16.トロフィーガールは叫べない
「マジでごめん! みゆきち! 碧ちゃん! ほんと助かる!」
その上半身裸の男は手を合わせた謝罪から入ってきた。
巨大クラブの片隅に、クラブ内で騒ぐ派手な若者たちとは雰囲気の異なる人間が集まった場所があって――野間さんと青木さんがそこに辿り着くなり、いきなり上半身裸の男が人垣を掻き分けて出てきたのである。
それぞれの私服におそろいの灰色羽織りを引っかけた集団。須弥山とは中々に古風な名前だし、この人たちが二大武闘派不良グループ・須弥山の面々なのだろう。
数はざっと二十人余り。
地下クラブの奥に存在していた、水が抜かれた長さ八メートル・幅五メートル・深さ一メートルの小型プール――その近くに置かれた革ソファ周辺にたむろし、踊って騒ぐ悪ガキどもをじっと睨み付けていた。
じゃあ……さっき俺たちにちょっかいを掛けてきた奴らが、二大武闘派不良グループのもう一方のゴルゴダかな……?
俺はそう思って、この場の状況を大体把握した。
ゴルゴダの本拠地に須弥山が乗り込んでいるのだろう。
そしてどういう力関係なのか、ゴルゴダは飲酒・喫煙・ダンスと余裕たっぷりな反面、須弥山はだいぶ緊張している。
ともあれ――二大武闘派不良グループの激突が近いのだろう。まさかこのまま無傷で解散ということはあるまい。
そんな場面に俺と野間さんと青木さんは巻き込まれているのだ。
「犬浦、いったいどういうこと? ここまともじゃないんだけど」
青木さんの声には困惑と確かな怒気が含まれている。
いつもニコニコで能天気な野間さんですら。
「もう喧嘩やめたいから須弥山とゴルゴダの幹部だけで話を付けるって約束だったじゃん。絶対雰囲気悪くなるから、無関係なあたしらにいて欲しい話だったじゃん。はっきり第三者ってわかるようにって犬浦がギャーギャーうるさいから、わざわざ制服で来たんだよ?」
上半身裸の男――犬浦を責めるような早口だ。
「悪かったって。なあ、まずは座って。ジュースでも飲んで落ち着こ?」
そう言って野間さんと青木さんを革ソファに誘う犬浦は、細マッチョのイケメンという言葉がぴったりの男だった。
身長は目測、百七十五センチ程度。体重は推定、六十五キロ程度。
目に軽く掛かる程度の無造作ヘアな上に、はっきりとした目鼻立ちをしており、流行の恋愛映画の王子様役を張ってもまったく違和感のない美形だろう。
そんな武闘派不良グループの幹部には似つかわしくない男が、上半身裸、下は丈の短いファイトショーツに裸足と、試合前の総合格闘家のような格好している。
「ちゃんと説明してもらうから」
「いくらあたしらと犬浦の間でも、やっていいことと悪いことがあるじゃん」
渋々といった
だから俺も――誰からも案内されていないが――犬浦・青木さん・野間さんの並びの終わりに黙って座った。百十二キロの体重にくたびれた革ソファが深く沈み込んだ。
ここまで俺をまったく見ていなかったのか、犬浦がキョトンとして言う。
「あんた、誰?」
俺は平然と答えた。
「二人のクラスメイト」
すかさず補足を入れてくれるのは野間さんだ。
「今日ちょっと怖かったから一緒に来て欲しいってお願いしたの。ここに来る時、ちょうど会ったから」
すると須弥山のメンバーたちが少しざわめいた。
完全な部外者が紛れ込むとは想定していなかったのだろう。驚いていないのは俺たちをここまで案内した金髪ウルフカットぐらいだ。
革ソファから身を乗り出した犬浦が、野間さんの隣の俺をまじまじ見てくる。
「でかいな。身長っつーか、身体の厚さ……」
「まあね」
「生まれ付き?」
「さあね」
俺は適当に返して会話を切った。俺のことはどうでもいい話だった。
それで犬浦が並ぶ青木さんと野間さんに身体の正面を向ける。ソファに座ったまま両膝に両手を置いて、二人に深く頭を下げた。
「すまない! 騙した!」
「…………」「…………」
美少女二人は言葉をつくらない。騙されたのは状況を見ればとっくに明らかだったからだ。
「オレが今日闘うために、どうしても二人が必要だったんだ。六代目須弥山総長、
右の拳で左の平手をパシッと叩いた犬浦。その顔には譲れない信念みたいなものが宿っていて、少年漫画の主人公みたいなまっすぐな目をしていた。
「奏太は間違いなく須弥山歴代で最強の男だった。あいつがいてくれたから、ゴルゴダもここ最近はだいぶ大人しくしてたし、オレたちもゴルゴダとの喧嘩に勝ち続けることができてた」
不良だが誰よりも仲間思い。
不良だが胸に熱い思いがある。
「あとちょっと――あとちょっとでゴルゴダとの長い抗争にケリを付けられたはずだったのに……奴ら、外からとんでもない助っ人を入れやがったんだよ。七月の頭に奏太が一対一で病院送りにされて、状況が全部ひっくり返っちまった」
根っからの悪党じゃない。それはわかるが、だからといって嘘を吐いて女子二人をこんな治安の悪い場所に呼び付けていいわけがない。そんなふざけた話があっていいわけがない。
