第19話 闇

 魔力を操作し、詠唱をする。


「夜のしじまに紛れ、風の隙間に潜め。我が歩みを、世界よ忘れよ」


 闇魔法――【暗黒の布テネブレ・ヴェイル


 効果は至って単純。

 光の吸収、ただそれだけだ。


 だが、それが生み出す現象は、実に異様だった。


 客席を下りていく俺を見て周囲の客が表情を変えて、慌てて身を引く。

 その表情は、まるで化け物でも見たかのように引き攣らせている。


 ――人間は、光を反射した色で物体を認識する。

 バナナは黄色を、リンゴは赤を。

 だが、すべての光を吸収する今の俺は、反射する色を持たない。


 結果、そこに立つのは"真っ黒な何か"だった。


 肌も服も、影すらも、漆黒に塗りつぶされる。

 そして自身の肌から少し離れた、周囲の空間も揺らぐように黒い靄のように光を不自然に吸収することで確かな輪郭が周囲の人間には認識できなくなっている。


「警備!」


 異変を察知した競り人が声を上げる。

 ステージ脇からぞろぞろと出てくる男達の数は八。


 警備というからにはそれなりの装備を整えた屈強な男でも出てくるかと想像したが、相手は薄汚れていて人相の悪い、いかにも悪党風の連中だった。

 強面の顔に、粗末な武装――どう見ても、賊の類だ。


「おいてめえ魔術師だろ? 気味の悪い魔法使いやがって、ただこんな逃げ場のない場所で姿を見せたらふべッつ?!」


 ナイフをちらつかせながら段を上がってきた賊の顔面にストレートを打ち込む。

 賊は後方に吹き飛び、折れた歯が宙を舞って、カタンと地面に乾いた音を残した。


 失神している仲間の姿を見て硬直している二人目に素早く近付き左フックで側頭部を撃ち抜く。

 ダウンを確認して残りの連中へと突っ込んでいく。


 一瞬遅れてだが各々の武器を構える賊。

 初めて相対するタイプなのか迂闊に踏み込んではこない。


 ただ、用心した所で対処できる技量がなければ結果は変わらない。


「がッ?!」

「くそっ訳がわからん!」


 俺がなにで攻撃しているのか、そもそもどんな態勢か。身長は? 性別は?

 相手にはその一切が把握できない。


 眼前で揺らぐ黒、真正面に立ってしまえば突き出された拳すら黒一色で分からない。

 魔法士がいないというのが最も大きいが、一分も経たぬうちに男達は地に沈んでいった。


「ちっ、面倒なのがいるなぁ」


 更に奥から男が姿を表す。

 動揺はない。騎士団との小競り合いも想定しているはずで、片手間に終わる連中だけではないことは察していた。


(でかいな)


 ただ、想定以上に男の体躯が大きい。

 二メートル近くはあるか。それを支える筋肉の量も桁外れだ。


 男が視線を向けているのは、俺ではなく扉で屹立しているマルス。

 危険を察知して逃げ出そうとしている連中を押さえ、素早く扉の位置を占拠した技量は見事だ。


 まあ、逃げ道はそこだけではないだろうが、主催側ではない貴族におそらく伝えられていない。主催側の屑連中もみすみす金を稼げる機会を逃したくない訳で、たった二名ならと迎え撃とうという算段に落ち着いたと判断していいだろう。


「あいつは扉から動きそうにねえな。ならまずは」


 男の武器は大剣。

 それを片手で軽々と掴み、ギラついた視線を俺に向ける。


「お前から消すかっ!」


 大振りの一閃。

 スウェーで躱し、一度距離を取る。


(あの速さで触れるか、それに俺の動きを目で追えていたな。身体強化魔法は俺より上か)


