第24話 星十指定生物

 魔力を全身に巡らせ、身体強化を維持したまま、懐に手を入れる。指先が触れたのは、もうひとつのアーティファクト。


壊壁かいへき宝玉ほうぎょく】。

 露店のばあさんに財布を空にされながらも購入した一つ。

 能力は単純で、一時的な魔力保有量の増大。


 ミルグラドから視線を外さず、左手の握力で宝玉を割る。

 鈍い音と共に砕けた宝玉から、膨大な魔力が一気に体内へと流れ込んでくる。限界を超えて満ちる感覚。これなら、身体強化の段階をさらに二段階引き上げた状態でも、しばらくは動けそうだ。


 さて、まずはなにから確認しようか。


「能力の確認といこうか。幸い、相手はその気のようだし」


 言葉とほぼ同時。ミルグラドの巨体がうねり、周囲の風が唸りを上げて吹き荒れる。

 次の瞬間、尾が地面を打ち据え――地面そのものが浮き上がった。


「ぐッ・・・・・・?!」


 猛烈なスピードで浮上する地面に、強烈な負荷で体が張り付く。


 ――キュィイイイ

 下方で感じる魔力の収束。

 それが放たれる前に四肢に魔力を集中して強引に体を引き剥がし、その場から飛び退く。


 宙に身を投げ出した直後、地面から閃光が奔った。

 まるで流星。光の奔流が浮き上がった地を呑み込み、痕跡すら残さずに消し去っていく。


「マジかっ!」


 光線は消えない。

 そのまま勢いを保って、宙で身動きが取れない俺を含めて薙ぎ払われる。


 ――カチッ

 再び【逆刻の懺悔】が発動する。

 場所は吹き飛ばされた地面に張り付いた状態。


 このままであれば、遠距離光線だけで封殺される。

 身体強化だけで逃げ続けるのは不可能。身体強化での逃走にも限界がある。即座に思考を巡らせ、手札の中から生存への一手を選び取る。


「真なる影は、常に光の裏に在り。この身、この意、この魔を模せし偽骸よ、ひとときの幻を紡ぎ、敵の目を欺け」


 闇魔法――【虚偽の器アストラル・ハスク


 詠唱と共に、俺の外見と魔力波動をそっくりそのまま再現した偽装体が姿を現す。俺自身はその影に紛れるようにして吸い込まれ、身を潜める。


 偽装体と俺は、視覚と意志を魔力で共有している。俺が望む行動を、偽装体は俺の代わりに完璧にこなすことができる。


 神龍の次なる一撃が放たれるより先に、偽装体が地を蹴る。跳ねるように宙へ飛び出し、勢いよく神龍へと突っ込んでいく。


 想定通り、神龍は遠距離で偽装体を攻撃した。

 偽装体は魔法で創られたものだからといって無敵ではない。過剰な攻撃を受ければ魔法は維持できず霧散する。

 案の定、偽装体は耐えきれずに形を保てなくなり、霧が晴れるようにその姿を失っていった。残されたのは、魔力の微細な粒子だけ。


 ただ、この魔法の味噌は、偽装体の魔力が完全に消えるまでは、本体の俺が強制的に外へと排出されないことにある。


「・・・・・・うっし」


 かすかに残った魔力がようやく消え、俺の体はふっと影の中から弾かれるように現実へと戻される。


 地面までは、ざっと四メートル。


 軽く空中で姿勢を整え、受け身を取って着地。そのまま流れるように地を蹴って立ち上がる。


 見上げた先に、神龍の姿があった。

 細かく輝く鱗の一枚一枚が見える距離――手を伸ばせば届きそうなほど近い。


 触りたいという誘惑で、指先がわずかに動いた。だが、すんでのところで理性がそれを止める。


(駄目だ駄目だ。それよりも近距離を維持していれば大規模攻撃は――)


