第30話 ランチタイム
朝から始め、昼頃には帰るつもりだったが、なんの気まぐれかお昼を誘われそのまま同席することとなった。
ちょん切り女が止めるだろうと思われたが、予想は外れ制止の声は出なかった。
どうやら最低限、食事を同席してもよいと思われる程度には株が上がったらしい。局部を狙われる危険が下がったのなら僥倖だ。
それにしても意外だったのは、彼女自身が今回の授業――いや、そんな大層なものではないか。例外的な世間話といった方が近い――に前のめりだったことだ。
途中から質問が飛んできた時には驚いた。
本人も少々厚かましいという思いはあったのか、顔を朱に染めながらだったことで不快感はなかったが。
まあそれでも、食事に誘われた際には「むぎゅ~」などと妙な声を出して歯を食いしばっていた。
場所を中庭から屋敷の中へと移し、長机に腰を下ろす。
料理が運ばれてくるまでの時間、自然と視線は先ほどまで本に隠れていた女性の顔へと向いた。
(・・・・・・ん? どこかで見たような・・・・・・)
衣服は見覚えがない。だが、顔立ちには何か引っかかるものがあった。記憶の海を手探りで漁ってみるが、明確な該当はなし。どこか、焦点の合わぬところで、ちらりとだけ見た記憶があるような、そんな、かすかな既視感。
「とっても新鮮な野菜。季節を考えると、北部からのものかな。ありがとね~ レオナちゃん」
どこか間延びしたような、のんびりとした口調。
その響きに、はっとする。聞き覚えがあった。
(学園の・・・・・・確か、教師だ)
そこまで思い出せれば、自然と目の前の女性が誰かは導き出せた。
多様な植生に詳しく、宮廷薬師の称号を持っている人物は一人。
名前は――確か、リュリアだったはずだ。
そう言えば、俺が再試験を受けている時にも彼女の姿があった。
だが、あの場には濃い面子が揃っていたせいで、印象が薄れていたのだろう。今になってようやく記憶の底から引っ張り上げられた。
にしても、妹がいたとは知らなかった。
ゲーム内でも彼女の登場イベントはあった。確か、森林の奥地へ進む際、「未知の植生への調査が必要だ」との理由で、宮廷薬師の彼女が同行するという内容だったと記憶している。ただ、その際の会話はほとんどが植物に関するものばかりで、世間話の一つもない、筋金入りの植物オタク。それが彼女に対する印象だった。
案の定、今も口を開けば昼食に出ている野菜の話題ばかり。
彼女の傾倒ぶりは前世の廃人達に少し似通っていて、多少懐かしい気分になった。
「今日は可愛い妹のお願いで来たんだ~」
隣に座るモルドニカ、いや姉妹ならファミリーネームは一緒か。
パメラの頭を撫でるリュリア教員。撫でられているパメラも嫌ではないようで、そっぽを向きながらも、その手を止めようとはしない。
姉妹仲は良好なようだ。
「パメラちゃんの取り越し苦労だったみたいだけどね~ 面白い話を聞かせてくれてありがとね~」
話の矛先がこちらに向いた。
「私も研究過程で成分の抽出や調整をしたりするから、応用が利きそうな水魔法は是非とも欲しかったな~」
彼女の魔法適正は火と土の二属性。
水の適正こそないが、二つに適性を持っているというだけで人材としては非常に希少だ。
「ちなみに、今は幻覚系の研究をしているんだけど、なにか面白い話ないかな~」
「幻覚系?」
フィッツジェラルドが聞き返す。
耳馴染みのない、あまり研究されていない分野だからだろう。
世間話のように軽く話しているが、実は彼女の研究は公にされていない機密プロジェクトの一つだ。
西暦を考えれば、ある宗教団体が頭角を現してきた時期に近いのでそれ関連だろう。
神託やら啓示をなんらかの方法で再現し、信者を増やしている団体だ。
困窮者から研究者まで、信者層に一貫性はない。ただ、その分多種多様な分野に手を出せる上、情報を多角的に取り入れ身を潜める厄介性を持つ。
こういう団体は徐々に国を蝕んでいくから、取り返しがつかなくなる前に対処しようと国が腰を上げたのだ。
正直、俺もそういう団体は早急に潰れて欲しいため支援を惜しむつもりはない。
ただ目的のための立場の保持が難しい。
その上で、話せる内容は開示する。それが今の俺のできる限りだ。
「・・・・・・幻覚は、難しい分野です。様々な条件を加えた場合、案外簡単に解けてしまう」
「う~んと・・・・・・生活していくうえで、矛盾点に気付いちゃうからってことかな?」
「ええ。だから幻覚を安定して植え付けるには、前提となる条件があります。たとえば、部分的かつ日常生活で触れないような領域に限定すること。対象者が外部との接触が比較的少ないならそれが理想ですね」
その行動がおかしいと気付く外部の人間が、術士が一番嫌がる要素だ。
この外部観測者からの言葉で、現実と乖離していることに気付くと、幻覚や催眠をかけられた対象は簡単に目を覚ます。
