大魔導士ディックと馬の骨

異端者

『大魔導士ディックと馬の骨』本文

 暑い日差しが降り注ぐ中、老人は三人の若者たちを目の前にしていた。

 剣と魔法の世界、ゼン・ラ。

 老人は、そこでは絶対的な力を持つ大魔導士ディックだった。

 そして、目の前の若者たちはその弟子だった。名をそれぞれ、ジョンソン、ナッツ、ファルスという。大勢の男たちを集めた試験で、残ったのは彼らだけだった。

 ディックはその後継者となる魔導士を育てるために、日夜指導に励んでいた。

 もっとも、それは順調とは言い難かった。

 ジョンソンとナッツはともかく、ファルスはなかなかに育たなかった。

 この日も、簡単な炎の魔法の呪文を何度も繰り返し唱えては失敗していた。

 残りの二人はそんな彼を明らかな侮蔑の様子で見ていた。ディックは何度も彼らをたしなめたが、聞く耳を持たなかった。

 ――他人にものを教えるというのは、これ程までに難しいものか……。

 ディックはそう実感していた。彼はこの年になるまで、弟子を取ったことがなかった。本来ならもっと若い頃に経験すべきことを、今頃になって初めて知ったのだった。

「さて、今日はここまでとしよう」

 彼は日が西に傾いてきたのに気付いてそう言った。

 ファルスはまだ不慣れな様子で呪文を唱えていた。


 そんな日が何日も続いたある朝、ディックはファルスがどこにも居ないのに気付いた。

「さあ、帰ったんでしょう?」

「ま、居なくても問題ないでしょう?」

 兄弟弟子のジョンソンとナッツに聞いたが、特に気にした様子もなく答えた。元々、彼らは仲間意識など無いようだった。

 ディックは彼らに今日の修行内容を伝えると、勝手にこなすように言って部屋にこもった。

「さて……」

 彼は部屋の中央に置かれた水晶玉に向かった。それをのぞき込むようにして、滔々とうとうと呪文を唱えた。

 船に乗らねば出られない小さな島の中だ。そう遠くに行っていまい。

 案の定、水晶玉の中に俯瞰するような島の様子が映った。それが徐々にズームインしていくと、一人の若者の姿を映し出した。ファルスだ。丘の上の大木の幹に寄りかかっている。

「ふむ、やはりそこか」

 ディックはそう呟くと、部屋を後にした。


 ファルスは丘の上の大木に寄りかかって考えていた。

 自分があの大魔導士様に弟子入りしたのは、間違いだったのではないだろうか?

 そこらの魔導士の弟子とは訳が違う。自分のような者が弟子入りするなど、あまりに恐れ多いことだったのではないだろうか?

 もっとも、黙って飛び出してしまったとはいえ、破門されたのでもないのに勝手に帰るのも気が引けた。弟子を辞退するにしても、挨拶ぐらいすべきではないだろうか……しかし、大魔導士様にしたら、もう顔も見たくないかもしれない……。

 彼の頭の中で答えのない問いが続いていた。

「ファルスよ。ここに居たか」

 ふいに、背後から声がかかった。

「師匠!」

 思わず、そう言って振り返ってしまう。言った後で、まだ「師」と呼ぶ資格が自分にあるのかと、自身を恥じた。

「なぜ、ここに?」

「もの探しは、魔導士にはお手の物だ。さあ、我が弟子よ、戻ろう」

 ディックは飛び出したことを一切責めようとせずに、穏やかな声でそう言った。

「しかし……」

 そこでファルスの目から涙がこぼれた。

「しかし、僕にはその資格はありません!」

 彼はそう叫んでいた。

「資格? 私は伝えたはずだ『試験に合格した者を、弟子として迎える』と」

 ディックは平然とそう言った。

 そうだ。ファルスは確かに試験を受け、認められた。だが――

「僕は、他の二人のような優れた血筋ではありません!」

 そうだった。魔導士、特にその中でも優れた者となるには、血統が重要だとされている。優れた魔導士ともなると、たとえ両親は普通の人間でも家系を辿ると何人もの魔導士を輩出していることがよく知られている。

 ジョンソンとナッツは、明らかにその血統だった。その才能は最初から突出していたと言っていい。けれども、ファルスは名もなき血統。父親は木こり、母親は主婦。その家系は辿ろうにも跡形もなかった。

「僕はどこの誰とも知れない馬の骨で……あの二人とは違うんです!」

「ふむ……馬の骨か」

 ディックは少し考えるような仕草をした。

「確かに、ここで諦めるというのならそうなるかもしれん。だが、魔導士として大成するならば、事情が違ってくる」

「それは……」

「何もなければ、お前さんが最初の一人になればいい」

 こともなげにそう言ってのけた。

 ファルスは少しの間、呆然とした。息をするのも忘れた。

 二人の間に沈黙が訪れた。

 沈黙を破ったのはディックだった。

「どんな宝石も、磨かねば光らぬ」

「は?」

「知っていると思うが、宝石も原石では真価は分からぬ。磨いて輝くようになってこそ、その真価を知れる」

「はあ……」

 ファルスは分からないといった様子だった。

「もっとも、宝石と呼ばれる石の多くは硬くてな。磨くには大変な努力を要する」

 ここで、ディックが何を言いたいのかファルスにも分かった。

「つまり、人一倍努力すれば――」

「さて、な? 実を言うと私にも、お前さんがその原石かは分からぬ。分かるのは、その真価を見極めるのには、大変な努力が必要だということだけだ」

 ディックはそこで一呼吸置くと言った。

「さあ、どうするかの? もしそれでも帰るというなら、港に行って船を頼んでやってもいい」

「僕は…………」

 ファルスは答えに詰まった。


 その後、ファルスは戻って修行を続けることを選んだ。兄弟弟子たちに馬鹿にされながらも、努力を怠らなかった。

 その結果、彼らよりも優れた魔導士へと成長していった。


 ディック没後、新たな大魔導士が任命された。その名は――

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