二度目の顔合わせ

 悲鳴を上げるリーゼに、コルベラと――戸口にいたガイウスが立ち尽くす。

 リーゼはガイウスを睨みつけ、クッションを抱きしめるようにして、震える声で侍女の名を呼んだ。


「コルベラ、貴女はこちらに――ここにいなさい」


 先ほどは追い払ったくせに都合のいいことを言っている自覚はあったが、明らかに怯えているリーゼに何か勘づくところがあったのか、コルベラはリーゼの望む通りに傍に近づいてきた。

 手を差し伸べ、リーゼがその手に手を重ねることはせずにコルベラの袖を掴んでも、気遣わしげな目をするだけで好きなようにさせる。


「何の用」


 コルベラがリーゼを守るように一歩前に立ったので、少しだけ宥められた気持ちでリーゼはガイウスを見据えた。

 本当は今すぐ出ていけと言ってやりたいが、ここはガイウスが差配する邸である。リーゼは――コルベラが言うところでは賓客として――留め置かれているに過ぎない。


「……食事を拒絶していると聞いたが」

「食べる気にならないだけ」

「そのまま餓死するつもりか」


 大袈裟なことを言う。

 毎日四食の食事を取る貴族の基準では、昼食も夕食も取らないリーゼは不健康に映るのだろうか。

 リーゼは“持つ者”特有の視野の狭さを嘲笑した。


「さっきコルベラたちが用意したお茶と茶菓子は、下級女官の宿舎で出される昼食よりも豪勢だったわ。これ以上食べたら次に私の胃が何かを受けつけるようになるまで何日かかるのかしらね」


 上質な麦と砂糖と乳製品をたっぷり使った焼き菓子は、手のひらに載る程度の大きさの薄切りパンと塩漬け野菜のスープ一杯で生活してきたリーゼには重すぎた。

 茶菓子もほとんど残して侍女たちに下げ渡し、それ以降リーゼは食べ物を口に入れる行為そのものを一切拒絶している。

 この調子で貴族の常識に沿って食事を続ければ、数日は胃もたれに苦しむことになると自分で分かっているからだ。


 それを取るに足らない反抗だと思われているのだとしたら、とんだ笑い話である。


「貴方たちに王の娘を餓死させた汚名を着せるのは気分が空くかもしれないけれど、そんなことのためにそんな馬鹿馬鹿しいことに体を張ったりしないわ」


「……夫人、まずは麦粥かパン粥から食べさせろ。このままでは貧相で見るに耐えないが、食事自体が摂れなくなるのでは本末転倒だ」


 コルベラは神妙に頷いているが、リーゼは果たしてその粥も食べられたものかどうか怪しいと睨んでいた。

 麦粥もパン粥も乳製品で煮詰めた病人食だが、貴族階級に流通している濃厚なミルクと平民が口にできる水で薄められた乳汁に雲泥の差があることを、ガイウスやコルベラは理解できているのだろうか。