「信じてくれ。オレたち須弥山が正義だ。オレたちはさ、ゴルゴダの暴力に踏みにじられた人たちを守るために、ここら一帯の喧嘩自慢とゴルゴダを見限った奴らが八年前に集まって生まれたんだ。この辺の事情は前に言ったことがあるよな?」
自分たちこそが正義と語る犬浦のまっすぐさに野間さんと青木さんも困惑しているようだ。
青木さんがかすかに震える声でこう聞いた。
「その――その奏太って人とは会ったことないけど、今日闘うためにわたしと美優季が必要ってどういうこと?」
返答はひどく明るく。
「総長の仇を取るっつってもこっちは一回負けてるわけだからな。奴ら、リベンジしたけりゃあ対価を差し出せって言うんだよ。とびきりの美人を今日の勝負の賞品にすれば闘ってやるって。いやぁ、みゆきちと碧ちゃんって有名人なんだな。ゴルゴダの奴ら、二人の名前を出したら一発で乗ってきたぜ?」
俺は、犬浦の言葉を最後まで聞くことなく「はあ――」呆れて天井を仰いだ。
馬鹿だ。クソ馬鹿だ。今世紀一ふざけたクソ馬鹿野郎だ。
そんな感想と嫌悪感しか湧いてこない。野間さんと青木さんは犬浦のことを『悪い感じはしない』と『良い奴』と言ったが、決してそんなことはない。
ただ明るいだけの大馬鹿者だ。
平時は愛嬌があっていいのかもしれないが、時折とんでもない災禍を引き起こす。
「大丈夫、心配すんな。オレ絶対負けねえから。指の一本だって触れさせねえから!」
自分が敗北した時のことを一切考えていない。須弥山という自分たちの居場所を守ることしか見えておらず、自分の行動がどういう結果を引き起こすか考えたことすらない。
「オレには覚悟があんだよ。そんなオレが負けると思うか? 六代目須弥山副総長、喧嘩鬼と
大局観が究極に欠如しているというか……かつて社会人を十五年ほどやった身としては、決して相容れない大嫌いなタイプだった。
不意に。
「――わたしと美優季を売ったのね――」
青木さんがゾッとするような冷たい声をつくる。
しかし犬浦は、少女二人の絶望と失望に気付かないのか、またもあっけらかんと返した。
「売ったわけじゃねえって! ただの喧嘩の賞品だよ! オレが勝てば何もねえから!」
直後、すっくと立ち上がる青木さん。
「美優季、杵築くん、帰ろ」
冷たい声のまま野間さんと俺にそう言うと、野間さんの手を取って歩き出そうとする。
――ザッ。
すぐさま須弥山の面々が青木さんの前に壁をつくって立ちはだかった。上が大馬鹿なら下も馬鹿者揃いということだろう。
ソファに座ったままで青木さんを見上げる犬浦の顔はまだ明るく、なんの悪気もなかった。
「オレたち友達だろ? 今まで仲良く遊んできたじゃないか? 頼むからさ」
アホくさ。聞いてられん。
そう思って青木さんに助け船を出そうとした俺だが。
――――
不意にクラブ内の音楽が消え失せ。
「ガ、ボボッ」「――おおい!! てめえらいつまでものんきに踊ってんじゃねえぞ!! ようやくメインイベントの時間だオラァ!!」
誰かがマイクを握ったような音のあとに天井スピーカーが発したドスの利いた呼びかけに、クラブ中が歓声に沸いた。
「―――――――――――――――――ぃ―――――――――ぇ――――――――」
野間さんが犬浦に何を言ったかも聞き取れない騒々しさだった。
俺たち三人と須弥山メンバー以外のすべての人間が、男も女も、高々と拳を掲げていた。
スピーカーが続けて叫ぶ。
「今宵は極上の血が流れるぜ!! 須弥山のクソ雑魚ども、その最後の砦が参戦だぁ!! お前らの中にもコイツにボコられた奴がいるだろう!! 六代目須弥山ッ副総長!! 犬浦大輝ぃ!!」
直後にはブーイングの嵐だ。
何十人もの男たちが「ブーブー」と腹から音を出すものだから、空気の振動でクラブ全体が震えていた。その中に甲高い指笛がいくつか混ざる。
「時間だ」
そう言って革ソファから立ち上がった犬浦が進み出るのは、水の入っていない小型プールの縁。
身軽そうにただ一人プール内に降り立つと、二度三度深く屈伸した。
「死ねー!! 死ねぇ犬浦ー!!」「テメェも今日で終わりだよ!!」「おとなしく殺されろぉ!!」
この――かつては酒に酔った男と女が水着で戯れていたであろう、長さ八メートル・幅五メートル・深さ一メートルの小型プールがリングというわけだ。
見れば、DJブースの前で踊っていた男女たちも、革ソファの上で酒をあおっていた男女たちも、こぞってプールサイドに詰めかけている。犬浦に向けて罵詈雑言を投げ付けている。
「そしてそしてだぁ!! 聞いて驚けお前らぁ!! どぅぉ~~~しても我らゴルゴダのヘッド様とやりたかった須弥山どもから貢ぎ物だぁ!!」
スピーカーが更にテンションを上げると。
「お前らも噂話でなら聞いたことがあるだろう!! 西府中市第一高校にはクッソ美人のギャルが二人いるって!!
