不器用な見習い天使はまだ恋を知らない
いとうみこと
ラビアンローズ
ある日、メルティが所属する部署の天使たちが宮殿の中庭に集められた。メルティが暮らすこの雲の上の世界では、建造物の殆どが雲で出来ている。その設営やメンテナンスを行うのがメルティの仕事だ。メルティはまだ見習いで一人前とは認められていないが、誰よりもこの仕事に誇りを持っている。
十三の月の終わり、里帰りしていた女神が戻った頃から、何か大掛かりな工事が始まるとの噂が流れ始めた。しかし、今のところ詳細は全く知らされておらず、いよいよその発表かと中庭の天使たちは皆が浮足立っていた。
「静まれ」
朗々とした声が響き渡り皆が一斉に跪くと同時に、バルコニーに大天使カミエルが現れた。
「楽にして良い」
天使たちが顔を上げると、カミエルの横には女神が立っていた。「女神様だ」「なんとお美しい」あちこちから嘆息が漏れる。
「皆の者、里帰りの際は世話になりました。皆が腕をふるってくれた船はとても評判が良かったですよ。礼を言います。七の女神様なぞ大層悔しがっておいででした」
女神はその時のことを思い出したのか、口元を押さえてクスクス笑った。
「ところで、今日は皆にお願いがあるのです。実は前々から父神様に、この雲の上の世界の彩りを増やしたいと、姉神様共々お願いしていたのです。だって、雲の上は父神様の意向で華美な装飾を控えていますからね。それって何だか寂しいではありませんか。それで今回やっと花壇のある庭を作る許可をもらいました」
女神の言葉が途切れるのと同時に神殿の壁に色とりどりの花が映し出された。野原一面の黄色や青や紫、風にそよぐ草花、行儀よく並んだ鉢植え、アーチに飾り付けられた花、どれもこれもメルティが初めて見る景色だった。
「きれい……」
メルティだけでなく、多くの天使たちがその光景をうっとりと見つめた。
「そこでだ」
カミエルの声が響く。
「皆にこの中庭全体を花が似合うよう作り変えてもらいたいのだ。先般の雲の建造物もお里帰りのための船も、皆の技術の高さは目を見張るものがある。期待しているぞ」
それだけ言うとカミエルは女神と共に立ち去った。途端に天使たちが賑やかに喋り出す。その喧騒は責任者の天使がパンパンと打ち鳴らした手の音で収まった。
「カミエル様の仰せの通り、この庭全体を花が似合う場所にすることになった。単に花を飾るのではなく、散策したりお茶を楽しんだりできることが女神様のご要望だ。従って平面的ではなく立体的な視点が必要になる。これから資料映像を見てもらうが、その後の話し合いで意見を述べてもらうのでそのつもりでいるように」
それからメルティたちは、人間界のありとあらゆる庭の映像を見た。中でもメルティの目を引いたのは、いくつもの白いアーチがトンネルのように並び、そこに赤やピンクの花が幾重にも飾られている庭の造りだったので、その後の話し合いで提案した。
数日後庭の設計の発表があり、ジオラマとかいう、まるで本物の庭を小さくしたような模型がメルティたちにお披露目された。あちこちから「可愛い」の声が聞こえる。特に女子たちに好評なようだ。
「女神様のご意見も反映されており、いたくお気に入りだそうだ。これから区画の分担を発表する。それぞれの区画のリーダーの指示に従って作業するように」
メルティは、自分が提案したアーチを作ることになった。そこは女神様がお茶を楽しむ中央のスペースへ続く小径であり、メルティの望み通り花のトンネルができることになる。
まずは土台作りから始まって、東屋や仕切りの壁、高さのある花壇など、大きな建造物から順に作業は進み、メルティもまた夢中になってアーチを作り続けた。そして一の月が終わる頃には構造体は大方出来上がった。
