第9話 問診と外交

 朝になって、クリスティーナが部屋に来た。


「おはようございます、お兄様。早速ですが、健康診断をします」


 そうだ、確かクリスティーナが俺が無理をしていないか毎日確認すると言っていた。

 

 昨日は俺がすぐに寝てしまったので、その分が今朝になったのだろう。

 

 アドルフは妹を可愛がっていたようだし俺としても健気に頑張るクリスティーナには目をかけてやりたい。


 スキンシップを取ることは大事にしよう。


「あー、えぇと、どうすればいいかな?」


「横になってください」


 起きたばかりだったが、もう一度ベッドに寝ころんだ。


 クリスティーナはベッドの傍に椅子を置いて座った。彼女はすぐにしたり顔になって、人差し指を立てた。


「まずは問診です。痛いところはありませんか?」


「ないな」


「気持ち悪いとか、気分はどうですか?」


「気分はいいよ」


「でしたら…かゆいところはありませんか?」


「かゆい? いや、ない」


「…しんどくはないですか?」


「全然。元気だ」


 浅い質問に端的に答えていると、徐々にクリスティーナが難しい顔になる。


 何を聞けばいいのかわからないのだろうが、あいにく俺にもわからない。


 まぁ、問診自体は儀式のようなものだ。こうやって毎日話す時間が取れればいいだろう。


「クリスティーナのおかげで元気になったよ」


「嘘ばっかり。最初から元気だったのに」


「さらに元気になったんだ」


 俺の軽口に、クリスティーナは不満そうだ。とはいえ、お互いもうできることもない。


 今日もやりたいことは多いし、長官たちと話をしよう。

 

 俺とクリスティーナは部屋を出た。


 すると、俺たちの鼻に朝餉の匂いが漂ってきた。


(そういえば、昨日は晩飯抜きだったな)


 急激に空腹を感じた俺は、クリスティーナと食堂へ向かうことにした。


 広い食堂ではメイドたちがあくせく働いている。避難民にも食事を振舞っているため、いつもより忙しそうだ。


 俺が行くと大変かなと、入口の辺りで迷っていると、気づいたメイドが席に着くよう勧めてくれた。


 こうなっては、遠慮する方が迷惑だろう。開き直ってアドルフの席に座り、食事を始める。


 しばらくして長官たちも集まってきたので、朝食後に打ち合わせをすることにした。


「…と、いうわけで洪水の備えと領民の支援は必要最低限の対応ができている」


 昨日、俺と一緒にいなかったバーバラとクリスティーナに向けて顛末を報告した。


 いずれもまだまだ作業半ばではあるが、みんなと方針は共有できているし、今日の作業には俺がいなくても問題はないだろう。


「今日は領外の対応を行いたい。隣の、バームロ領だったか。そこに行って領主と話したいんだが用意できるか?」


 答えたのはバーバラだ。


「えぇ、大丈夫よ。アドルフ君とバームロ領主のシルヴィア様はとても懇意だしね。どちらかといえば、先方が一方的に好意を持っている感じだけど」


 アドルフの本棚にバームロとの交友記録があったが、確かにルーモンドをかなり優遇してくれているようだった。

 

 突然行っても無碍にされることはないと当たりをつけ、バーバラと二人で外へ出た。


 今日も外は蒸し暑く、地面の歩きづらさは継続中だ。馬車の移動は諦めた。


 バームロの街はそれほど遠いわけではないらしく、今日中には到着できるそうだ。


 昨日作業をした堤防を横目に下流側へ行くと、川に架かった大きな橋が見えてきた。

 

 馬車がすれ違って通ることができる大きさの橋を渡り、川の向こう岸に至った。


「ここからはバームロ領よ」


 見た目には領地の間に差はないが、魔法は使えなくなるそうだ。


 バーバラに言われて試してみたが、確かに魔力を感じなかった。持参した魔晶石を使えば身体を強化できることも確認した。


 道ははるか先まで続いている。


 ルーモンドと違って洪水の被害は大きくなかったようで、歩きやすい石で舗装された道を行くことができた。


「バームロ領はどんなところなんだ?」


「自然が豊かで酪農や畜産が盛んな領地よ。規模はルーモンドと同じくらいね。王国内では同じく辺境の田舎だから他の領地との親交は少ないはずよ。うちとは持ちつ持たれつの仲ね」