あろうことか須弥山メンバーの男二人が、それぞれ野間さんと青木さんの手首を握って、嫌がる二人をプールサイドまで引きずっていく。
「オレも実物を見んのは初めてだがッ、DJブースから見てもチョ~~~極上じゃねえの!!」
賞品のお披露目ということだろう。
「西府中市第一高校!! 二年五組ぃ!! 野間美優季!! それに青木碧だあああああああああ!!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今日一番の大歓声が来た。
それは人間の叫び声というよりは、多種多様なケダモノの咆吼だった。
俺は、犬浦も、野間さんと青木さんもいなくなってしまった革ソファに一人座りながら。
……しかし、野間さんと青木さんは、ゴルゴダの男どもに犯されて殺されたのか……?
腕組みしてそんなことを考えていた。
性欲に任せて集団レイプするだけならまだわかる。生きたまま首を切断して、二人が通う高校の職員用トイレに遺棄したのはどうしてだろうか。
……………………。
特殊性癖の持ち主がいたのかもしれないが、あれほどの美少女二人をたったの二、三日レイプした程度で殺すのはさすがにもったいないだろう。使い道はいくらでもあったはずだ。
……………………。
ゴルゴダの幹部連中が特殊性癖揃いならそれもありえる話だが……泣きわめく美少女の首を切って学校に放置するシチュエーションで興奮するのは、だいぶ難易度の高い性癖だと思った。
「わざわざオレに殺されに来るなんざ、ご苦労なこったなぁ!! 犬浦ぁ!!」
知らない声のマイクパフォーマンスが始まったので、プールの方に意識をやれば。
「オレがゴルゴダ総代!!
強烈なスポットライトで明るくライトアップされたプール内――犬浦と向かい合う形で、これまた上半身裸で素手素足の男が立っている。
比較的リアルな竜のタトゥーを左胸から左腹に刻み、そこそこの筋肉。
身長は百八十センチちょっとだが、体重は見た感じ九十五キロはありそうだ。
多分アナボリックステロイドのユーザーなのだろう。肩が首にかけての筋肉が異常に発達しており、副作用である女性化乳房症のせいで大胸筋の上に小さな乳房が生まれていた。
「齋木ぃ!!」
マイクを持たない犬浦が、観客の歓声に負けない声量で叫ぶ。
「須弥山はまだ負けてねえぞ!! うちの総長をぶっ倒したのはテメェじゃなくて外部の助っ人だろうが!! 外に頼った卑怯モンが偉そうにイキってんじゃねえ!!」
齋木とかいうゴルゴダのトップが、マイクを通して大きく笑った。
「道島奏太のいねぇチームなんぞに今さら何ができるってんだよ!! 目障りだったのは道島だけだ!! 道島のいない須弥山はなぁ、もう死んでんだよ!! ダハハハハハハハハハハ――ッ!!」
俺は目を離さない。
プール内で元気に言い合う犬浦と齋木なんかじゃない。ひどい人混みの中でチラチラと見え隠れする、プールサイドの野間さんと青木さんの後ろ姿を、だ。
ここからでは顔は見えないが……二人とも肩を縮こめ、脚をかすかに震わせ、ひどくおびえた後ろ姿である。
「……………………怖かったろうな……」
それは、今の野間さんと青木さんにではなく、俺の一度目の人生における二人――誰からも助けてもらえず、犯されて殺された悲劇の女子高生を想って口にした言葉だった。
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