「次は装飾に取り掛かる。地上では花は種から芽吹き少しずつ成長するものであるが、ここではそうはいかない。我々が使うのは造花といって本物によく似せた作り物の花であるが、本物同様非常に繊細であるから取り扱いにはくれぐれも注意するように」
責任者が話しているそばから次々と花を入れた箱が運び込まれ、その鮮やかな色合いに誰もが感嘆の声を上げた。メルティもまた、足元に運ばれた赤とピンクの花にくぎ付けになった。幾重にも重なる花びらは艷やかで、閉じているものもあれば大きく開いているものもあり、いずれも美しいとしか言いようがない。箱には「薔薇」と書かれている。誰かが「いい匂いがする」と言ったので、メルティはかがんでそっと花を持ち上げてみた。すると甘やかな香りが鼻をくすぐり、胸の奥にぽっと明かりが灯るようなそんな思いがした。
その日の夕方、宿舎に戻ったメルティの元へリリルがやって来た。リリルは十二の月に問題を起こしたものの、女神の温情でそのまま同じ部署に留まることができていたのだ。以来、メルティとも親しく交流している。そのリリルが困った顔でメルティに言った。
「わたしね、帰り際に使ってた花を一か所に集めてきたんだけど、雑に置いちゃったから今頃崩れてやしないかと気になって仕方ないの。ほら、花は繊細だから丁寧に扱えって言われてたでしょ? もしも崩れた拍子に壊れたりしたら大変なことになるから、今から一緒に見に行ってくれない?」
メルティはリリルの気持ちがよくわかったので、連れ立って中庭へと向かった。既に外は薄暗く、城壁に囲まれた中庭は更に暗かったが、幸いにも花の山が崩れていないことを確認できた。ふたりがその花を積み直している時、庭の反対側からこちらへ近づいてくる声が聞こえた。リリルがメルティの袖を引っ張って、ふたりは物陰に身を潜めた。
「何で隠れるの?」
「あれが誰かわからないし、言い訳するのが面倒だもの。それよりあの声はホルンに似てるわね。もうひとりは女の子の声だけど聞き覚えがないわ」
ホルンと言われてメルティは何故かドキッとした。それからふたりの会話を聞き漏らすまいと耳を澄ました。
「ここでお茶を飲んだら楽しいでしょうね」
「そうだな。確かに気持ち良さそうだ」
確かにこの声はホルンだとメルティも思った。では、相手は誰なのか。
ふたりはメルティの作ったアーチをくぐり、中央の台に上ったり椅子に座ったりしてとても楽しそうに過ごした後、来た道を戻って行った。
「メルティ、あたしたちも帰ろ。メルティ、メルティってば」
「んあ、ごめん。何か言った?」
「帰ろうって言ったの。どうかした?」
「ん、何でもない」
メルティは立ち上がり、リリルと並んで歩き出した。その胸になんとも言えないもやもやを抱えながら。
二の月の最初の日、花の庭のお披露目が行われた。女神がカミエルを従えて庭のあちこちを見て回り、時にはそれを作った天使に声をかけていく。そしていよいよメルティが控える薔薇のアーチの手前までやって来た。
「この薔薇のアーチはメルティの発案だそうですね」
「はい、見せていただいた資料映像の中でとても印象的だったので提案しました」
女神に声を掛けられて声が震えたが、きちんと受け答えできた。
「地上の人間たちは素晴らしい日々のことを『ラビアンローズ(バラ色の人生)』と言うのだそうですよ。まさにここはそんな感じね。ありがとう、メルティ」
「もったいないお言葉にございます」
メルティは深々と頭を下げて女神を見送った。その頭をポンポンと叩く者がいた。
(ホルン?)
慌てて顔を上げたが、そこにホルンの姿はなく、薔薇のアーチをくぐる女神とカミエルの後ろ姿だけが見えた。
──間違いなくつづくw──
不器用な見習い天使はまだ恋を知らない いとうみこと @Ito-Mikoto
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