懇願

 露骨に肩透かしを食らっているリーゼを、ガイウスが不愉快そうにじっと見た。

 リーゼはガイウスを鼻で笑ってみせた。


「ナッハトラウム卿、私が東宮の下級女官になったときの祈力測定値をお調べになったら? 私には『ライヒ・ブロア』を名乗るに足る祈力なんてないわ。成人の儀だって第一王子より派手に失敗するわよ」


 祈力を捧げて祈術陣を発動させる神事なんて、平民より祈力の少ないリーゼにできるはずがない。

 せせら笑うリーゼを物言いたげに眺めていたガイウスだったが、リーゼは取り合わずに話題を切り替えた。


「そもそも、国王陛下はどうしてご自分でユスブレヒト王子の行方をお調べにならないの? ユスブレヒト王子を王太子にというのは建前で、本当は陛下もあの失格王子を後継者にすることを望まれているということ?」


「……ユ―リア様の離宮に刺客を送って火を放ち、ユ―リア様とリティーツィア様を失う元凶となった第一王子の母を、陛下はお許しになりません。その御子たる第一王子のことも、特別のお心配りを与えようとはなさいません」


 その確執は、王城務めの下級女官の間でもよく知られている、有名な王室の醜聞だった。


 国王はその一件以来、第一王子の母――当時の正妃であった――の許には一切通わなくなり、その数年後には子ができないことを理由に妃位降格を言い渡している。


 時を前後して、アッシュヴァルツ一等爵家が存在を秘匿して庇護していたユスブレヒト第二王子の存在を知らされたことで、愛妾であったユ―リアとの遡及婚を成立させて第二王子の母に正式に『光の側妃』の地位を与え、自分の御代が続く限りこの妃位は替えの利かないものだと王命を下してその立場を永久のものとした。


 亡き恋人ユ―リアの忘れ形見であるユスブレヒトには、季節ごとに溢れるほどの贈り物を宮に届けさせ、事あるごとに自室に招いては「最愛の我が息子だ」と慈しんでいるのだという。

 あれでは第一王子の立場がないと、普段第一王子の横暴に振り回されている冬の宮付きの上級女官でさえ同情的に噂しているのを、リーゼも小耳に挟んだことがあった。


「……陛下はかの離宮襲撃の際にお忍びで居合わせたことで火に巻き込まれ、玉体の祈力器官を酷く損なわれました。それに伴い、一度は聖樹の祝福を受けた王でありながら、欠けた器では聖樹の加護を行使することを聖樹に拒絶されているのです」


 聖樹が祈りで満たされなければ国土に加護が行き渡らない。聖樹の加護を失えば土地は痩せ、命は朽ち、国は衰えるばかりとなる。

 国王や王家が民衆から信仰に近い支持を集める所以である。


「陛下はご自身に代わり、聖樹に祈りを満たすことのできる者を早急に立てることが王家の責務であると仰せになりました。すでに三妃の席が埋まっているご自身に代わり、次代の聖樹の王となれる王の子を王太子の下に誕生させたいと欲しておられるのです」


 なるほど、とリーゼは途端に冷めた目でガイウスを見遣った。


 ユスブレヒトの行方が分かるかもしれないというだけではリーゼの食いつきが弱いと見るや、この男は今度は仮にも未来の王女として六歳まで育てられていたリーゼに対して、王家の責務とやらを持ち出そうとしている。

 仮にも血の繋がった父親の話題でもあるはずだが、リーゼはガイウスが語る痛ましい真実と国王らしい覚悟を、冷めた気持ちで聞いていた。


 リーゼたち下級女官の間ですら、当時の正妃ジルヴィーナがそのような凶行に及んだのは、ひとえに国王がジルヴィーナ妃の嫉妬心と屈辱感を盛大に煽ったせいだと知られていた。

 正妃と第一王子に対しては関心を向けず、反対にまだ側妃ですらなかった母ユ―リアとその子たちを内宮の敷地内に住まわせて目に余るほど構いつけていたのだから、正妃がユーリアたちを目の仇にするのも当然のことだっただろう。


 リーゼも遠い幼い記憶の中で実父に可愛がられて懐いていたことは覚えているが、母ユ―リアが父王に囲われるようになった経緯を知った今となっては、父母の逸話を美談にする貴族たちの風潮に思うところがないとは言えない。

