🇧🇹9 フォトジェニック・ブータン

 日本を経ってから、どれほど時間が経ったろう。タイのスワンナプーム空港で微睡みの夜を明かし、乱気流の中スリル満点のフライトでコルカタへ一時着陸した。

 気絶していたことも脳への過負荷から逃れるためだと思えば理に適っているのだから、思い出深い土産話のトッピングくらいにはなるだろう。テイク2のために再び浮き上がったパロ空港への着陸だって、そう滅多にあることじゃない。


 あの世界で一番美しいと感じた空港でガイドのJさんとドライバーのSさんと出会い、タイ在住の日本人二人とも合流した。

 六人パーティで始まった旅路はひたすら歩き続けるものではなかったから、体力的な消耗は殆どないのだけど、頭の中はもはやパンク寸前である。


 パロ川沿いの道をひた走り、鉄鎖の橋を渡ってマニ車を回した。メモリアル・チョルテンでは第三代国王の仏塔の周りを祈り歩き、五体投地も体験した。チャンガンカ・ラカンでもやはりマニ車を回しながら境内を巡った。

 ブータンの行政と宗教、そして軍事の中枢であるタシチョ・ゾンを出て、まだ初日であるという事実に慄いている。


「次に向かう場所が今日最後のスポットですよ」

 Jさんにしてみれば普通の声かけなのだろうけれど、見透かされたように感じるのは、やはり疲れているからなのかもしれない。少なくとも海外に来ているという緊張感は薄れ、緩みまくっていることは確かだ。それが良いとは言えないが……

 なんなのだろう、この安心感は。


 ちゃんとしたガイドが居て旅の最中のアレコレを任せられると、自分は目に映るものと語られる話に没頭していればいい。

 旅の俳人こと松尾芭蕉が『奥の細道』の最中に優雅に歌を詠んで居られたのは、同行した河合曾良が神道や地理、全国の寺社仏閣に詳しく、旅の手配や記録係として長けていたからだと言われている。事前に行き先へ書簡を送り、芭蕉の訪問したい場所や食べたいものなどを知らせておいたそうだ。まさに優秀な秘書である。

 芭蕉はというと、軽やかに立ち回る曾良の傍らで今私たちがしているように次々にスポットを巡り、話を聞いてフンフンと頷いていれば良かったのだ。


 到着したそこはやはり白い建物で、ブータン特有の紋様が装飾されている。しかしこれまでに巡ってきた寺院とは全く違う。勿論そこにも祈りはあるのだろうけれど、もっと庶民的で暮らしの根源的な場所。

 つまるところ、それはファーマーズ・マーケットである。

 私たちはブータンの民族衣装のままゾロゾロとJさんについて入った。


 正装である必要はないのでカムニ(男性用の白い袈裟掛け布)とラチュ(女性用の肩掛け布)は既にはずしてあるが、シチュエーションとしては外国人が着物や浴衣で日本の古都(とはいえ地元住民にとっては生活の場)を歩いているようなものだ。

 ブータン人と日本人は顔つきが似ていると言われるものの、その衣装を着慣れているか、着られているかの差異は大きい。特にお借りした女性用の衣装は明るめの色合いであったため、結婚式の二次会帰りの衣装のままスーパーで惣菜を眺めるくらいには浮いているように思えた。

 何しろおとなしい色合いの服装の人が多く、民族衣装でない人もそれなりに多い。ブータン人だけでなくインド人など外国人もブータンで暮らしているのだから、これがブータンの日常の風景なのだろう。


「やっぱり、観光客だって分かりやすくする意図があるんでしょうか」

 イチコがこっそりと声をひそめて話しかけてきた。

「どうだろうね。まぁ、私らも何か分からないことがあったらガイドを通すし、現地の人にとっても観光客だと分かった方が対応しやすいだろうけど」

 誰もがお行儀よくガイドについて歩くとは限らないし、服装を含めた出立ちはそれだけで多くを語るものだ。

 標高の高い土地で暮らすブータン人たちはよく日焼けしているので、ぱっと見でおおよそ日本人と区別できるけれど、中には元々色黒だったり日焼けした日本人だっている。観光客は基本的にガイドが食事の場にも案内するため、調理が必要な食材を買い込んだって仕方がないのだ。