「なるほど。唯一のご近所さんか。粗相がないようにしないといけないな」


「えぇ、まぁそうね。でも、ある程度は大丈夫よ」


「おざなりでもでいいのか?」


「バームロも女ばかりの領地だから、アドルフ君は人気があるの」


「あぁ、そういう…」


 そういえば領主も女性と言っていたか。

 

 最初からこちらにアドバンテージがあるのは良い。交渉は俺が担当するべきだろう。


 ちょうど考えていることもある。


「なぁ、バーバラ」


「なぁに」


「実は援助を交渉するにあたって考えていることがあるんだ。俺の思うように交渉させてもらってもいいか?」


 突然の俺の申し出に、バーバラは目を丸くした。


「それは構わないけど。貴方、先のことばかり考えているの?」


「もともとそういうポジションだったんだよ」


 現代の企業だと、役職が上になれば上になるほど将来のことを考えて現在動かなければならない。


 現場は一週間を見通せばよくても、COOともなれば何年も先の理想を考えて現在の一手を考えるのだ。

 

 当たり前のように言う俺に、バーバラは呆れていた。


「はぁ…まったく。本当にすごい人ね、貴方」


「そんなことはないさ。バーバラだってその若さで長官じゃないか」


「私なんて大したことないわ。アイサやラパーマみたいに特別な能力を持った種族じゃないし、クリスティーナ様みたいに血統が良いわけでもないし」


「すごいかどうかは生まれだけで決まるわけじゃない。まだ会って間もないが、俺はバーバラが元いた世界でも希少な類まれなる才能を持ってると思っている」


 バーバラが心底疑う目で俺を見る。


「大げさよ。私にそんな才能はないわ」


「いや、ある」


 俺は立ち止まった。

 つられてバーバラも立ち止まる。


「バーバラは、人が嫌がることを率先してやってくれている」


 思い出すのは、俺がこの世界に転移した最初の部屋だ。


 あのとき、俺との対話を主導したのはバーバラだった。


「最初に話したときからずっと、正体不明の異世界人間との対話で矢面に立っていたのは君だ。そうだろう?」


 自分の行動に思い当たる節があったのか、バーバラは否定しなかった。


「それはきっと、君が後天的に習得した才能だ。親が子供にそうなるように教え、友人がそうであれば尊敬するような。誰にでもできることじゃない、貴重な能力だと俺は思うよ」


 バーバラは俯いた。


 うまく伝えられなかったかなと思い心配していると、彼女の耳が真っ赤になっていることに気づく。


「…ほめるの上手ね」


「そうでもないさ。そんなに人を褒めないからな」


「上手じゃない。このっ!」


 ぐーで肩を叩かれた。


 バーバラはその勢いのまま、どすどすと足音を立てて前を行った。


 おそらく、これまでバーバラを褒める人はいなかったのだろう。


 彼女は外交を一人で取り仕切る立場にあり、部下すらいない。


 アイサやラパーマにはエイダを始めとして領内に気心の知れない人たちがいるが、俺が見ている範囲ではバーバラはずっと孤軍奮闘していた。


 アドルフも彼女より年下で、領主に成りたてとあれば、彼にもバーバラを観察する余裕はなかっただろう。


 必然的に、バーバラの承認欲求は長らく満たされることがなかったのだ。


 照れ隠しの大げさな動作でバーバラは振り向いた。


「あなたといると調子が狂うわ!」


「中身は君より相当年上だからかな。見た目はこんなだけど」


 俺は小さく笑った。しばらくは距離を取られながら歩いていた。


 遠くの方に腰の高さぐらいの木の柵や動物、井戸などが見えた。もうじき人気を感じることができそうだ。


 不意にバーバラが立ち止まった。


 どうしたんだろうと思い近づくと、彼女は小さく呟いた。


「…ねぇ」


「ん?」


 バーバラは立ち止まり、唇をかみしめていた。


 何かを言うか言うまいか悩んでいるように見える。


「…ごめんなさい、やっぱりいいわ」


「気になるな」


「もう少し落ち着いたら話すわ」


 そう言われると無理に今聞き出すのも憚られる。

 

 俺たちは再び歩き出した。

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