 巷で囁かれるよりずっと母は不幸だったし、結果的に母を不幸にした父の不運は自業自得だ。


 その自業自得のつけを、巡り巡って今リーゼが払わされようとしている。


 炎に包まれた離宮から母と命からがら逃げ出して生き長らえ、辺境の遠い神殿に追放されて、二度と王族の目通りも敵わない立場に身をやつした。

 母を亡くしてからはたったひとりで必死に身を立てて、貴族からは力を持たぬ平民と蔑まれながらなんとか王城の下級女官の仕事の紹介状を手に入れて――

 そこまでしても、あの父と母の子であり、第二王子の実姉だと名乗ることもできなかったリーゼが、なぜそんなことをしてやらなければならないのだろう。


「……お断りだわ」


 リーゼは吐き捨てた。


 リティーツィア王女殿下、とついに咎めるような口調で性懲りもなく続けられたその呼称を遮るように、もう一度はっきりと「お断りよ」と繰り返す。


「聖樹の王も国の加護も、心底どうでもいいわ。何度でも言うわね、ナッハトラウム卿。私に王位を望むほどの祈力はもうないの」


 自分の口からそれを告げることに、胸が軋んだ。


「器の中身が空っぽな私なんて聖樹の目に留まることもないでしょう。仮に聖樹が酔狂にも私に目を留めたとしても――絶対に嫌よ。私がライヒ・ブロアを名乗ることは、これからも一生ないわ」


 リーゼの凍てついた台詞にガイウスが奥歯を噛み締めたのが分かる。女神の彫刻のように美しく整ったかんばせを怒りに歪ませ、ほとんど睨み据えるようにリーゼと相対する。

 その表情はどこか必死さを帯びていた。


「……王女殿下、どうかご再考ください。御身から王家の血筋を継ぐ貴き証を長年奪ってきたのは我らの咎です。これよりはアッシュヴァルツが御身の八年の苦難に報い、この身が滅びるときまで潰えぬ忠誠を尽くすことを誓います」


「そんなものは欲しくないわ」


「このまま第一王子が王太子位に就けばブロア宮廷はかの愚者と奸婦の毒に侵されましょう。貴女とてかの第一王子と闇の側妃の行状はご存知のはずです」


「平民に殿上人たる王族や貴族のなさることなど知る由もないことよ」


「ユスブレヒト王子殿下がお戻りになられた際に変わらぬ御座でお迎えするためにも、王太子の座を第一王子に渡すわけにはいかないのです」


 随分な入れ込みようだこと、とリーゼはその懇願をすげなく聞き流した。


 この男は、リーゼの話を聞いていなかったのだろうか。

 それとも、リーゼに、己が貴族の証である祈力をほとんど自身から失った事実を、二度と王族どころか聖樹に祈りを奉納する貴族としても名乗ることのできない現実を、まだ口に出して言わせたいのだろうか。


 王侯貴族にとって、祈りを捧げて神々から祝福を得る力を失ったということがどれほど致命的なことかは、高位貴族家の生まれであるこの男にもよく分かっているだろうに。


「ナッハトラウム卿、話がそれだけなら、そろそろ私を王城の女官宿舎に返していただけないかしら。私は東宮付きの下級女官リーゼよ。貴方がお探しの亡くなった王女殿下などではないわ」


「…………貴女は、この国が、どうなってもいいと?」


「知ったことではないわね。私にできることは何もないわ」


 リーゼは言い募るガイウスを一蹴した。


 唯一の心がかりは双子の弟ユスブレヒトの安否だが、もう手遅れなのかもしれないという噂は王城内でも散々飛び交っていた。

 第一王子を差し置いて王太子と目されていた第二王子を、第一王子とその母妃が狙わないはずがない。その毒牙にかかったのだろうと考えれば納得はできないが腑には落ちる。


 結局、リーゼにできることなど何もなかったのだ。


 ひとり王家に残ったユスブレヒトが心配で王城に上がる紹介状を手に入れたが、東宮付きになっても下級女官が王子に拝謁できる機会などそう存在しない。

 リーゼは王族の視界に入らないように遠巻きから側近たちに囲まれる弟を眺めるほかなかったし、稀に王子や国王が回廊を通りかかることがあっても、下級女官は回廊の隅に膝をついて王族が通り過ぎるのを待つのが規則だ。

 勝手に顔を上げて王族の尊顔を拝することは許されていない。


 ユスブレヒトも父王も、リーゼがすぐ傍にいたことなど知らなかっただろう。

 取るに足らない下級女官とすら認識されていなかっただろう。


 幼いころはリーゼの後ろにべったりくっついて離れなかった気弱で泣き虫のユスブレヒトが、凛々しい顔と大人びた口調で王子らしく側近らに指示を下す姿を、リーゼも何度か目にしたことがあった。


 ユスブレヒトに、もう隠れるべき姉の背は必要ない。


 それを知っていて、それでも元気にしている姿を見られればそれで満足で、リーゼはそのためにここに留まり続けたけれど、それももうおしまいにする時が来たのかもしれない。

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