 うず高く山盛りに積まれた食材が並ぶ一回フロアを横切り、階段を上ってマーケットを広く見渡せる場所で、先導していたJさんが立ち止まった。

「ここはブータンのフォトジェニック・スポット。ドウゾ、写真を撮ってください」

「ここも観光名所なの?」

「ソウデスネ」

 率直な感想は「とてもキレイ」の一言に尽きる。それはその場所に集う人たちによって維持されている、された空間であるという意味だ。

 比較的新しく整備された場所でもあるのだろうけれど、使い込まれた感じもある。だが野菜クズなど落ちていないし、陳列台はもちろん床面にも埃っぽさがない。そして何より、商品である食材が丁寧に陳列されている。


「これって、いわゆるフードスケープってやつかな」

「フードスケープ? って、何ですか?」

 ポソリと呟いたはずなのに、イチコが耳聡くそれを拾う。

「食にまつわる風景全般のことで……そこに人の営みを感じられるもの、と言ったらいいのかな。うーん、どう説明すれば良いか、難しいな」

「棚田の風景とかですか?」

「そう、foodとlandscapeを組み合わせたもの。例えば、稲を刈ったところ、まだのところ、他の植物が植っているところで色合いが違って、遠景では織物みたいに見えたりするやろ? 他にも民家の軒下に干し柿を吊るしてあったり」

「あー、なるほど。要は人が作った風景ってことですね」

「そうそう! 今思いついたけど、つまりはなんじゃないかな」

 今まではフードスケープという概念を何となく捉えていたけれど、イチコとのキャッチボールで輪郭をなぞることができたような気がした。


 人為的なもの、と言うと堅苦しいけれど、人がした作業によって出来上がった風景はでもあり、常に手入れし続けることで維持されるものでもある。


 このマーケットの風景もまた、それと同じ感情を呼び覚ます。


 作物は種類ごとに積み上げられており、その色合いがグラデーションになっていたりする。黄土色、砂色、褐色、赤、緑、黄緑、白、黒紫……ざっくりと見れば赤系と緑系の色に大別され、その中でそれぞれの作物が持つ色合いが段階的になるよう並べられている。それは『色の波紋』とも表現できるかもしれない。


「この感じ、なんか見覚えある気がしますね」

 イチコが眉根を寄せると、Jさんが「気づきましたか?」と嬉しそうに言った。

「そうなんよ、既視感がさ……うーん、どこで……」

 私も何となく引っ掛かりはあるものの、霧かかる山道のようなモヤモヤとした感覚がもどかしい。

「あ!」

 唐突に発せられたイチコの声に、自分の身体がビクリと跳ねた。さすが剣道に熟達しているだけあって、イチコは声にもハリがある。

「紋様、というか装飾じゃないですかね。空港やブータンの寺院で見た、あのカラフルな装飾って、グラデーションになっていませんでしたか?」

「そっか、それや!」

 はっきりとした濃い色が主だけれど、中間色として白や白を混ぜた色も使われていた。他のアジア諸国でもこういった色使いをするのだっけ? と不思議に思ったことを思い出した。

「そうですね。こんな風に並んでいると目を惹くし、欲しいものを見つけやすいです。それに働く人も楽しい」

 またしてもJさんは得意げだ。

「作物と作物の間に仕切り板の役割をするものが無いのに、作物同士が混ざり合わずにくっきりと積まれているのって凄いよ」

 私もイチコも揃ってカメラを構えた。


 「フォトジェニック」という表現は、数年後には『(インスタ)え』と呼ばれるようになるが、この時の私たちは知る由もなかった。

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