第七話 1日目の終わり

「渡さないといけない書類がたくさんあってな。ついでに少し手伝ってくれ。」

職員室へ向かう廊下を歩きながら、中川は何気ない口調で声をかけてきた。西条は軽く肩をすくめながら返事もせずに歩調を合わせる。

すると、中川はふと西条の顔を伺うようにして問いかけた。


「西条、この学校での一日目はどうだった?クラスに馴染めたか?」


その質問に、西条はほんの少し考えるそぶりを見せたあと、ニヤリと笑って振り返る。

「いやー、もう完璧っすよ!さすが俺、って感じですかね。先生も俺の活躍、楽しみにしててくださいよ。」

軽い調子で自信満々にそう言い切る西条の態度に、中川は思わず苦笑を漏らした。


「お前がそんな調子だから心配なんだよな。まあ、期待はしないでおくよ。」

軽く肩をすくめてそう返すと、中川は何かを思い出したように足を止めた。


「そういやお前のそういう明るいキャラ、意外とクラスでも評判良かったんだぞ?」


「えっ、マジっすか!?」

驚いたような声を上げた西条は、振り返りながら得意げに胸を張る。

「いやぁ、やっぱ俺ってどこ行っても人気者ってやつですかねぇ!」

わざとらしく腕を広げ、まるで自分を称える観客がそこにいるかのようなポーズをとってみせる。その大げさな仕草に、中川は呆れながらも笑みを浮かべて見守った。


だが、次の瞬間、西条は急に真顔になり、中川をちらりと見上げる。

「でも先生、それ本当っすか?実は影で『なんだあいつ』とか言われてたりしませんよね?もしそうだったら、俺、泣きますよ?」

最後は冗談っぽい口調に戻り、笑いながら肩をすくめる。


「それは無いから安心しろ。それに、今日一日だけでも皆がちゃんとお前を受け入れてくれたんじゃないか?俺のクラス、あったかいだろ?」

中川は誇らしげな表情を浮かべながらそう言った。その目には、生徒たちへの深い信頼が輝いている。


「まぁ、そうっすね。初日からあんなに話しかけられるとは思わなかったっす。さっすが中川先生のクラス!」

西条は軽快な調子で笑いながら、わざとらしく中川をおだてるように言った。


「おだてても何も出ないぞ。でもまあ、上手くやれてるみたいで安心したよ。」

中川は一瞬だけほっとしたような表情を見せると、再び釘を刺すような口調で続けた。

「ただな、西条、調子に乗って問題を起こすなよ?」


「いやいや、俺って意外と常識人っすからね!そこんとこ信じてくださいよ、先生!」

西条は自信満々な顔で胸を叩いてみせたが、その様子はどこか頼りない。それでも、中川は思わず吹き出すように笑った。


「常識人ねえ……まあ、期待せずに見守っておくよ。」

冗談めかした中川の声に、西条も少し笑みを浮かべる。


そんな軽いやり取りを続けながら、二人は職員室の扉の前にたどり着いた。廊下に差し込む夕陽の光が、どこか柔らかい雰囲気を漂わせている。

「じゃあ、少しそこで待っててくれ。」

そう言い残して職員室に戻っていく中川の背中を、西条はぼんやりと目で追った。

 ──あったかい、か。確かに今日一日だけでも、それは感じた。

俺みたいなやつでも、警戒せず初日から話しかけてきてくれるヤツがあんなにいるなんて、正直ちょっと想像以上だったな。

...中川先生は何の迷いもなく、生徒を信じてる。あの自信満々な言い方だって、裏にはきっとお互いにそういう信頼があるからだ。


信じる……か。俺には、まだちょっと難しい話だな。

信じられたことも少なければ、信じたこともほとんどない。

でも、もし……本当に信頼ってやつがここにあるなら、それはちょっと悪くないかもな。


 そんな思慮を遮るように、職員室の中から「おーい、こっちまで入ってきてくれ〜」という声がかかった。

西条は自分の思考を振り払うように首を軽く振り、「はーい!今行きまーす!」と、わざと明るい声を張り上げた。


-職員室の中で-

  

