第4話 被害状況

 必要な情報共有を終えたため、洪水を受けた直後だというルーモンドの街を見に行くことにした。


 内務長官アイサが道を主導し、軍務長官ラパーマも同行している。

 とてつもなく人気者だというアドルフがどれほど熱烈に歓迎されるか想像もできないため、ラパーマの存在はありがたい。


 領主の館は、その大きさゆえ街から少し離れた場所にあるそうで、俺たちはぬかるんだ土の道をずんずん進んでいる。

 近くには視界を遮るものは何もない。だだっ広い平地だった。かなり遠くの方に門らしき形をした建築物があることがわかる。


「ルーモンドの領地には、広大な農地を擁する農業区と産業の中心である工房区があります。市民が生活をする市民区がそれらを囲み、さらにその外側で軍事区が街を守っています」


 歩きながらアイサが街の概要を教えてくれた。


「軍事区というと、戦争でもしているのか?」


「いえ、ルーモンドがある王国で戦争は何百年も起きていません。外部に脅威はほとんどありませんし犯罪も滅多にありません。それでも、領民の心身の安寧のためにそういった区画があります」


「なるほど。自衛隊のようなものか」


「そうですね、攻めるための軍というよりは自衛のための軍という方が適切です」


「実際見回りばっかりだよ。これからは大工仕事ばっかりするだろうけどね」


 元の世界とは違って平和な世界のようだ。


 女性比率が高い、ということも一役買っているのではないだろうか。男だけが争いをするとは言わないが、女の方が暴力性のある凶悪な出来事が少ないようには思う。


「人口はどれぐらいなんだ?」


「正確にはわかりません。市民を事細かく管理はしていませんし、流入と流出もあります。おそらくですが、千人から二千人という規模ではないかと思います」


「ちなみに兵士は百人くらいいるよー」


 現代日本の小さな市町村に及ばない規模にも関わらず、領民の情報は管理できていない、ということか。

 管理が必要ないくらい民度が高いと見るか、低すぎて管理ができないと見るか。

 館を観察した感じ、パソコンどころか電気もなさそうだし、いずれにしてもそこまでを求めるのは酷か。


(最先端ベンチャー企業の規模でさえ従業員を管理するのは大変だったな)


 俺が務める会社は従業員数が二百名ほどだ。それでも、あいつが気に入らない、会社が気に入らない、取引先が気に入らないなど、様々な理由で問題は起きていた。

 情報技術と規則による統治があっても三年も務めてくれる従業員はそう多くなかった。


 ルーモンドに千という単位の人々が無造作に集まっていることは、俺にはすごいことだと思えた。


 ふと足元に視線を向けると靴はもうどろどろに汚れていた。最初は気になったがもう慣れた。こんな風に馴染みのないことにも慣れていくのだろう。


「街に入ります」


 アイサの声に顔を上げると、石造りの門が目の前にあった。

 門の前にいる番兵が俺たちに敬礼する。


「ラパーマ長官、アイサ長官、お疲れ様です」


「お疲れ様ー。アドルフが視察にきたよ」


「アドルフ様! ぜひ、皆に声をかけてやってください!」


 胸の前でぐっと手を握るやけに美人な女性の番兵。軽装がその肢体のなめらかさをよりきわだたせている。

 鼻の下を伸ばしたくなる気持ちになんとか抗い、俺は思考を仕事モードに切り替えた。


「あぁ。君も街を守ってくれてありがとう」


 簡単に言葉を添えて礼を言うと、彼女は感激してぎゅっと目を閉じた。


 前を歩くアイサとラパーマが振り返り、それぞれの笑い方で笑んでくれる。

 どうやら適切に対応できたようだ。


「すぐそこが入口広場です。まずはこの時間に人の多い工房区に行きましょう」


 広場と呼ばれた場所は泥にまみれ、街の外の道とそう大差ない踏み心地だった。瓦礫やら流木やらも転がっている。

 防壁などの境界もないため、どこから街でどこから外か、門がなければわからない状態だ。


 道すがら、復興作業に追われる多くの人を見かけた。

 ある者は建物に侵入した土砂を掻き出し、ある者は麻袋に入った荷物を運び、ある者は茫然と立ち尽くしている。色々な音が混じり、凄まじい騒音が鳴っている。

 しかし、人が生きようとするための音だと思えば不快感はなかった。


「あ、アドルフ様だ!」


「アドルフ様ー。こんにちはー」


 すれ違う人々から声をかけられ、頑張って微笑みを返す。こんなときでも一時、皆が笑顔になった。どの娘も大変美人だった。

 だが、この笑顔はアドルフに向けられたものであって俺ではない。デレデレしないよう細心の注意を払った。


「…」


 悲しみに暮れ、俯いていしまっている人もいた。胸が痛むが、どうすればいいかわからなかった。

 アイサがそっと彼女に近づき、肩を支え、柔らかく声をかけた。俺も見よう見まねで続けて対応した。

 俺の顔を見ると、泣いている人も興味を持った。励ますと、涙の中にも笑顔をつくった。


 自分が誰かの役に立てることが、自分の役割が理解できてきたことが、ささやかに嬉しかった。


「この辺りが工房区です」


 領民への応対に慣れてきた頃にアイサが目的地への到着を告げた。

 区の堺目に目だった印はなく、石壁に覆われた無骨な建物群が急に現れた。復興作業をする人だけでなく、屋内で作業をする人の姿も見える。

 作業者は火のついた炉の前でガラスのようなものを製造していた。その周辺には鎧や兜が並んでおり、複雑な装飾が施されたそれらを見ると、工房の作業者たちの技術力の高さが窺い知れた。