 恐らく俺が使用可能な三段階目の גギメルの一つ上、 דダレットか。


「姿を誤魔化そうと関係ねえだろ。全部斬っちまえばいいだけだっ!」


 大剣のリーチと、それを十全に扱える身体能力があるが故の発言。

 豪語するだけあり、俺は回避しかできていない。

 だが、単純な思考は逆に隙となる。


 俺の知る戦士は慎重に慎重を重ねるような人物ばかりだったが、これは正確の悪い魔法を開発するプレイヤーがいないことによる変化だろうか。


「ちょこまかと・・・・・・!」


 回避に徹する俺の動きに苛立ちの声を上げる男。

 徐々に攻撃が単調になり回避に余裕が出る。


 ただ、それでも相手の殺傷能力から迂闊に踏み込むことができない。

 打開のため、回避している間に倒れた男達のナイフを手に取り上の照明を狙う。


「何処を狙って――」


 会場の照明は魔法石を利用した簡単な魔道具。

 薄暗い空間の中で数は少ない。ステージ付近のものは計六つ。


 投擲したナイフがまずは一つと、照明を破壊した。

 怪訝な声を上げる男だが、俺の行動の理由をすぐに察する。


 目を細めた男の行動がそれを証明している。


 焦りを秘めた表情の変化を視界の端で収めながら、暗がりを広げるように、残りの照明を破壊する。


(あと二つ)


【暗黒の布】

 そもそもこの魔法は戦闘用に作られた物じゃない。

 嫉妬深い女性が、好きな男性が他の異性と合っていないかを確かめる為に創り出された浮気調査魔法――本人はストーキング魔法だとは決して認めなかった――だ。


 開発理由から、闇夜に溶け込むことに関しての性能は十二分。

 戦場でも十分な威力を発揮する。


「うざってぇ、正面から戦えや!」


 怒声を上げながら横薙ぎに大剣をふるう。

 上体を逸らして回避しながら、そのままナイフを投擲。

 ステージ側、最後の照明が破壊された。


 完全に姿が消えた俺を男は感知できない。

 そのまま攻撃を繰り返してくるかもと思われたが、男はまだ照明が生きている会場の扉側に移動しようと体を反転させる。


 その背を追って俺も足を踏み出す。


 ――コツンッ


 会場の床を踏みしめる音。


「単純で助かるぜ!」


 男がそう判断したのは、俺が投げた賊の靴。

 それを俺の踏み込みと誤認した男は、愉悦に顔を歪めながら再度急反転し剣を振り下ろした。

 隙を見せた男の背後に回り、がら空きのボディに一撃。


「ぐぁッ?!」


 固めていない腹部への一撃に、息を吐き出し腹部を庇うように手を運ぶ動作。

 一瞬蹲ろうとするその隙を逃がさず、軽いステップで位置を素早く調整し、アッパーで下がった顎をかちあげる。

 視界を揺らし膝の力が抜けた男の側頭部にフックを放って、ステージ側に殴り飛ばす。


「あっが・・・・・・ふ、ふざけ」


 音を立てて転がった男に追撃を仕掛ける。

 こうなってしまえば後は作業だ。


 不意の一撃に注意しながら、ただ拳を振り下ろす。


 男が完全に意識を消失させたところで俺は動きを止め、残りの連中が逃げる算段を建てているであろう奥へと足を運ぶ。


 戦闘時と同様に電気を消し、影に身を潜めながら一人、また一人と潰していく。


「やっやめ!」

「卑怯者が! 隠れるなんて戦士じゃねえ!」

「こんなことして五体満足で死ねると思うなよ!」


 威勢のいい声が収まるのは想像より早かった。

 おそらく先程まで相手をしていた男が、今日の中では一番強い人物だったのだろう。


「疲れた」


 ただ、そう一言零し深く深呼吸をする。

 魔法を解き、顔の潰れた競り人の懐から檻の鍵を見つけ出す。


 そのままステージ上にある檻の元へと向かった。


「はぁっはぁっ・・・・・・!」

「ア、アオン」


 獣人の少女と狼は身を寄せ合って、恐怖に身を震わせていた。

 限界を超えた証拠に、少女の下から水音が聞こえる。


(・・・・・・方法をミスったか)


 流石に幼い少女が経験するにはハードルが高い惨状になってしまったかもしれない。

 俺は若干の後悔を抱きつつ檻の鍵を開けた。


「ひゃぁっ!」


 檻の端へと逃げた少女達の姿を見て少し寂しく感じたのは内緒だ。


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