第35話 語る
それから、おれはその後五人にわたる名も無い勇者たちの遍歴を見守ることになった。本来なら、どれも省略してはいけないものだ。どいつもそいつらなりに考え、動き、そして結末に至っていた。ただ、人の人生を覗きすぎておれが参っていたのも本当だ。
後のドラシアン卿らしき勇者が、意外にも鋭い剣捌きを見せる。後は同じだ。用意された魔王が倒れる。卿は勝利を確かめると、そっと額に手をやり弔いの意を示した。
様々な奴がいた。ただただ喜ぶ者、安堵し崩れ落ちる者、何度も止めを刺す者、何か疑問を感じたらしき者。
だが、誰も魔法からは逃れられなかった。物語は粛々と繰り返され、忘れられる。忘れられる……。
次は、おれの番のはずだった。だが、おれの物語はまだ結末を迎えていない。だから今、おれは元通りにおれの中にいて、目の前は真っ暗だ。何もない。何もなかった。
ちらちらと、雪のような何かが目に入った。白い、透き通るような欠片。余白の欠片だと、何となくわかった。
触れればまた消えるような気がして、おれは後退る。だが、これまでの物語の息苦しさに比べれば、それは渇いたところに与えられた清水のようなものだった。美しい、と思う。
「レナルド」
声を出す。返事はない。
「ロッテ、スウリ、グログウジュ」
誰もいない。
「イヴーリオ?」
奴でさえも、ここには見当たらなかった。
「お前は、何もないな」
欠片に話しかける。相当参っているな、と思いながら。
「おれにも、何もないんだ」
語られるべき勇者のおれについて、語ってくれるはずの者は誰もいなかった。語られなければ、残せない。残らなければ、何もない。頭の中で、何を奏でているともわからないレナルドのリュートが聞こえる。
誰かが語ってくれなければ、おれはきっと勇者にはなれない。
そうだろうか?
小さな疑問が、水滴がこぼれ落ち、雫が跳ねるように浮かんだ。
おれには歌がない。習ったが、そう上手くもいかなかった。楽器もない。指が上手く動かず、結局諦めてしまったのだ。声は。声は良いと言われた。考える頭も、上等とは言えないが、ある。言葉は、言葉はいつも考える端から流れ落ちてしまうが、それでも。レナルドと話した。これまでの冒険の物語を。
おれは、実に不器用であるかもしれないが、何も語れない者ではないはずだ。
しゃがみ込む。欠片にまだ力があるかどうかは、わからない。間に合うかどうかも、やり方も。だが、こんな暗闇で朽ちていくのを待つよりは、何かしていた方が百万倍もましだ。
おれの人生を物語にされるなら、どうせなら、おれが自分でやってやる。
おれは、口を開く。どこからにしようか。子供の頃。旅に出た頃。勇者になって、レナルドと会って……。そうだ、やはり城の広間で、ひたすらに長い儀式に閉口していた時のことからにしよう。
あの余白の世界で、レナルドと振り返った時のことを思い出すんだ。そう。
確か、卿がおれを呼んだのだ。
《では、勇者ルー・カミュア。顔を上げよ》
低く重々しいその声に、おれはゆっくりと……出来る限り恭しく素直に見えるよう心掛けて視線を上げようとした……。
それから、それから。その横に、一輪の花が咲いていた。思い出す。
「まあ、そんなことを考えてらっしゃったの?」
それから、レナルドと出会って。軽い奴だな、と思った。歌を作れない語り部。つまりおれは、とんでもない悪手を引かされた、ということになる。
「僕の印象、意外と悪かったんですねえ。無理もないか」
遺構に行った。スウリと出会った。強力な敵。遺構の力をレナルドが使ってくれなければ、どうなっていたことか。
《九の頭、一の尾。金色の目を光らせ、万の鱗を鳴らす》
「思い出すとかなり、恥ずかしいんだけど。よく覚えてたのね」
言葉が、溢れて止まらない。全てを口にしたわけではない。ただ、頭の中を物語が流れていく。その度に欠片は光る文字に染められていく。後から後から、雪のように欠片が降り注ぐ。
おれは語る。だが同時に、喩えようのない寂しさが生まれた。聞いてくれる誰かが欲しい。そしてそれだけではない、おれだけの語りでは足りない気もする、という気もした。
次は、グログウジュ。強大な、おれたちの友。
『ほほう、我をそのように語るか。なかなか面白きことをする』
人の声とはどこか出方が違う、それでも聞き取りはできる。大音声だが騒音というわけではなく、鼓膜を震わす程度だった……。
……グログウジュ?
