第3章:戦雲の予感

 造船所に緊張が漂い始めたのは、その2ヶ月後のことだった。


「ローマ艦隊が増強されているそうだ」


 アドルバルが、小声で伝えてきた。


「どのくらいの規模だ?」


「200隻以上と聞く。しかも、新型の五段櫂船を建造しているという噂も……」


 崇平は眉をひそめた。歴史的な記録では、この時期のローマは確かに海軍力の増強を図っていた。第一次ポエニ戦争の転機が近づいているのだ。


 造船所でも、その緊張は日に日に高まっていった。より多くの戦艦を、より早く建造するようにという要求が、上層部から次々と下りてきた。


「このままでは間に合わないぞ」


 ベテランの職人たちが、こぼすように言う。従来の建造方法では、要求される速度に追いつけない。


 そんなとき、崇平は一つの決断を下した。


「師匠、私から提案があります」


 作業場の一角で、崇平はメルカルトに向き合った。


「新しい建造方法についてです。今度は、伝統を踏まえた上での改良案です」


 崇平は細い木の枝を握り締め、砂上に船体の断面図を描き続けた。メルカルトは腕を組み、髭面を軽くしかめながら、その様子を見つめている。


「従来の構造は、このように保ちます」


 崇平の手が動く。砂上に、見慣れた三段櫂船の骨組みが浮かび上がる。外板の配置、肋材の構造、すべて伝統的な手法通りだ。


 しかし、その基本構造に、崇平は新しい工夫を加えていく。


「ここに、補強材を追加します。従来より細いものを、このように配置することで……」


 砂上の図面に、斜めの線が加えられる。それは、現代の構造力学の知識を基に計算された、最適な補強材の配置だった。


「この補強で、同じ材料でより高い強度が得られます。さらに……」


 崇平は慎重に説明を続けた。


「要点は理解した」


 メルカルトの声には、確かな手応えが含まれていた。


「よく考えられている。伝統を理解した上での改良案だ」


 メルカルトは、砂地に描かれた図面の一点を指さした。


「特に、この接合部の処理は見事だ。古来の技法を活かしながら、より効率的な方法を見出している」


「これなら、建造期間を2割ほど短縮できるはずです」


 メルカルトは長い間、黙って考え込んでいた。


「いいだろう。面白い案だ。そして、今回は伝統も理解している」


 その言葉に、崇平は胸を撫で下ろした。


「上層部に提案してみよう」


 その提案は、予想以上の反響を呼んだ。カルタゴ海軍は、戦力増強に焦りを感じていた。新しい建造方法は、その課題を解決する可能性を秘めていたのだ。


「ハンノ、お前に重要な仕事を任せたい」


 数日後、造船所の責任者から呼び出しがあった。


「新型戦船の設計チームに加わってほしい」


 15歳での抜擢。異例中の異例だった。


「私にそんな……」


「お前の才能は、誰の目にも明らかだ。年齢は関係ない」


 その言葉に、周囲からの嫉妬の視線を感じた。しかし、それ以上に、大きな期待が寄せられていることを実感した。


「アドルバル、私……」


 その日の夕方、親友に報告すると、アドルバルは大きく目を見開いた。


「すごいじゃないか! さすがハンノだ!」


 純粋な祝福の言葉に、崇平は心が温かくなった。


「ところで、妹のエリッサが会いたがっているんだ」


「エリッサ?」


「ああ。お前の噂を聞いて、興味を持ったみたいでね」


 アドルバルの言葉に、崇平は複雑な感情を覚えた。45歳の意識を持つ自分が、この時代の少女と関わることに、一種の後ろめたさを感じたのだ。


 しかし、その思いを振り払うように、新しい仕事に没頭した。設計チームでの作業は、崇平の能力を最大限に引き出す機会となった。


 現代の流体力学の知識を活かし、船体の形状を最適化。同時に、古代カルタゴの伝統的な技術の良さも失わないよう、慎重に設計を進めた。


 特に力を入れたのは、操舵システムの改良だった。現代の知識で計算された最適な舵の形状と、古代の技術で実現可能な構造を組み合わせる。それは、まさに時代を超えた技術の融合だった。


「この設計は、素晴らしい」


 上層部からの評価も上々だった。しかし、崇平の心の中には、常に一つの疑問が渦巻いていた。


 自分は歴史を変えようとしているのではないか?


 カルタゴは、最終的にはローマに敗れる。その歴史的事実を、自分は変えようとしているのではないか?


 しかし、その答えを見つける前に、現実は動き始めていた。新型戦船の建造が、いよいよ本格的に始まろうとしていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る