第29話 余興

 四日後、約束の期日。

 俺は王都にあるフィッツジェラルド邸にいた。


 朝早く、フィッツジェラルド家から迎えの馬車が屋敷に来た。

 乗り込み、揺れる車内で心を落ち着けながら、目的地のことをぼんやりと考える。


 北部の統治者たるフィッツジェラルド。

 その王都宅はどんなものかと、そして実際に目にした第一印象は、なんとも言えなかった。


(でっかぁあ・・・・・・)


 そんな月並みのもの。

 規模が違い過ぎて思考が逆に一周回ってしまった感じだ。


 “大きい”と言うよりは“広い”と言った方が表現としては正しいか。

 兎に角敷地面積が広大で、屋敷の前には巨大な庭園が広がり、花々が風に揺れていた。

 案内を務めるメイドに従い、屋敷の中を進む。廊下は長く、床には赤い絨毯、壁には見事な刺繍や絵画。荘厳だが、決して居心地が悪いわけではない。


 やがて通されたのは、中庭のガゼボ――庭園に設えられた、白亜の小さな東屋だ。

 そこには、三人の姿があった。


 一人は、足を運ぶ理由となったレオナ・フィッツジェラルド。

 そしてもう一人は先日出会ったパメラ・モルドニカ。変わらぬ冷ややかな視線をこちらに向けてくる。

 そして最後、二人とは少し離れた席に、本を顔に被って眠っている人物が一人。


 学園での服装とはまた違い、ドレスの纏った姿は、少し大人びて見える。

 まあドレスと言ってもフリルの付きまくった動きにくいそれとは違って、機能美を重視した動きやすい服装を選んでいる様だった。


 ガンを飛ばしてくる少女は置いておいて、まずはこの場の権力者に挨拶する。


「フィッツジェラルド様。本日はお招きいただき、誠に光栄に存じます。良き日和に恵まれましたね」

「うん。晴れて良かった。少し熱いぐらいの日差しだから、喉が渇いたらすぐに言って」

「ご配慮感謝いたします」


 ひとまず形式的な挨拶を終え、隣の彼女へ。


「本当に来たのか」

「私の台詞だわ。あなたこそよくもまあこれたものね。でもいいでしょう、そんなにその粗末なものとおさらばしたいのなら早々に引導を渡してあげましょう」

「誰もそんなことは言ってないが」


 下を見るな下を。

 モルドニカは懐に手を差し込むと、なにかを取り出した。


「それは、なんだ・・・・・・・?」


 手に握られていたのは、銀色にきらめく鋏だった。

 きらりと日差しを弾き、鈍く光っている。


「あら? 鋏をご存じない? ふふ、おほほほほ。そんな程度で教育者を気取るなんて。低能極まれり、ね。レオナ様、このパメラにすべてお任せ下さい!」

「ん? よく分からないけど、任せた」


 ・・・・・・分からないなら任せないでくれ。頼むから。

 誰だよこのモンスターを屋敷に入れたの。

 摘まみだして欲しいとの意思を込めて、後ろに控えるフィッツジェラルド家の使用人を見るが、柳に風と受け流される。


 まあ無理もない。彼等からすれば、真に追い出したいのは俺の方だろう。

 誰もまるでおくびにも出さないが、仮に俺に娘がいたとしてクリスを招くとなどと言われた日には、無理矢理にでも止めていたと思う。


「この方は?」


 もうモルドニカがいることは仕方ないことだと割り切り、話題を変える。

 本を顔にかけて爆睡中の三人目。


 俺の問いに答えたのはモルドニカだった。


「私の姉よ」


 胸を張り、鼻を鳴らす。


「ふふん、あなたがおかしなことを言ったらすぐに訂正してもらうから。さも本当の様に嘘を教えても無駄だから。少しでもおかしなことを言ってみなさい。切り取った後、ペテン師として叩きだしてあげるから」


 ・・・・・・一聞いたら十の恨み言が返って来る。

 家柄が同格の貴族の子女だからというのもあるが、やはりこの対応が本来のクリスに対する周囲からの反応だ。


 隣のフィッツジェラルドはぼんやりとしているが、普通の人間は関りを持ちたいと思わないはずだ。


 肯定するように、ガゼボの外に控える使用人たちの視線は冷ややかだ。表面上は礼儀正しくとも、その無言の圧ははっきりと伝わってくる。歓迎されていない。むしろ警戒されている。


 思えば当然だ。北部を統べる名家の令嬢と、一介の――しかも過去に色々あった俺がこうして接点を持っているのだ。親心ならぬ「忠義心」が刺激されるのも無理はない。

 一方で、パメラ・モルドニカの方は、堂々とした態度で鋏を取り出しているというのに、誰一人として止める気配すらない。


(・・・・・・なるほど。俺をけん制できる存在として、むしろ歓迎されてるわけか)


