第2話 さいなら、親知らず一号

 右上の親知らず(自称親知らず一号)との別れは、突然訪れた。それは、彼女らの存在を知らされた日から、約七年後のことであった。


【幻想編】


「主様、突然ですが……もう限界です」


「えっ? どうした、親知らず一号!」


「今まで日夜、虫歯菌てきと戦ってまいりましたが……どうやらここまでのようです……ゴホッ! 力及ばずで申し訳ありません。妹はまだ戦えます。どうか、末永く大事にしてやってくださいまし……ゴフッ!」


「そ、そんな急に! 今何時だと思ってんだ一号!

もっと早く……一週間前に言ってくれよォ!」


【現実編】


 突然口の中にわいてでてきた痛みに、あたしは青ざめた。なにせ、場所がいわく付きの場所。右上の端っこだったからだ。


「ま、まさ、まさか、親知らずが痛み……どくどくずんずん痛む痛痛痛……むむむ無理……歯医者! 歯医者に電話!」


 時刻は仕事から帰宅した夜七時。親知らずの存在を教えてくれた近所の歯医者には、数年前から通っていなかった。一応久々に診察券を引っ張り出してみたが、やはり診療時間外。


「は、は、歯医者はいっぱいある、どこかしら開いてるはずだ! 探せ! あっ、あった! ここなら九時までやってる! 電話だ!」


 もう抜くのが怖いとか言ってる場合じゃない! ああ、スマホ様ネット様ありがとう!


 私は駅近の歯医者に電話で事情を説明し、受診した。

 まずはお約束のレントゲン撮影パシャ。そして若い男性医師が口内をチェックしてくれて、第一声がこちら。


「ああー……(下がり気味)」


 あ、やっぱりあかんやつや。


「上の親知らずなら、ここでも抜けますよ」

「お、お願いします!(ああっ、まるで神のようだ)」

「じゃ、準備しますからその間に洗浄しましょう」


 選手交代、助手と思しきお姉さん登場。


「水で洗いますねー」

「!!!!!!!(ぐぼへっおえっ)」


「大丈夫ですかー?」

「(大丈夫なわけあるか! 拷問じゃわ!)はい、大丈夫です」


「はい、じゃあ始めましょうかー」

 再び先生登場。んで、抜歯処置してもらう。

 麻酔からの、削り、ぐりぐり、ペンチ。ペンチ。ペンチ。

 おかしいな。記憶にペンチしかない。だが、なにが一番大変だったかというと、あたしの場合は麻酔であった。なにがいけなかったのか、動悸で苦しくなってしまい、ひと休憩いれてもらったのだった。


「はい、抜けましたよ。見ますか? 親知らず?」

「は、はひ(きっとちんまりしたかわいいヤツに違いない。虫歯にしちまって悪いことしちゃったなー)」


 シルバーの台に無惨に転がるその姿を見、あたしは思わず息を飲んだ。

 なんだこのおっさんみたいなでかい歯は!? 茶色いし(これは虫歯のせいだろう)凸凹してるし、可愛らしさの欠片もないじゃないか! くそぅ、騙されてた!


「一号……お前、オホホ系じゃなくてガハハ系だったのか……まぁいいや……安心しろ、下の親知らずは大事にするからな」

「持って帰りますか?」

「いりません!」


 あたしは先生の問に迷わず即答し、万が一この先下の親知らずを抜くことがあったとしても、けしてその姿は見まいと固く心に誓ったのであった。

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