驚愕
――な、とリーゼは絶句した。
王城では様々な噂はあれども、王家からの公式発表では第二王子は病気療養ということになっている。
典医や第二王子付きの教師を務める学者が春の宮を頻繁に出入りする姿を、東宮務めの女官であるリーゼもよく見ていたし、春の宮からは第二王子の洗濯物も数日おきに出されてくる。
だが一方で、この一年、第二王子本人の姿を見た者はいない。
信じられない気持ちと、どこかでああやっぱりと思う気持ちが同居していた。
リーゼは震えを堪えて身を乗り出した。
「どういうことなの、ユスが――失踪ですって? 病気療養ではなかったの」
「ユスブレヒト第二王子殿下は一年前より忽然とお姿を隠され、以降は王城の誰の前にもお姿をお見せになりません」
「護衛の騎士は何をしていたのよ!」
「ユスブレヒト殿下のお姿を騎士が見失ったのは、殿下が聖樹の御許の大神殿で祈りを捧げていた間のことです。かの聖壇には王族以外は立ち入れません」
「――王子の玉体を護れぬ失態の咎は、自分たちのものではないと言いたいの」
それが王族の側近を務める者の態度か。
憤りを湛えて問いただすリーゼの鋭い口調に、ガイウスはリーゼから視線を地面に落とした。膝をついたままの体勢でさらに深く面を伏せる。
殊勝な態度にリーゼは虚を突かれた。
「このような事態を招いたこと、申し開きのしようもございません。すべての責は私とアッシュヴァルツに。誹りはいかようにも――貴女にはその権利がある」
ガイウスはそれだけ告げて口を噤んだ。まるでリーゼからの断罪でも待つように目を閉じてじっとしている。
そのまま放っておけばいつまでもそうしていそうな気配さえ漂っていて、リーゼは困惑とともにガイウスを窺った。
この男は、何なのだろう。
平伏しているガイウスにもう一度そう思う。
褒められたものではない手段でリーゼを拉致しておきながら、言葉と態度はどこまでも慇懃に振る舞う。
ただの下級女官でしかないリーゼに最敬礼で跪き続ける。
自らも周囲から傅かれて生きてきたはずの、高位貴族の正嫡にもかかわらず。
「……ナッハトラウム卿。立って」
「ですが、リティーツィア王女殿下」
「やめて。私はただのリーゼ。……一等爵家の人間である貴方にいつまでもそうされていると話しにくいの。せめて座ってちょうだい。平民に高位貴族が跪くのはおかしいわ」
ブロア王城では雇い入れる者に階級や推薦人に応じて職務等級を振り当てる。
リーゼの下級三等とは王城務めの女官の中でも最低位の、下働きの仕事をする者に当てられる等級であり、家名を持たない平民籍の者はたいていこの等級で王城務めを開始する。
反対に貴族はどれほど階級が低くとも中級二等を割り当てられるので、古い大貴族の家名を持つガイウスと名乗るべき家名を持たないリーゼでは文字通り住む世界が違う。
リーゼはガイウスから目を逸らして言った。
ガイウスはしばらくリーゼを見つめていたようだったが、やがて衣擦れの音がして彼が身を起こしたのが分かる。
剣を腰帯に差し直し、手近な椅子を引き寄せて腰を下ろす、その間にもなおも視線を感じてリーゼは居心地の悪さの中で身じろぎした。
「……ユスの、ユスブレヒト王子の行方は、分からないの」
「左様でございます」
「それで、死んだはずの王女を代わりに? 無理があるわ。そんなことをしている間に、ユスブレヒト王子の捜索に手を尽くしたほうがいいんじゃない」
「我々はこの一年の間、総力を挙げてユスブレヒト殿下をお探しいたしました。ですが、行方はおろか、殿下の足取りすらいまだ掴めておりません。――我々には、もう時間が残されていないのです」
時間がない。先ほどもガイウスはそのようなことを言っていた。
訝る目でどういうことかと問うと、ガイウスは苦悩を帯びた眼差しを陰らせて膝の上で指を組んだ。