 あまり期待せずにいようと早々に諦めて聞き流すリーゼを、ガイウスが眉間に皺を寄せて見据えている。

 まだ何かあるのだろうか。話が終わったのならさっさと出ていってほしい。

 ガイウスを部屋に留まらせるくらいなら、あの騒がしい侍女たちを部屋に置いて勝手に囀らせておくほうがまだましだ。


「……他には」

「なに」

「他に要望はあるか。……王女として王城に連れていき、成人の儀を受けてもらうことは決定事項だが、それ以外のことについては、可能な限り望みに適うよう便宜を図る」


 望み。リーゼは再び鼻で笑いたくなるのを堪えて、うんざりとガイウスを見遣った。

 ここまでリーゼの意思をことごとく無視してきた男の言葉とは到底思えない。


 なら今すぐこの部屋から出ていけ、金輪際二度と顔を見せるなと言ったら、この男はどうするのだろうか。

 王城入りしたあとのリティーツィア王女の主席側近を務めることになるのは、きっとこの男だろうに。


「……それなら、部屋を替えて」


 無理難題を言って困らせるのも一興だったが、ガイウスの不興を買ってまた寝台に縛りつけられるような事態はごめんだった。


 少し考えてリーゼが口にした望みに、ガイウスが不可解そうに目を細めた。

 その表情の変化が氷のような硬質な美貌をさらに冷酷なものに見せるような気がして、リーゼは唾を飲み込む。


「何か不服が?」


「ここでなければどこでも、空きがないなら屋根裏部屋でも何でもいいわ。ここだと落ち着かないの。……ここにいると気が休まらないのよ」


 このままだとリーゼは、この椅子か、そちらのソファーで毎晩を明かすことになるだろう。

 硬い藁葺きベッドで寝ることに慣れているリーゼにとっては、クッションに身を預けられるだけで上等だが、リーゼにまとわりつく侍女たちが騒ぎ立てることは必至だ。


 高位貴族の邸に他に空いている客間がないとは思えないけれど、今リーゼに与えられているこの部屋は、きっとリーゼのために整えられた部屋だろうと思う。

 女性向けの意匠の家具や調度品をわざわざ用立てたのだとしたら、リーゼの部屋を移りたいという要望はガイウスの手間をひとつ増やすだけでなく、この部屋にかけた分の手間をまるごと無に帰すものになる。


 聞き入れられるだろうか。はたまた激昂されるだろうか。

 また恐ろしいことをされるだろうか――


 じっと警戒するリーゼを感情の窺えない目で見ていたガイウスは、不意に顔を逸らして、小さな声で答えた。


「……分かった。別に部屋を用意させる。数日中には用意が整うはずだが、それまでの間は暫定的に隣室を使え。夫人、王女殿下を隣室へ」


 言うなり身を翻して出ていこうとするガイウスを、ねえ、ちょっと、とリーゼは呼び止めた。

 ぴたりと足を止めて視線だけで振り向くガイウスを精一杯睨む。


「私の下級女官の登録は、どうなるの」

「明日、退職の手続きを書類上で済ませる。……夫人から聞いていないのか」

「他の侍女がいる場で私が王城の下級女官務めをしていたことを話しても良かったの?」

「人払いをかけろ」

「別用でコルベラだけを私の近くに置いてみたら、他の侍女たちがまるでコルベラが私から一の信を得たような扱いをし始めたわ。コルベラ以外を残した人払いなんてそれに拍車をかけるようなものじゃない」


 暗にコルベラなど信用するに値しない、そう周囲から思われることすら我慢ならないと言いきって、リーゼはコルベラの袖を掴む手をほどいた。

 ガイウスはそれにも顔を顰める。


「クレーエン夫人は、いずれリティーツィア王女の筆頭侍女になる」

「どうでもいいわ。勝手にして」


 主からの信頼を得ていない筆頭侍女など笑い者になるだけだろうが、リーゼが自分で選んだわけでもない。経緯が経緯だけにこれから先も信頼を置くかどうかは分からない。


「……呼び止めた用件は、それだけか」

「……そうね。やっぱりいいわ。それだけよ」


 本当は女官宿舎で同室だったあのお喋り好きの同僚にひと言挨拶をしたかったけれど、その伝言をガイウスやコルベラに頼むのは嫌だった。

 どうせ二度と直に口を利けない相手になるのだから、最後の挨拶ができなかったからといって何になるわけでもない。


 視線を外して話の終わりを告げると、「明後日から家庭教師と神官を呼ぶ。そのつもりでいろ」と素っ気なく言い置いてガイウスが部屋を出ていく。


 その姿が扉の奥に消えて見えなくなった途端、リーゼの肩から力が抜けた。


 思いの外自分が緊張していたらしいことを嫌でも自覚しながら、案じる目をするコルベラを払いのけるように立ち上がり、隣室に案内するよう命じる。

 とにかくこの息の詰まる部屋から早く離れたかった。


 夕食は絶対に要らないと突っぱね、窮屈な貴族向けの日中用衣装を解いて、軽すぎて落ち着かない寝着に替え、新たに用意された寝室のベッドにようやく横になる。

 不寝番は外で控えるように言って、侍女はすべて寝室から追い出した。

 だだっ広い寝台に身を沈めて、リーゼはそれ以上の考え事を拒むように、きつく目を瞑った。

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