静寂の中の灯

まさか からだ

第1話 都会の喧騒の果て

 ビル群の谷間に立つオフィスビル。その一角でユウキは疲れ切った顔をしていた。パソコンの画面は膨大なデータで埋め尽くされ、背後からは同僚たちの打ち合わせの声が聞こえてくる。


 「ユウキ、進捗どうなってる?」

 突然の声に彼は肩を跳ね上げた。振り返ると上司が厳しい目で立っている。


 「すみません、あと少しで終わります。」

 ユウキの声は震えていた。頭の中は混乱し、何を優先すべきかわからない。締め切りの迫るプロジェクトがいくつも重なり、心の余裕はすっかり失われていた。


 仕事が終わる頃には、いつも日付が変わっている。電車に揺られながら、彼は窓ガラスに映る自分の姿をぼんやりと見つめた。無精ひげ、やつれた顔、疲れた目。そこに映っているのは、自分が思い描いた未来の姿ではなかった。




 ユウキが都会に出たのは、より良い生活を求めてだった。安定した職、都会の活気、自立した生活――彼は希望に満ちていた。しかし、それが叶ったのは一瞬だった。気がつけば、毎日同じような仕事に追われ、人間関係のしがらみに苦しむ日々が続いていた。


 友人たちも、みな忙しさに追われている。休日に会おうと約束しても、結局キャンセルになることが多かった。ユウキのスマホには未読のメッセージがいくつも溜まっているが、どれも返す気力が湧かない。


 「これが俺の人生なのか?」

 夜、薄暗い部屋で一人つぶやくことが増えた。




 そんなある日、ユウキはついに心身の限界を迎えた。会議中、突然胸が苦しくなり、呼吸が浅くなったのだ。周囲の視線を感じながら、必死で平静を装ったが、頭の中は真っ白だった。その日は何とか乗り切ったものの、それ以来、仕事への集中力は失われていった。


 家に帰り、ベッドに横たわると涙がこぼれた。何が悲しいのか、何がつらいのか、自分でもわからない。ただ、生きていることが苦しい。




 そんな時、ふと机の上に置かれた一枚の葉書が目に留まった。それは祖母のサキからのものだった。


 「ユウキ、元気にしてるかい?たまには田舎に戻っておいで。空気も美味しいし、自然に囲まれると心が軽くなるよ。」


 サキの丸みを帯びた柔らかな字が、ユウキの胸に沁みた。都会の喧騒の中で忘れていたもの――それは心の静けさだった。


 ユウキはその夜、ふとスマホを手に取り、電車の時刻を調べた。そして決意した。


 「そうだ、一度帰ろう。」


 都会での生活に追われ、自分を見失っていたユウキが、初めて立ち止まる決断をした瞬間だった。


 翌朝、彼は数日間の休暇を申請し、必要最低限の荷物をリュックに詰め込んだ。そして、長年遠ざかっていた故郷の山村へと向かう電車に乗り込んだ。




 車窓から見える景色が都会のビル群から田園風景へと移り変わるにつれ、ユウキの心も少しずつ軽くなっていくようだった。


 「ただいま」

 静かに心の中でつぶやいたその言葉に、胸の奥から込み上げてくるものを感じながら、ユウキは新たな一歩を踏み出す準備をしていた。

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