だから術者は矛盾する情報を提示しないように働きかけるのだ。
「矛盾点に気が付かないくらいに強いものを植え付けることはできるの?」
パメラがぽつりと呟く。何気ない疑問のようにも聞こえた。
ある程度分野を研究したリュリア教員からこの質問が出なかったのは、理解の深さ故だろう。
矛盾点に気付かないレベルでのものは、明らかに脳の思考能力にも問題が生じる。そうなれば団体が求める信者(金ないし情報収集者)にはなり得ない。
ただ、これにも例外はある。
「矛盾に気付けない幻覚。実はある。人間は見たいものを脳内で補完する習性があるからそれを利用するんだ」
「・・・・・・例えば?」
パメラが首を傾げる。
「そうだな。仮に、隣の姉が死んだとしよう。その数日後、姉と瓜二つの人間が現れたとする。そうなるとお前はこう思うだろう『姉は死んでいなかった』もしくは『生き返った』のだと」
極限状態になればなる程にこの認知バイアスが起きる。
理性が壊れる前に、感情が答えを先に作ってしまう。認めたくない現実を脳が書き換えるのだ。
ここを利用されると、はれて解けない幻覚の完成だ。
「・・・・・・ああ、なるほどね~」
リュリエ教員がぽつりと呟く。視線を落とし、ほんのわずかに目を細めた。
その表情には、かすかな嫌悪と、苦い記憶の影が見えた気がした。
「た、確かにそんな風に思いたくなっちゃうかも。・・・・・・ってことは、そうなったらもう解けないってこと?」
「いや、難しいが方不可能じゃない。物理的衝撃を加えたり、魔法薬で治したりとか。方法はある」
「・・・・・・そんなにスラスラ出てくるって、まさかあんた、実際にやってたりしないでしょうね」
パメラが目を細め、胡乱な視線を向けてくる。
「やってたらわざわざ解除方法を教えるかよ」
「ふん、信用できないわね。今だって、幻覚で私のパーフェクトボディを好き勝手したいとか邪な考えを抱いてるんじゃないでしょうね!」
両腕で自分の体を抱き、身を引く。露骨な警戒ポーズ。
「ふっ」
自称パーフェクトボディ(笑)に自信があるようだが、生憎成人もしていないような未成熟な体に興味はない。
「え、ちょっと、今鼻で笑って・・・・・・」
「まあまあ落ち着きなってパメラちゃん~ それよりも魔法薬の話を聞きたいんだけど~ 精製法を知ってたりする? 調合が上手くいかなくて難しんだよね~」
立ち上がり襲い掛かろうとするパメラを抑えながら、宥めるように頭を撫でるリュリア教員はそのままの姿勢で話し始める。
魔法薬。
強い幻覚から無理矢理覚醒させるには、精神の深層にアクセスして幻を引き剥がす必要がある。
魔法で解除することも可能だが、脳に影響を及ぼすため魔力の操作は極めて繊細なものを要求されるうえ魔力消費も激しい。
対しての信徒の数を考慮すれば、魔法での対抗は非現実的だ。
もしも解除薬が完成すれば劇的な進歩と言えるだろう。
とはいえ、先にも言った通り脳に影響を及ぼすものだ。
薬の生成に関しても繊細かつ強力なものが必要になる。
一つ一つの素材が強力になるため、調合には必ず必要な安定剤が不可欠。
(・・・・・・待てよ、この面子ならいけるんじゃないか?)
目の前のテーブルを囲む面々をちらりと見る。
伯爵家一つの資産や影響力では手が届かない。だが協力が得られるなら、あるいは。
『セレファリアの生産』が可能かもしれない。
それは、いまだ安定生産の確立していない、極めて貴重な薬草。精製が成功すれば、国の錬金技術を一世代進めるとすら言われている奇跡の安定剤。
「残念ながら精製法は知りません」
俺がそう答えると、リュリエは肩をすくめて笑った。
「そっか~ もしかしたらと思ったけど、流石にそこまで都合よくはいかないか~」
「ちなみに安定剤に使われているのはセレファリアでしょうか?」
「えっ、あう、う~ん。どうだったかな~ そうだったような、違うような~?」
口ごもりながらも、図星を突かれたような反応。
まあ国の機密プロジェクトだから間違いなくそうだろう。
個人だとしたら、セレファリアなんて貴重品を生産が確実になっていない段階で使える訳がない。
それでも、プロジェクトは複数進んでいるため予算は限られる。
材料にも限界はある。
「セレファリアの安定生産」
魅惑的な言葉の羅列に、この世界のオタクはピタリと止まる。
「ご興味ありませんか?」
彼女の視線がじりじりとこちらに向けられる。
あとは、納得させられる根拠を提示できれば俺の勝ち。
こちらには、既に実現可能であるという確証がある。反則じみているのはわかっているが――勝負は、もうこちらに傾いている。
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