「よし、これを持っていってくれ。」

中川先生が書類の束を西条の手に渡した瞬間、ずっしりとした重みが腕に伝わった。


「……先生、これ本当に全部、俺が運ぶんすか?」

西条は肩をすくめながら書類を持ち直し、不満そうな表情を浮かべた。

「そうだ。手が空いてる奴を捕まえるのも、教師の仕事だからな。」

中川は軽く笑いながら言い放ち、もう一束の書類を自分の手で持ち上げた。


「いやいや、初日から働かされるって、これ新入生に対する扱いじゃないっすよ。」

西条が軽口を叩き、ぼやくと中川は顔を上げて静かに笑みを浮かべた。


「そんなに言うな。お前ならこれくらい軽いだろ。それに、こういう雑用も案外役に立つんだぞ。」

「雑用で役に立つって、俺の何が鍛えられるんですかねぇ……筋力っすか?」

冗談交じりにそう返す西条の様子を見て、中川は小さく吹き出した。


「かもしれんな。だが、お前にはこういう“地味なこと”も必要だろうさ。」

「俺に必要って、先生、それ絶対深い意味で言ってますよね?」

「さぁな。何かに気づくかもしれないし、気づかないかもしれない。ただ、やって損はないだろ。」


中川の言葉に、西条は一瞬だけ考えるような表情を浮かべたが、すぐに肩をすくめて笑い飛ばした。


た。


「……まあいいっすよ。初日から先生に頼られるなんて、やっぱり俺って頼りになる男っすね!」

西条はニヤリと笑いながら、書類を抱え直して見せた。

「でも、これ全部運んだら、俺の初日からの評価、爆上がりっすよね? 先生、後でちゃんと褒めてくださいよ?」

冗談めかした口調で言う西条に、中川は呆れたように笑いながら返した。

「お前は褒めると調子に乗るからな。それは様子を見てからだ。」


「えー、そこは即答で褒めてくださいよー!」

そう言いながらも、どこか楽しげな様子で廊下に向かう西条の背中に、中川は小さく声をかけた。

「頼むぞ、西条。」


「了解っす! 俺に任せといてください!」

軽快な声を響かせながら、西条は書類の山を抱え、職員室を後にした。


-大きな「勘違い」-


書類をすべて運び終え、疲れた表情を浮かべながら西条が職員室の扉を開けると、既に中川先生が机に座って待っていた。


「おう、お疲れ様。なんだ、案外遅かったじゃないか。」

中川は椅子に座ったまま軽く振り返り、冗談めかした笑みを浮かべた。


西条は肩で息をしながら、書類を運んだ疲労を紛らわすように口を開いた。

「先生早くないっすか?! まさか俺だけ遠い所まで持ってかせて、先生は楽してたとかじゃないっすよね?」


中川はその言葉にクスクスと笑いながら肩をすくめた。

「ははは、これも年の功ってやつだよ。お前みたいな若い奴にはまだわからんだろうな。」


「いやいや、それ絶対ズルしてますよね!」

西条が少しふてくされたように言い返すと、中川は机の上に置いていた書類を片付けながら、突然真剣な表情に変わった。


「ところで、西条。」

その一言で、軽妙だった空気が一気に引き締まる。


「なんですか?」

西条はその変化を察し、少し身を乗り出すようにして中川を見た。


「今月の“実力テスト”、ちゃんと勉強は進めてるか?」


その言葉に、西条は一瞬動きを止めた。まばたきを一度してから、驚いたように問い返す。

「実力テストですか? 何の話ですか……?」


(実力テストってなんだよ……そんなの聞いてねえぞ?)