 小さく吐き捨てるように呟いたその視線の先に、あり得ないものがあった。


 ――ミルグラドには、存在しないはずの“腕”。

 それが、あった。


 左腕は、まるで空間そのものを焼き潰すような、圧倒的な熱量の炎を纏い、大気を歪ませている。視界が滲むのは、気のせいではない。

 一方、右腕には、逆に極限の冷気が渦巻いていた。その白い輝きは、見る者に分子さえも凍てつかせるのではと錯覚させる、静謐な恐怖を孕んでいた。


 常識では測れない、異常の極み。

 魔法で創られた二本の腕。だが、その威圧感は“幻”などという言葉では到底片付けられなかった。


 空間が歪んだ。熱のゆらめきに視界がよろめき、焦げた金属のような臭いが大気を焦がす。

 神龍の左腕が振り下ろされたのだ。それはもはや「炎」ではない。炎という現象そのものが、物理法則から逸脱し、空間を灼く熱波の刃と化していた。


 一方、左側には白銀の霧が発生していた。氷の腕が振り上げられると同時に空気中の水分が一瞬で凝結し、粉雪が空中に舞う。だが、その美しさに騙されてはいけない。

 絶対零度に迫る冷気が空間を奪い、空気分子すら震えていた。瞬時に霜柱が路面に浮かび、空気中の水分が音を立てて凍ってゆく。


 そして、それらが――中央で交差する。


 あまりにも近く、その場から逃げることは不可能。

 なによりも、この光景を見逃したくなかった。


「我、影より影へと沈み、観測の鎖を断たん」


 闇魔法――【虚視ノエマ

 魔法の効果は正しく反映され、世界が


 刹那、世界が悲鳴を上げた。


 ――ドゥン!!


 という、重低音の衝撃波が周囲を揺るがす。

 大気が左右から正反対のエネルギーに引き裂かれ、ぶつかり合い、衝突点では温度差が数千度に達する。氷が熱に触れ、一瞬で昇華。水分子が爆発的に膨張し、蒸気が真空状態を埋めようと暴れ狂う。

 その中で、炎の腕は酸素を焼き尽くし、氷の腕はその酸素を氷結させる。爆発的冷凍と瞬間的燃焼が矛盾なく共存する――それはだった。


 衝突地点では、数億パスカルを超える圧力波が球状に広がり、地表がめくれあがる。大地が悲鳴を上げ、半径数十メートルの岩盤が粉砕された。中心には一瞬の真空状態が生まれ、空気がすり寄ってきたその圧力差で、空間が音を超えて裂けた。


 まるで天地が逆転したような感覚。重力さえも捻じ曲げられたような空間の歪みに、鳥たちは墜落し、雲は吹き飛ばされた。


 これが星十。

 あまりにもスケールの異なる攻撃だった。


 破壊し尽くされた場所で、俺は屹立していた。

 その場を動いて回避した訳じゃない。眼前での光景全てを身に受けた。


 ただ、熱も、氷も、衝撃波すら俺を避けて通った。

 存在していないのではない。

 ただ、だけ。


 闇魔法【虚視】。

 それは一瞬だけ、使用者の「因果律そのものを薄くする」魔法。

 視覚、聴覚、重力、衝撃、熱伝導・・・・・・すべての干渉が、俺をで発生しなくなる。


 ミルグラドの腕が交差し、爆発が世界を裂いた瞬間、男の周囲は風ひとつすら吹かなかった。

 中心点にいたにも関わらず、俺だけが静謐の中にいた。


 空気が灼ける音も、氷が弾ける音も、どこか遠くの出来事のようだった。

 世界は悲鳴を上げ、地は爆ぜ、空気が弾け飛ぶなか――俺だけが、としてそこにいた。


 やがて爆発が収まり、煙と閃光が去ったあと。

 ふたたび世界の表面に浮かび上がる。


 強力な効果を持つ魔法だ。

 発動するための魔力も膨大だが、厄介な発動条件として「誰にも視認されていないこと」というのがある。人が多い場所では発動すら不可能な魔法だが、一対一の場面では偶に活躍するネタ魔法だ。


「・・・・・・」


 言葉は出ない。

 しかし、言葉に出来ない感動が胸中を占める。


 見たかったものだった。

 全ての柵を無視できる存在の圧倒的スケール感、その一端を体験して満足感を抱いてしまっている自分を理解する。


 本音で言えば、もっといたい。

 が、満足感を抱いてしまっては【逆刻の懺悔】は発動しない。

 転生したばかりの頃であれば、それでも構わず突っ込んだだろうが、今は面倒を見ると約束した生物がいる。


(ケルンが旅立つまでお預けか・・・・・・)


 最後にもう一度、ミルグラドの姿を見上げる。


「また会おう」


 ぼったくりばあさんから買い取った最後のアーティファクトを発動する。


 須臾の間、俺の姿は、ミルグラドの結界から消えていた。

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