第11話 帰路
一撃で目をやらせるほど、相手もやわではなかった。二度、三度と切り結び、瞳の奥に浮かぶ名を狙う。腕に阻まれる。その繰り返しだ。
どうにかしてあいつを止められないか。止めるのには目の中の名を傷つける必要がある。名を傷つけるのには手を止める必要が……堂々巡りだ!
からり、と小石が転がる音がした。
「おてて、ひび……」
ボーが息を呑む。おれはいい加減くたびれてきた手でもう一度柄を握り直し、横薙ぎに薙ぎ払った。崩れかけていた腕が、鈍い音を立てて砕ける。遺構の不自然に整った床に転がる。
そうして、もう一度目を狙わんと見つめ直した。虚空の色をした穴を。平衡を失った巨人は、地面に倒れかけ、もう片方の腕でなんとか支えている。
……しゃがんで、子供と目を合わせた時のことを思い出した。おれは、あれは腰が痛くてあまり好きではない。好きではないが、対等に扱うことが礼儀であると思っている。相手が小さいのなら、こちらが合わせるべきだし、大きいのであれば、どこまでも見上げる。
そうして今、巨人はおれとそう背丈が変わらないくらいの姿勢になっていた。
「こいつは、倒さないとならないんだな」
「……放っておけば外に出るだろうし、遺構の瘴気がこれ以上溢れてもいいのなら、自由にすれば」
目を見つめる。底なしの戦意がある。ぎこちなく立ち上がろうとし、残った腕をゆっくりと持ち上げる。おれは、騎士だの戦士だのというものではないから、傷ついてなお戦い続ける相手を褒め称えるような気質ではない。ただただ厄介だと思う。
剣を振り上げ、踏み込み、振り上げる。振り下ろす。もう一度、横薙ぎに大きく、回るように斬り払う。
斬った瞬間、瞬きもせずに、目の中の光を見ていた。赤く小さな、見逃してしまいそうなほどの文字で描かれていたその名を。
『
そうか、それがお前の名か、と思った。
体勢を犠牲にして振り上げられた片腕を掻い潜り、もう一度だけ跳ぶ。身体の重さ全てを掛けて、その目に剣を突き刺した。
衝撃波のような声が、遺構の音を乱す。だが、それだけだった。
いつの間にか、息が荒くなっていた。その音が、近くなっている。ボーがぐずぐずと泣いている声も。遺構の反響音は反対に遠ざかっていた。リュートが、止んだ。
「ルーさん!」
「勇者さま!」
飛び出しそうになったボーをレナルドが用心深く止め、ゆっくりとこちらへ近寄ってきた。
「大丈夫ですか。ずいぶん頑丈だったな」
「あいつ、名無しって名前だったらしい」
へえ?とレナルドが不思議そうな顔をする。その名前が元から定められていたのか、レナルドの歌でそういうことになったのかどうなのか、おれは知らない。同情に値する相手とするのも妙な話だ。あれはただの魔物だ。
「……これで良かったのか? そっちは」
「まあ、そう」
スウリと名乗った少女は、不承不承とは言えどこかホッとした顔で応えた。こいつも妙な奴だと思う。
「結局、お前は何なんだ? 最初に遭った時よりはずいぶんと力を貸してくれたが」
「子供がいたから! 別に何でもかんでもあなたたちを許したわけじゃない」
「許す?」
私たち魔の者は。銀髪に紅い目の少女は、慣れた手つきで見知らぬ印を切った。何かの礼儀ででもあったのだろうか。
「我々を虐げ、魔王様を殺めたそのことを、決して忘れはしない。表の人間たち」
な、と一度納めた剣にまた手を掛けかけた……が。
「その割にはやってることはまあ、後始末というか、一応皆のため、なんだよね?」
レナルドが問いかけるとスウリは、ぐ、と詰まったような声を上げた。
「仕方がない。少なくとも私のすべきことは、やたらと小競り合いをすることじゃないから。それどころじゃない」
「なら、もうちょっと話し合えば少し妥協点を探れるというかさあ。子供がやられるのを見過ごせない人なら、たとえば協力して……」
「知らない!」
今回は、前のような不可思議な消え方はしなかった。少女は隙を突いて駆け出し、おれたちも入ってきた遺構の出入り口から身を躍らせたのだ。当然、姿はすぐに消える。
「……しまったな」
おれは、はあ、と息をついて壁に寄り掛かった。
「思ったよりやられていたみたいだ。止められなかった」
「魔王の話してましたね。残党みたいなものなのかな。にしては、大きい勢力ではなさそうだったけど」
「今回も、姫様への歌ではその辺りは……」
「伏せる感じですかねえ。一体どうなっているんだか」
ボーがようやく状況が落ち着いたと見たのか、とことことやって来ておれの服を小さな手で掴んだ。
「お前も……」
少し考える。叱ってやるべきではあったのだが。まずしゃがんで目線をできるだけ合わせる。巨人とは逆だ。
「怖かったろうにな。よく我慢した」
うわあ、としゃくり上げる声は、遺構の音をかき消すくらいに元気なものだった。
■ ■ ■ ■
「それにしても」
帰り道はすでに薄暗い夕暮れの空気に染まっていた。レナルドに明かりを任せ、眠たげなボーを肩車してやって、ゆっくりと村へと向かった。今頃大人たちが青い顔をしているだろう。安心させてやらねばならない。
「なんでまた弱点を目なんかにしたんだ、背中とかじゃなく」
「言ってもいいけど、怒らないでくださいよ」
「怒るような歌を歌うな」
勇者には、どんな相手とだってしっかり目を合わせてほしいからですよ。それがレナルドの答えだった。
「……あのスウリともか?」
「少なくとも、結構ちゃんと喋ってましたよね。もうちょっと絆されれば結構いけますよ、あの子」
「人聞きが悪い」
ただまあ、と腰に掛かる重みを思う。
「剣の名前は付いたな」
「戦いながらそんなこと考えてたんですか? 余裕あるなあ」
「ながらでするか! 今思いついたんだよ」
巨人斬りだとか、貫きの剣だとか、そういった『格好の良い』名前でこいつらを喜ばせてやるのは、少々癪だったので。
「『
奴の名を貰うことにした。
夕暮れの空は茜と紫が入り混じり、互いの顔も見分けづらくなってきている。だから、おれはレナルドがどんな顔をしたのか知らないし……。
レナルドは、おれがニヤリと珍しく笑っていたことを、おそらく知らない。
▪️ ▪️ ▪️ ▪️
エニモールへの帰り道、レナルドは姉が一言謝ってくれたと、それだけをぽつりと教えてくれた。
「ボーの両親は
がんばって、負けちゃやだ。小さな声を思い出す。
あの子の目には、
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