 彼女の過激な言動は、この場において“必要悪”として黙認されている。あれほど強引な物言いでも、俺に対してなら許される。いや、推奨されているのだ。

 溜息を吐きたいのを堪えて、モルドニカに問いを投げかける。


「指摘できるだけの存在であるかが、まず判断できないんだが」

「宮廷薬師の資格を持っているわ」

「ほぉ・・・・・・」


 宮廷薬師、それは王国内でも極めて限られた者だけが得られる称号だ。

 薬の調合と研究・薬草園と素材管理・毒鑑定、果ては王族の健康管理まで、その仕事内容は多岐に渡る。

 地球よりもその植生が数段広いと言われるこの世界では、覚えなければならない範囲が膨大なものになる。


 当然試験では、それらを実行できるかが見定められる訳で。

 合格者が出ない年もある程の、超低確率な狭き門だ。

 プレイヤーの中でも、これをわざわざとるのは植物ギルドの連中ぐらいしかいなかった。


 ・・・・・・たとえ今この瞬間、当人が本を顔に乗せて寝こけていたとしても、その肩書きだけで彼女の言葉には確かな裏付けとなる。


「分かった。そういうことなら俺が間違ったことを言えば訂正して貰おう」

「そのまま叩きだされるのを忘れないように」

「はいはい」

「なによそのおなざりな態度はっ?! むきぃい!!」


 淑女にあるまじき地団太を踏んでいる少女は置いておいて、ようやく本題に入る。


「それでは始めましょうか」

「よろしく。あらかじめ色々と準備はしておいたのだけど・・・・・・」


 そう言ってフィッツジェラルドが向けた視線の先には、実験用の器具が並んでいた。


「先に必要な物を聞いておくべきだった」

「問題ございません。身一つでも問題ない内容をあらかじめ想定しておりましたので」


 口頭でちょっとそれっぽいことを言って無難に終わる。

 そのつもりで来たが、用意された物を見れば中々に本気なのかと思わされる。


「とはいえ、用意して頂いたものを使わないというのも・・・・・・ふむ、これを使いましょうか」


 手に取ったのは瓶を二つ。

 そして試薬が入れられた箱の中から粒の細かい岩塩を少々。


 近くの使用人に、瓶の中に水を入れて貰う。


「フィッツジェラルド様は水の魔法に適性があったと記憶していますが、間違いないでしょうか」

「うん」

「では航海王記は?」

「勿論知っている」


 航海王記とは、簡単にまとめると海を操ったという男の冒険を綴った書物のことだ。

 現存の記録としても一応は分類されているが、その内容はあまりに壮大で荒唐無稽。実在を信じる者は少なく、一般には「神話の類」として扱われている。


(身近な適正魔法を題材にする方が、実演としても面白いだろ)


 決めつけ百パーセントの理論を備えて準備を進める。


 それぞれの瓶に水を入れて貰った後、片方には塩()を入れる。

 海水に近付けるためだ。

 比重計があれば適切な濃度にすることもできるが、残念ながら手元にはないため塩の量は俺の感覚だ。


「ちなみに、本を読んでどうでしたか」

「あの話は現実味がなくてあまり咀嚼できなかった。視界内全ての海水を操っただとか、海を割って歩いただとか。主人公の凄さを表現するにしても、誇張が過ぎる」

「誇張、ですか」

「間違いなく。まあ実際にやったのだとしても、それがさも自分の力だけでというのはありえない」


 フィッツジェラルドは強い言葉でそう断じた。

 彼女の言葉には理由がある。


「魔力伝導効率ですね」

「そう。純水に比べて、海水は非常に魔力伝導効率が悪い」


 水魔法とは、液体を生成、または既に存在するものに魔力干渉を行い、運動や形状変化を与える魔術系統だ。

 対象となる液体が純水に近い程魔力伝導率が高く、操作が容易になる。


「通常、生成するよりも既に存在する液体を操った方が魔力の消費が抑えられる。けれど、海水の操作は、水を生成する以上に魔力消費が激しい」


 何故海水の操作は難しいのか。

 結論を言えば、海水には熔解物質が多いからだ。

 それらが干渉し、魔力を流しこもうとすると、魔力を吸収・分散させてしまうため、魔力効率が極端に落ちる。


 しかも海水は大規模に動くため、広域的な操作には高精度な演算処理や制御魔方陣が必要になり、実用には向かないという訳だ。


「では、この二つの水を瓶の中で回してみて下さい」

「ん? 分かった」


 魔力がそれぞれの液体に干渉する。

 彼女の魔力制御によって純水の液体は高速で回転し渦を巻く。それに対し、塩を入れた方の瓶の回転は緩やかで、十分に制御がしきれていないようだった。


「全く、さっきからなにがしたいのよ。既に知られていることを改めてやることはただの検証じゃない」


 横からモルドニカの野次が飛んで来る。

 彼女視点では、できないことを無理にやろうとしているペテン師だ。視線は非常に厳しい。


「いや、そうでもないぞ」


 俺はあらかじめかけておいた魔力を操作して、塩と水の結合を強制的に解除する。


「えっ」


 そうなると、液体は海水という混合物から、水と塩の単一成分に分かれる。

 水魔法は、水にのみ反応するため、先程まで緩やかな回転をしていた瓶の中身はもう一つの瓶と同様の回転速度に至る。


「どうして・・・・・・?」


 操作を続けながら疑問符を浮かべるフィッツジェラルド。

 その隣で目を点にさせているモルドニカが瓶を周囲から観察し、下の部分の異変に気付く。


「し、塩が下に集まってる」

「私の魔力を予め塩に混ぜる事で、水と分離させたのです」


 一度瓶を置いて、改めて話をする態勢をとる。


(勿体ないんだよな)


 この世界の水魔法はまだその真価を発揮できていない。

 それというのも、分子論がなく、液体の存在理由をかなり抽象的に捉えているためだ。


 魔法は魔力操作もそうだが、想像性が重要だ。

 正しい理論を備えることで、魔力の無駄な消費を起こさず、かつ多様な手段を用いることができるのが水魔法。


 航海王記の主人公は、海街で育ったという。

 おそらくは海水に含まれる塩分の濃度も、そして水と塩が混ざり合ってできているというのも容易に想像できた。

 海水を操ったのではなく、海水内の水だけを操ったのではないかと俺は思っている。


「さて、前座はここまでにしましょう。今からは、更に視点を広げられるような話をしていきます。本の中では語られない内容ですので、読み返しできないことはご了承ください」


 意訳、『わざわざ書き記すつもりはないから、覚えたいなら自分でどうにかしてくれよ』との思いを込めて次の準備に移る。

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