おれは慌てて振り返る。皆がいた。いつの間に現れていたのか、目の前に並んで揃っている。
「いつから?」
「声は掛けましたよ。でも、ずっと熱中してらっしゃるから」
ロッテがくすくすと嬉しそうに笑っている。
「昔の風景を見て、それから真っ暗なところにいたんですけどね、気がついたらここに来て、ルーさんが僕の話をしてた」
レナルドが、なぜか満更でもなさそうな顔で演奏を続けている。
「あの、本当に最初の頃はごめんなさい……」
スウリが指先をつまみながらどうしようもなく済まなそうな顔をしている。
『なかなかに興深き物語であったな。続けるが良い』
グログウジュがどういう顔をしているのかはよくわからないが、喉を鳴らす音は笑い声であることを知っている。
「その、おれは、おれの話を……」
うん、とレナルドがうなずいた。
「良いじゃないですか」
「そうは言っても、お前の役目だぞ、これは。やり直すか」
こいつに関しては、定められた語り部であるということに悩んでいる風はなかった。イヴーリオの所業に異議を唱えていたくらいか。
「そりゃ、僕の歌は僕の歌で歌いたいものは山ほどありますけど。もう語った人の話を
ルーさんの物語は、ルーさんが紡いで良いんですよ。
とん、と背中を押されたような気がした。こいつ、好きなんだな。語ることそれ自体が。それが、誰の手によるものであっても。
「……おれはおれで、いろいろ見てたんだ。考えてた」
「うん。さっきの、良かったよ」
スウリが面白げに欠片を眺める。こいつがこんなに楽しそうにしているのを、初めて見た気がした。
こいつだって、この先もずっと幸せで楽しそうにしていられる世界でなければ、それは間違っているだろうと、そう思った。
魔王になんてさせてたまるか。
「羨ましいです。勇者も語り部もできるなんて。私も他に何かしたいのですけど、難しくて」
「姫は、嫌ですか」
「嫌ではないの。そうでなければ私なんて、この歳まで生きられたかもわからないもの」
姫君という役割には、窮屈な責任と同時に権力と富とがもたらされる。そのことをこの人はよく知っているのだろう。
「でも、私は欲張りで。他のことだってできるようになりたい」
「探しましょう」
ここを出て、新しくなった土地に帰って、そして探しましょう、とおれは言った。きっと見つかるから。
『何なら、我が乗せてやっても良いぞ。飛ぶのは心地よい』
「おじさま、本当にあちこち探しに行くわけでは……でも、それも素敵ね」
こいつは、赤竜はずっと変わらないのだろうな、と思った。人の世を少し遠くから眺めながら、ずっと自由でいる。羨ましく、眩しく……それでもおれにはおれのしたいことがある、と思った。
「……レナルド、頼む。一緒にやってくれ。竜の背のところからだ」
「僕ですか? 喜んで」
どうしても、やりたかったことがあった。おれも語りたいが、人の力が借りたかった。そして、付け加える。
「順序がある。そろそろイヴーリオが来るかもしれない。気をつけてくれ」
三人と一頭がうなずく。おれはまた語り始める。少しやりやすかったのは、レナルドにいくらか話したことのある内容だったからだ。
レナルドが、静かにリュートを奏で直す。それだ。これのおかげでずっとやりやすかった。おれの語りに合わせるように、声が重なる。大いなる竜の背に乗り、夕焼け空を眺めた時のこと。レナルドはどこか満足げだった。そして。
おれたちは語る。大将気質のキスタ、物静かなバーラル、調子の良いマコール。おれを合わせて四人。かつての仲間の、もういない者たちの話。
なあ、お前ら。おれはお前らのことを語って、魔法に刻みつけてやる。おれ自身が語ってやる。だって、おれ以上にお前らのことを知ってる奴なんて、いない!
少しばかり熱を入れすぎ、感傷的になり過ぎたかもしれないが、おれたちはやり遂げた。そうして、そうして、近づく。スウリとの対話の後に現れたのは。
「……ルー」
歳を経たような、まだ若いような男の声。
「そうか、君も、語るのか」
イヴーリオはどこからともなくやって来た。ただし、その顔は、身体は、先の空間と同じくぼろぼろとひび割れ、崩れつつあった。
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