心の中でそう呟きながら、西条は少し動揺した表情を隠そうと努めたが、中川の鋭い視線に気づいているかのように視線を外した。


「うっそだろ? お前、転入に伝えたじゃねえか。」

中川は立ち上がり、書類を脇に寄せると、西条の方へ歩み寄る。


「現状の実力を見て、今後の勉強内容を調整するための大事なテストなんだよ。全員受けることになってる。」

「いやいや、先生、それ言いました? 聞いてないっすよ!」

西条は焦りを隠そうと、少し大げさに声を上げた。


「言ったさ。ただ、聞いてたお前が忘れてただけだ。」

中川はため息をつきながら椅子に腰を下ろし、机の上に置かれた書類の一部を手に取った。


「とにかく、今から準備を始めろ。勉強しないで受けると後で大変になるぞ。」

中川の真剣な口調に、西条は観念したように頭をかきながら口を開いた。


「……はぁ、仕方ないっすね。じゃあ、今日からってことですよね?間に合います?」


「お前次第だな。」

そう言って、中川は笑いながら軽く肩をすくめた。


 -一人の時間-


「……はぁ、やれやれ。」

西条は職員室を出ると、廊下を歩きながら肩を回した。

夕陽が窓から差し込み、長く伸びた影が足元を照らしている。白鳳学園で過ごした初日の疲れが、じわじわと体に染み込んでくるようだった。


(実力テスト、ねぇ……そんなの聞いてねえんだよな。)

頭の片隅で中川先生の話を思い返しながら、西条は小さく舌打ちをした。


「ったく、また何か面倒事が増えた。俺、ただでさえこの学校に馴染むだけで精一杯だっつーのに。」

そう呟きながら昇降口で靴を履き替え、校門を抜けた。初日の賑やかさから一転して静まり返った街の空気は、なんとなく心に重くのしかかるような感覚を与える。


-帰宅後の部屋にて-


家に帰り着いた西条は、カバンを床に放り出し、ベッドに倒れ込んだ。

その時、ふと、中川先生の「入学前に伝えた」という言葉が脳裏に蘇る。


(入学前に伝えたって……いや、そんな話あったか?)

モヤモヤとした疑念を晴らそうと、西条は面倒くさそうにカバンを引き寄せ、中身をゴソゴソと漁り始めた。


「えーっと、入学前にもらったやつって、確かこの辺に……。」

ようやく手に取ったのは、折りたたまれた1枚の紙。入学案内と一緒に渡された資料らしい。


ベッドの上に座り直し、その紙を広げて目を通す。そこには、しっかりと明記されていた。


「新入生実力テストのお知らせ」


一瞬、目を疑った西条だったが、次第に書かれた内容が頭に入ってくる。

「え、マジで書いてあるじゃん……!」

焦ったように文字を追う。


「新入生全員を対象に実力テストを行います。日程は4月20日。内容は主要科目を中心とし、成績に応じてクラス内での学習計画が調整されます。」


「成績に応じて……調整!? おいおい、これ下手したら俺、いきなりヤバい立場になるやつじゃねぇか!」

大声を出しながら、紙をもう一度確認する。何度見ても、内容は変わらない。

「しかもあと15日しかねぇじゃん!!」


西条は深いため息をつくと、手にした紙をベッドの上に放り投げた。

「最悪だ……。ついこないだ転入試験で死ぬほど勉強したってのに.....。」


暗くなった部屋の中、天井を見上げる西条の表情には焦りと諦めが入り混じっていた。しかし、その目の奥には、どこか小さな闘志のようなものも見え隠れしていた。


(……ま、やるしかねぇか。やらなきゃどうにもなんねぇし。)


そう心の中で呟いた直後、部屋のカーテンが風で揺れ、月明かりが薄く差し込んだ。


-意思-


その手元には、実力テストに関する案内と共に、空白のように真っ白なノートが一冊。

西条はそれをじっと見つめ、しばらくの間考え込んでいた。


(俺、こんな学園でやってけるのか?……いや、違うな。俺がここに来た理由、それを思い出せば……。)


そう思った瞬間、西条は決意を込めるようにノートをパタンと閉じた。そして、もう一度深く息を吸った。

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