琥珀色の騎士は聖女の左手に愛を誓う
笹井風琉/角川文庫 キャラクター文芸
序章 巡礼の終わり
聖女リネッタ・セリエスが王太子妃ユリアーナの訪問を受けたのは、最後の巡礼地である南部神殿でのことだった。
神殿内に用意された自室にリネッタが入ると、ユリアーナが懐かしむような笑みを浮かべてソファから立ち上がった。上品に編みこんだ
「妃殿下にここまでお越しいただかずとも、春には王都に戻りますのに」
アイクラント王国の四つの神殿を聖剣とともに巡る二年間の旅が、あとひと月で終わる。王都の聖堂に帰還すれば、式典の場などでリネッタがユリアーナと顔を合わせる機会はある。
「式典では王太子妃と聖女としての謁見になってしまうでしょう? その前に、わたくし個人としてリネッタに会いたかったのです。ちょうど殿下が南部の視察を予定されていたから、付いてきてしまいましたの」
いたずらを白状するように、ユリアーナが口元を手で隠す。こういうところは、幼い頃に子どもだけの茶会で顔を合わせていた当時と変わりない。
先にユリアーナが座るのを待って、リネッタも向かいのソファに座った。王太子妃としての
「この南部ではもう、魔獣を見かけることは滅多にないと聞きます。聖女リネッタの尽力に心よりの感謝を」
リネッタもまた、聖女としての微笑みを顔に張り付けて返す。
「もったいないお言葉です、妃殿下」
アイクラント王国の北東に広がるノクスィラ山脈は魔獣の
先代の聖女が亡くなりリネッタが聖女となるまでの十六年間、聖剣の加護は途切れ、アイクラント王国は魔獣の脅威にさらされてきた。聖女と聖剣に代わり国を守ってきたのは、魔術と剣術に
「これで、騎士団の皆様のお勤めも楽になるでしょうか」
リネッタが問えば、ユリアーナはゆっくりと首肯した。
彼女が壁際に控える自身の護衛騎士らに
「ねぇ、リネッタ。巡礼を終えれば、次は婚約でしょう。わたくし、あなたの望みを聞かせてもらいにきたの」
先ほどまでよりくだけた口調で、ユリアーナがおかしなことを言う。
聖女の婚約は王家が決める。歴代の聖女がそうであったように、リネッタもまた王族に嫁ぐと決まっている。それに、今のリネッタに何かを望むなどできないことは、ユリアーナもわかっているはずだ。
「すべて、国王陛下のお言葉に従います」
「リネッタの婚約は、殿下とわたくしに任されているの。そうできるよう殿下におねだりをしてしまったわ。だからリネッタ、聞かせて。あなたが望むこと……いいえ、望んでいたことを」
ユリアーナの
リネッタはソファを離れ、書き物机の引き出しを開けた。中からくたびれた革表紙の手帳を取り出すと、ユリアーナが驚いたように目を見開く。
「その手帳……」
「はい。いつかのお茶会で、妃殿下からいただいたものです」
リネッタは当時十二歳で、まだお互いに聖女でも王太子妃でもなかった。この手帳に書いた望みはなんだって
戻ったリネッタはユリアーナの向かいではなく隣に座り、手帳の最後の一頁を開いて差し出した。自分の中にたったひとつ望むことがあるとすれば、これだろうと思う。
手帳を持つユリアーナの手が震える。彼女はいたわしげに
「……叶えるわ。わたくしがきっと叶えるから」
何度も力強くうなずくユリアーナに、リネッタは返すべき表情を考える。この場にふさわしいものはきっと、かつて茶会で浮かべていたのと同じ顔だろうと思えた。けれど、どれほど記憶をたどろうとも、その瞬間の自分の表情を自分で思い出せるわけがない。思い出の景色の中に見えてくるのは、明るいユリアーナの笑顔ばかりだ。
だからリネッタは、その思い出の笑顔をなぞるように口角を上げて目を細めた。だが、向き合うユリアーナは、痛みに耐えるように唇を引き結ぶ。
「妃殿下。わたしは、きちんと笑えていませんか?」
リネッタが尋ねると、ユリアーナは手帳を閉じて
「いいえ。とても……上手よ、リネッタ」
この優しい声や手のぬくもりを受け止める心を、もうリネッタは持っていない。
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