「陛下はかねてより、第一王子より、祈力が豊富でかの年齢で早くも王位継承者としての資質を現しつつあるユスブレヒト殿下をこそ、ご自身の跡を継ぐべき王太子に据えたいとお考えでした」
国王のもうひとりの子、ジオルク第一王子は、次の冬で成人から三年を迎える。
本来なら未成年のユスブレヒトより王位継承に近い身分にあるはずの彼は、成人王族の通過儀礼である成人の儀に失敗した瑕疵を持つことから、三歳下の異母弟にその立場を脅かされていた。
「しかし、ユスブレヒト殿下が行方知れずとなり、陛下の御子が第一王子のみとなった今、存命で成人済みの唯一の王子を王太子と定めずにはおけないとのお考えを我ら臣下に示されたのです」
「存命って……」
リーゼはにわかに不安になって口を挟んだ。
「ユスは行方が分からないだけで、死んだと決まったわけではないんでしょう?」
「お亡くなりでないのなら、一年もの間お姿を現されない理由を説明できません」
「……ナッハトラウム卿、貴方も、ユスがもう死んでいると思うの?」
「私には分かりかねます」
にべもなくガイウスは断じた。
それから歯痒さにこぶしを握るリーゼを、確信に満ちた双眸で見据えた。
「それがお分かりになるのは――その可能性をお持ちでいらっしゃるのは、今や貴女しかいらっしゃいません。リティーツィア王女殿下」
……どういうこと、とリーゼは呟いた。
弟の行方に関することならこの命を懸けても知りたいと思う一方で、このままこの男の話に乗せられてはとんでもないことに巻き込まれるという不吉な予感もあった。
それでもリーゼは弟を案じないわけにはいかない。
だから危険を冒してまで王城に下級女官として潜り込んだのだ。
「王女殿下は王位継承の資格についてどこまでご存知でいらっしゃいますか?」
「どこまでって……六歳の王の子に知らされる程度よ。『聖樹に祈りを捧げて王位継承の資質を育て、聖樹から王位継承権を証明する祝福を得た者が、次の王位継承者となる』」
「では、王位継承の資格を得た者の権能については?」
「聖樹の王のこと? 『聖樹に認められた王は聖樹を守護する神の名においてその地と人を治める。聖樹の守護神はそのための権能を王に与え、代わりに王は聖樹を敬虔な祈りで満たす』。どういうことかまでは知らないわ」
答えてから、リーゼはこんなことをすらすら語れてしまう自分にうんざりした。
失ったものに未練はなかったつもりだけれど、知りたくなかった深層心理を目の前に見せつけられたような、ばつの悪さに襲われる。
ガイウスはそんなリーゼを気にも留めずに頷いた。
「詳細は王と王位継承者でなければ知りえぬことですが――聖樹の王は聖樹の頂で守護神イヴリスと謁見し、聖樹の加護が及ぶ地を統治するための『知』と『力』を与えられるそうです。その権能によれば、聖樹に生誕の加護を受けた民の生死や居場所を知ることも造作もない、と」
「……要するに、祈術の一種ということね」
平民の同僚の中でも最低数値を叩き出すほど祈力をまったく持たないリーゼは、白々と言い捨てた。期待して馬鹿を見た気分だった。
仮にも聖樹に王として認められた国王を父に、古い三等爵家の血筋に連なる姫を母に持つリーゼは、もっと違う名を名乗っていた幼いころは確かに両親譲りの豊富な祈力を自在に操っていたはずだが、今のリーゼは自分の体内に循環する祈力の残滓も感知できない。
生物は須らく多少の祈力を持つので、計測すれば微々たる数値が上がりはするが、貴族の子が祈力制御の一番初めに習うような基礎属性の第一呪文祈術ですら、今のリーゼにはまともに発動させられないのだ。
八年前のあの日の一件以来、リーゼの体からはほとんどの祈力が失われてしまったのだから。
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