とかしてくれる。そう思っていた。寧ろ『リアンズ』の物語を身近に体験できると思うと、ワクワクが止まらなかった。


 最初に異変を感じたのは、主要キャラであるソルが街に来なかったことだ。本来であれば、瘴気の浄化の際にソル達は街に立ち寄るはずだった。

 ソルの物語は、トルサも知っていた。知った上で、物語が始まった時、トルサの中に一つの欲望が生まれていた。


 もし、ソルと友達になれたら。


 けれどもソルは街に来ないまま、瘴気は浄化された。もしかしたら自分が物語に絡もうとしたから神様が変えたのかもしれない。ぼんやりとそんな風に考えていた。


 それから魔王も無事討伐されたと聞いて、物語が一旦終わったのだと知った。勿論、その後の物語があることも知っている。そして恐らくエンディング後の物語が始まったであろう頃、ソルは街に戻って来た。


 今度こそと、トルサは勇気を出してソルに話しかけた。けれども、ソルは自分の知っているソルとは全く違っていた。

 勿論、話し方は一緒だったし、ソルらしい明るい一面もあった。けれども物語の中のソルは、本来もっと流されやすい性格をしていた。断れない、意地悪な言葉にすら強く言えないソルの事を、前世の悟は自分に似ているようで親近感を覚えていた。

 けれどもこの世界のソルは、全く流されなかった。嫌な事はハッキリ拒否するし、思った事を躊躇なく口に出す。寧ろ前世の友人だった優人と似て見えた。


 優人に声をかけた日の事を、悟はトルサになった今でも思い出す。人に流されるしかなかった自分とは違い、人をからかって遊ぶようなやりとりにも興味ないと、一人離れて自分の世界にいた。そんな優人を周りは変わった奴扱いしていたが、悟としては自分にないものを持つ優人と一度話してみたかった。

 もしかしたら拒否されるかもしれない。そう思いながらも勇気を出して声をかければ、優人は意外にも笑顔で返してくれた。


 優人といる時間が、悟は楽しかった。自分はいつもいじられ役で、笑って返すしかなかったけれども、優人はそんな事をしない。自分と対等に接してくれる友達と過ごす時間は本当に居心地が良かった。

 そして優人といるうちに、自分も自分の思いをちゃんと伝えれるのではないか、そんな事を思ってしまったのだ。


『やめてよ!! 僕、そんな事言われるの、本当に嫌なんだって!!』


 そう言った瞬間、悟をからかって遊んでいたクラスメイトの目の色が変わった。今までは言葉だけだったものが、物を隠されたり、時には背中を思い切り蹴られたりして笑われるようになった。

 それを止めに入ってくれたのが優人だった。


『やめろよ! 嫌がってんだろ!?』


 そう言って本気でクラスメイトを睨む優人に、クラスメイトの笑いの対象はすぐに優人に変わった。

 ずっといじられる立場にいたから、その理由もすぐにわかった。本気で怒る、言い返してくる、けれども力のない存在は、力のある存在にとって楽しいおもちゃでしかないのだ。そうして本気で立ち向かう優人に、クラスメイトの行動はだんだんエスカレートしていった。


 とある日の放課後、優人は、恐らく殴られたのだろう、赤く腫れた腕を必死に冷やしていた。親にバレたら呆れられるから、叱られるからと、優人は自分が殴られていることよりも、親にバレることの心配をしていた。


『ごめん、僕のせいだよね……』


 悟がそう言えば、優人は何言ってんだと笑った。


『悟は大切な友達だろ? 友達だから、守りたいに決まってんじゃん! あっ、俺の知らないところで何もされてないよな?』


 優人の言葉に悟が頷けば、優人は嬉しそうに笑った。そんな笑顔に、悟は泣きそうになった。

 けれども優人は、次第に悟を巻き込みたくないと、悟すら避けるようになった。何かできないかと担任の先生に相談しに行ったが、男同士なんてそんなものだと相手にしてくれなかった。


 何もできなかった。優人は自分を守るために庇ってくれたのに、それすらできなかった。ただ以前のように、クラスメイトにからかわれて笑われても、困ったように笑うだけ。何か言おうとしても、怖くて言葉が出なかった。

 そんな自分が嫌いになった。なんで自分を助けてくれた友達を助けられないのか、寧ろ自分が友達にならなかったらこんなことにはならなかったのではないか、そんな後悔が毎日のように押し寄せた。


 夜ベッドの中で、毎日のように優人に謝った。けれども何も変わるはずなく、苦しみだけが積み重なった。生きている事すら苦しくなった。自分の存在が駄目なのだと、自分の存在が一人の人を不幸にしたのだと、何度も何度も自分を責めた。

 何かできること、そう思った瞬間、一つのニュースがテレビに映った。苛めで自殺した高校生のニュース。そのニュースでは、加害者が責められていた。

 ああ、その方法があるのかと道が開けた気がした。それからは、迷いはなかった。優人への謝罪の手紙と虐めていた人達にされたことを記した手紙を書き、そして確実に死ねるというその方法で、命を絶った。


 けれどもトルサになって、再びソルをおびき寄せるための人質となった時、また繰り返してしまったのだとトルサは思った。自分のせいで、また友達が危険な目に合う。そんなの許されなかった。けれども何もできなかった。


 ソルの口から、『リアンズ』という言葉が出た。その瞬間、ソルもまた転生者だったのだと、少し物語と性格が違った事に納得をした。そして、自分のせいで物語を狂わせたくなくて、必死に叫んだ。

 そんな言葉に、ソルはこう返した。


『トルサは大切な友達だろ!? 友達だから、守りたいに決まってんじゃん!!』


 その言葉を聞いた瞬間、最後のパズルのピースがハマったような感覚になった。どうしてこの世界にいるのかわからない。けれどもソルの中身が優人だと、トルサは確信した。そして二度も自分のせいで優人を危険な目に合わせたのだと知った。


 それから気を失って、目を覚ましたらセレスが会いに来た。


『あなたのせいで……』


 そうトルサを責めるセレスの目は不安と恐怖で揺れていて、ああ優人はこの世界でも誰かを守ろうと自分を犠牲にしているのだと察した。そして他人から見ても、トルサという存在は優人を危険な目に合わせる存在になってしまったのだと知った。

 だから、理由を付けてソルと距離を置いた。これできっと、トルサという存在はただのモブに戻れるのだろう。それで良かった。それで十分だった。


 ソルは幸せだと笑った。そんな世界を壊したくなかった。だからどれだけソルが辛そうに笑っても、これで良かったのだと思うしかなかった。

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