二杯目 幸せをもたらす夏いちごのガスパチョ
二杯目 幸せをもたらす夏いちごのガスパチョ①
刈り取られたあとの麦畑に、真夏の太陽が照りつけている。
山のように積まれた麦わらのそばには、熊手を手にして汗を拭うハルタの姿があった。
「じりじりと焼けつくよう」
シーナは目を細め、店先から真っ青な空と入道雲を眺めていた。
今日のシーナは、袖がふくらんだ生成りのブラウスに、胸の辺りが編み上げになった茶色のビスチェを重ね、ふんわりと膨らんだスカートを履いている。
「帽子が役立つわ」
真顔で言うと、エルザが編んだ麦わら帽子をかぶり、足元の籠を持ち上げた。
籠の中には、採れたてのにんじんやとうもろこしがひしめいている。
籠を提げたシーナは、見るからに農家の娘らしい出で立ちとなった。
「ブランシェさんがいるといいけれど」
シーナはそわそわしながら、隣家へ向かう。
店の修繕をしてくれたアルバへのお礼と、アルバの恋人ブランシェに挨拶をするために。
「こんにちは」
扉の前で声をかけるが、中から反応はなかった。
「留守かしら?」
今朝も、隣家の裏庭から届く柔らかで心地よい低音が、シーナを目覚めさせたというのにおかしい。
『俺の可愛いブランシェ。君なしじゃ、俺は生きていけないんだ』
相変わらずアルバは、毎朝のようにブランシェへの愛を囁いていた。
アルバの愛は、きっと海より深いわね。
アルバを夢中にさせるブランシェは、どれほど素敵な女性なのかしら。
なかなか姿を見せてくれないブランシェに、シーナの期待はどんどん膨らんでいく。
「会いたかったのに、残念だわ」
シーナがつぶやいた時、家の裏手からぶるるる、と馬の鳴き声が聞こえてきた。
鳴き声を辿って小さな馬屋のそばまで行き、そっと中をのぞいてみる。
「アルバの馬?」
上質な毛並みの白馬に、シーナは目を見開く。
「なんて美しいの……」
しなやかな筋肉が浮かぶ引き締まった体つきや、絹のように細かなたてがみにうっとりと見惚れてしまった。
これほど品格がある馬ははじめて。
シーナはそろそろと白馬へ近づいた。白馬は様子を窺うように、耳を向けてくる。
警戒しているのかしら。
「怖がらないで。私はシーナよ」
「まさか、本当に挨拶に来たのか?」
ふいに背後からアルバの声がして、シーナは反射的に振り返った。
「びっくりさせないでください」
「びっくりしているようには見えないが」
シーナとアルバは、顔を合わせたまま立ち尽くす。
シーナはまだ心臓がどきどきとしているし、アルバはアルバで落ち着き払ったように見えるシーナをまじまじと観察していた。
シーナの耳元で、ばりばりと咀嚼する音が聞こえる。
籠の中のとうもろこしを、勝手に白馬が食べはじめたのだ。
「行儀が悪いぞ、ブランシェ」
無作法をたしなめるアルバに、シーナはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「もしかして、ブランシェとは、こちらの白馬のことですか?」
「そうだが……待ってくれ、もう無理だ」
アルバはくるりと背を向けると、くつくつと笑いながら肩を揺らしはじめる。
ブランシェが馬だったなんて。
シーナは唖然としたまま、アルバの笑いが止むのを待った。
「すまなかった。シーナは、ブランシェが馬だって知らなかったんだな。どうにも会話が噛み合わないわけだ」
落ち着きを取り戻したアルバは、シーナの籠の中からにんじんを一本抜き取る。
「これ、もらってもいいか?」
「はい。ハルタさんの畑で採れた野菜です。店を修繕していただいたお礼に……」
ブランシェのことをアルバの恋人だと勘違いしていたシーナは、恥ずかしくなってうつむいた。
アルバは気まずそうに、ブランシェの背中を優しくさすりながら言う。
「良かったな、ブランシェ。ハルタさんのとうもろこしはみずみずしくて甘くて、生で食べてもうまい。だが、お前は俺の大切な相棒だ。念の為、生のとうもろこしは消化しにくいから、やめておいたほうがいいと言っておく。生で食べるのなら、こっちのにんじんのほうがおすすめだ」
ブランシェは食べかけのとうもろこしを口から放すと、アルバの勧め通りににんじんをくわえる。
「アルバの言葉が分かっているみたい……可愛い……」
シーナはしっかりと顔をあげ、二人の微笑ましいやりとりを眺めた。
「だろ? 俺の可愛いブラン……」
アルバは慌てて口元を押さえる。
「つまり……ブランシェは利口なんだ」
軽く咳払いをしてから、気を取り直したようにアルバは言った。
「私もブランシェと仲良くなれるといいけれど」
シーナがつぶやくと、ブランシェは小さく鼻を鳴らす。
「シーナのことは、さっそく気に入ったみたいだ。好物のにんじんを持ってきてくれたからかな。現金な奴め」
呆れたような口調ながら、アルバの声は甘かった。
相手が白馬だとしても、アルバの愛が深いのは間違いないわ。
たっぷりの愛情で馬とかかわるアルバの様子に、シーナはずいぶんと癒やされる。
「そろそろ畑仕事の手伝いに戻ります。これをどうぞ」
シーナが野菜の入った籠を差し出すと、快くアルバは受け取った。
「明日から店をはじめるんだって?」
「はい。良かったら食べに来てください」
装いを新たに、シーナのパンとスープの店がいよいよ開店する。
やっと、この日が来たわ。
ありがたいことに、シーナが店を譲ってほしいと申し出ると、エルザは嬉し涙を流しながら承諾してくれた。
あとは、お客様を迎えるだけ。
できれば、これまでの経緯を知るアルバにも、私が作ったスープを味わってほしい……。
「もちろん、行くさ」
アルバの返事を聞き、安心したシーナは一歩踏み出した。
「ああ、それから!」
急に、アルバが声を張り上げた。
「この町に、すっかり馴染んだように見える。その帽子も服も、似合ってる」
長い前髪が邪魔して表情は見えなかったが、アルバなりの気遣いだと分かる。
「……ありがとうございます」
ヴァレリアの頃から地味なドレスばかりだったせいか、着こなしを褒められるのははじめてだ。
戸惑いつつも、エルザが編んだ可愛らしい帽子を気に入っているシーナは、ひっそりと喜びを噛み締める。
地面に落ちるのは、麦わら帽子の輪郭がはっきりと分かる真夏の濃い影。
今日の日差しは一段と強いわ。
容赦ない夏の太陽のせいか、シーナの頬は珍しく赤く染まるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます