トマトジュースが切れたら

有ノ木 こはる

トマトジュースが切れたら

 数年前の私なら、キッチンの食器棚横に箱入りのトマトジュース(十本入り)があったら、一本だけ言い訳程度に空けて、残りは重しの役にも立たない存在として末永く疎んじていたことだろう。一体どうしてサラダや煮込み料理に向くトマトをわざわざ手間をかけてすり潰して、「栄養バランスよくかつ飲みやすくするため」という建前で人参やりんご、ケールやらもいっしょくたに液状にして飲もうとするのか皆目見当がつかない。どうやってもトマトジュースはそのまま食べるよりも、トマトの特徴が前に出てきて独特の青臭さを放つし、ジュースと呼ぶ癖に塩を入れてしょっぱくするものもあったりしてどうしても受け入れ難い。それが私の幼少期からのトマトジュースに対する見解であり、一生揺るぐことはないと自信を持っていた。

「トマトジュース飲む?」

 一リットルのペットボトルを片手に台所から問いかけられた。ちょうど夕飯の洗い物を終えた夫はうーんとダイニングのソファで私がうなっているのを聞きながら、シンク前でキャップを捻っている。コップに注ぐこともせずにそのままラッパ飲み。水と見まごう勢いでボトルを傾けてから数秒。私の視線に気がついて口を離して、やっぱりいる?という顔をして赤い液体を小さく振った。私は大袈裟に首を振ってソファに横たわった。

 赤い液体を美味しそうに飲む姿はもはや、

「吸血鬼だー」

「ばれていたか」

 まんざらでもない様子で冷蔵庫に残りをしまうとこちらに歩み寄ってくる。

 彼は特に健康に気を遣っているようなところはあまり見せず、食事も飲酒も程よく自由に楽しんでいる。けれど、毎朝のプロテイン一杯と、寝る前のビタミンやらヒアルロン酸やら数種類のサプリとトマトジュースは欠かすことがない。いわゆる意識の高い、自分ならではのメソッドがあるという感じもないので、私は彼の行動を横目に見ているだけで早二年が経とうとしている。

 そういえば、まだ恋人関係だった頃になぜトマトジュースなのか聞くと、少々驚いた様子で「え、おいしくない?」という反応が返ってきたのを思い出す。

 トマトジュースはおいしいという価値観に慄き、円満な関係を継続できているカップルの特徴は価値観の合致というネットの情報が頭をかすめる。

 これは危機的な状況なのではないかと不安がよぎった。

 まさかのトマトジュース破局。

 いやいや、世の中に一体どれだけのカップルが好みの全てを共有できるというのか。

 元々お互い他人なのだから譲歩しながらやっていくのが基本だろうと飛躍した考えを一旦落ち着かせる。

 むしろ、付き合いが長くなると好みも似てくるとも言う。確かに、長年コーヒーは牛乳と砂糖を入れないと飲めないと言っていた彼は圧倒的な無糖ブラック派である私の影響でブラックコーヒーを飲むようになりコーヒーメーカーまで購入したし、食事と一緒に麦茶や緑茶などの飲料水を口にしなかったのに、今では自らピッチャーに水出し緑茶を作るようになっている。まあ、いずれも夫が私の布教に半ば折れる形で好みを変えたとも言えるのだが、果たして私の方で彼の好みに合わせるようなところがあったかというと回答に詰まる。

 私も好き嫌いで決めつけずに、他者の嗜好を理解すべきなのでは。

「トマトジュースってしょっぱくてあんまり好きじゃないんだよね」

 野菜嫌いの子どもみたいな気もしてきて少し引け目に感じながらも、隣りに座る彼に苦手な理由を述べてみる。トマトジュース信奉者であれば言語道断、良さがわかっていないと一刀両断されるだろうと思いきや夫の反応は意外なものだった。

「ああ、そういうのもあるよね。俺もしょっぱいのは好きじゃないなあ」

「え、全部そうじゃない?」

「しょっぱくないのもあるよ。おいしいのはちゃんとおいしい、飲みやすい。」

 トマトジュースは全て同じという固定概念が崩された瞬間だった。

「ちょっとこれ飲んでごらん」

 再び冷蔵庫に向かい、先程しまった一リットルのペットボトルを手渡される。どろりとした質感の赤い液体がプラスチックの容器の中で揺れた。まだ口にしてもいないのに、ざらざらとした野菜の繊維とトマトの酸味、塩気が彷彿とされて僅かに躊躇する。夫は興味深々の様子でこちらの第一手を今か今かと待っている。ここまで来たら試しに一口とキャップを捻ってボトルを呷る。

「どう?」

 想像していた味がしなかった、というのが最初の感覚だった。あれ、トマトの味はするけど嫌な感じがない、と同時に人参かりんごの甘味を感知して、見た目ほどざらざらした舌ざわりもないままにごくりと喉が鳴った。え、こんなもん?

「おいしい、かも?」

「お、よかった」

 なぜか得意げな彼はもっとどうぞと混乱する私をよそに第二口目を勧めてくる。

 今までのトマトジュースに対するイメージはなんだったんだろう。幼い頃から味覚が変わった可能性もあるし、メーカー側で原材料や加工の改善もあったかもしれないがここまで変わるものだろうか。未だに自分の感覚がおかしいのかもしれないという疑いも抜けきらないが、こうして私も彼の影響を受けて、思わぬところで嗜好の改革を経験することになったのだった。

 なぜか好みの変化が飲料に偏っているのは永遠に解明できない謎の一つだね、と明日あたりドライブに出かけて時にでも言ってみよう。彼もきっと不思議がりながら同意してくれることだろう。

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