「工房長に状況を伺います」


 首を巡らせたアイサが、見つけた人物を手招きする。

 やってきたのは、頑丈そうな帽子をかぶり、額にゴーグルをかけたショートヘアの女性だ。


「や、アイサ。あ、アドルフ様もご一緒だ!」


「えぇ、エイダ。アドルフ様には執務をして頂きたかったんだけど、どうしても皆の

様子を見たいと仰られたの」


「それは嬉しい!」


 感動した様子の工房長エイダは、ゴーグルを外し、俺に抱き着いた。

 一瞬、脳が硬直して息を飲んだ。


「アドルフ様ー! ありがとう!」


「ちょ、ちょっと! こんなときに何してるの、離れて!」


「こんなときだからこそだよ!」


 ぎゅっと抱きしめられている。一旦されるがままでいることにし、エイダを引きはがそうとするアイサを手で制した。


「アイサ、いいんだ。エイダ、君が元気そうで良かった」


「元気じゃなかったけど、アドルフ様が来てくれたから元気になったんだよ」


「元気じゃなかったのか?」


「そ。うちの職人も何人かはケガしちゃったからね。仕事を止めようかとも思ってるんだけど、もうすぐ納品日だからね」


 嬉しそうだったエイダの顔に影が差す。


 顧客への納期と仲間の管理との狭間で悩んでいると察した。災害の折には領主からのサポートが必要なんじゃないかと思った。

 ただ、今は納期や職人の状態についての詳しい情報がないしどうサポートしていいかわからなかった。


 働ける職人は屋内で働いているというエイダに頼み、職人たちと会わせてもらうことにした。

 ガラスを作る一人の職人に近づき、気を遣わないよう前置きする。

 彼女は嬉しそうに微笑んでくれた後、炉に向き直ってまた集中した顔つきに戻った。その横顔に話しかける。


「自分の生活も大変だろうに、仕事をしてくれてありがとう。君たちの姿勢には報いたい。どんなことに困っているか教えてくれないか」


 投げかける言葉に気を付けながら、職人たち一人一人と会話を進めていった。


 結果、誰もが納期を気にしていることがよくわかった。後一週間が期限だというそれに脅迫されて、彼女たちは仕事を続けているのだった。


(こんなときでも仕事、か)


 現代でもインフラを支える仕事などのエッセンシャルワーカーは被災時だろうが業務を続行しなければならなかったが、商業用商品の仕事であれば停止してそれぞれの生活を優先するべきだと思う。

 インフラといえば、こういった鍛造を行うために必要な熱するための火や冷ますための水はどうしているのかと思ったが、何のことはない魔法を使っているそうだ。


 ただそれは、ルーモンド限定の技法であり、普通は薪や石炭で火を起こし、井戸から水を汲んで使うらしい。

 魔法があるおかげで、もしくは魔法があるせいで、大きな被害を受けてもなお仕事が継続できているのだった。


(仕事を中止させてもいいか、まだわからないな)


 現状の俺にはまだ情報が足りない。

 経済を止めたとして領地に領民を養う余裕があるのか、日常生活を続けるために彼女たちが仕事以外に何をするのか。

 俺は情報収集を続けた。


「家が壊れてしまったので避難所で寝泊まりしています。でもよく眠れてはいません。それに洪水が来てしまうのではないかと心配で気が気ではありません」


 彼女たちの話では、広く市民に開放されている避難場所があるそうだ。水害の多いルーモンドではいつでも駆け込める避難所が何か所かあるという。

 しかし、仮の住処には、知らない他人がいてその中には傷病者もいるだろう。さらには壊滅の元凶である川も勢いが健在となれば、落ち着いて休むこともできはしないと思う。


 全員と話をしたが、得られた情報は以上だった。貿易については別の場所で話を聞く必要がありそうだ。

 エイダと職人たちを激励し、それぞれと抱擁を交わした後、俺はアイサに声をかけた。


「案内ありがとう。工房はよくわかった。次の場所に行こう」


「あ、はい。お疲れではありませんか?」


「大丈夫だ。早急に多くの情報が欲しい。そして職人たちを休ませてやりたい。申し訳ないが付き合ってくれ。ラパーマも頼むよ」


 俺が指示をすると二人はきょとんと目を瞬かせた。しかしそれも一瞬で、すぐに頷きを返してくれた。


「かしこまりました。ありがとうございます」


「ありがと!」


 この世界でお礼を言われることにも慣れてきていて、毎回恐縮することもなくなった。俺は思いのほか順応力が高いのかもしれない。

 俺たちは次の場所へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る