3(トロワ) ナポレオンの慨歎(がいたん)
マルメゾン城。
ナポレオンはエジプトから密かにフランス本土へと戻り、この城に潜伏していた。
「
ナポレオンは城主の間で、座椅子にかけて、フーシェと対面していた。
この城を選んだのはフーシェで、まさか不貞の妻の、夫の許しなく手に入れた城に居るまいと考えている、総裁政府の面々をあざむくためである。
「この城のための
ナポレオンは二角帽子を城の床にたたきつけた。
この帽子を愛用している彼らしくなく、つまりそれだけの怒りをあらわしていた。
「…………」
フーシェは黙ってそれを拾い、ナポレオンに差し出した。
ナポレオンは傲然と受け取り、かぶり直す。
「そんなことよりフーシェ! シエイエスはどうした! 僕は、彼が呼ぶからここまで忍んで戻って来たのだぞ! シエイエスはどこだ! いなければ、いつ、どこでクーデターを起こすか言え! 奴の思いどおり、奴の『剣』として、僕は総裁政府をたたき潰せばいいのだろう?」
シエイエス。
フランス革命の立役者のひとりであるが、当時、総裁政府の総裁のひとりだった。
弱体化する総裁政府の現状を憂い、強い政府を目指し、クーデターを企図していた。
そのため、フーシェを抱き込んでナポレオンとの連絡を取らせていた。
そして最終的には、クーデターのあと、第一統領に就任し、権力を一手に握るつもりでいた。
「シエイエスは僕に、このナポレオン・ボナパルトに『剣』になって欲しいと言った。さあ、この『剣』をいつ振るう? どこに振るう? 言え、フーシェ!」
ナポレオンは、そのクーデターが成ったあと、シエイエスを軍事面で支える立場となり、敗色濃厚であったエジプト遠征を誤魔化す腹づもりだった。
さらに、妻の浮気でかいた大恥も、このことで帳消しにしようと目論んでいた。
「『剣』、ですか」
そのフーシェのつぶやきは、怒りに興奮するナポレオンに冷や水を浴びせた。
一瞬にして冷静になったナポレオンは、フーシェが何か企んでいることに気がついた。
「……何が言いたい?」
「『剣』、ですか……と言いました。あとはおわかりでしょう」
「…………」
フーシェはあのロベスピエールを出し抜いて
そのフーシェが、このようなことを言う。
『剣』でいることに満足するのか。
『剣』ではなく。
『剣』の持ち主となって。
このクーデターを。
「制するというのか、このナポレオンが」
「……こちら、奥様が頼んで、貴方への協力を快く了承してくれた者たちのリストになります」
「…………」
ナポレオンはフーシェから受け取ったリストを眺める。
おおかた、
このリストは、使える。
こいつらの協力を得られれば、あのシエイエスを出し抜いて新しい統領政府の第一統領になることが可能だ。
ナポレオンは笑みを浮かべた。
「……いいだろう、妻は赦す」
そのリストがローズの
理解した上で、おのれのプライドと今後の人生を天秤にかけた。
結果、ナポレオンは今後の人生を選んだ。
「だが今だけだ。二度は無い」
「……確かに、伝えましょう」
フーシェがおごそかにうなずくと、ナポレオンは立ち上がった。
「では行くぞ、わが薔薇色の人生のために」
*
こうしてナポレオン・ボナパルトは
そのクーデターは、シエイエスによる権力奪取として計画されたものだったが、ナポレオンは妻の人脈を駆使し、おのれの支持を巧妙に取りつけ、第一統領の座を得る。
それはナポレオン・ボナパルトの薔薇色の人生への
一方で、ジョゼフィーヌことローズは、ナポレオンから赦された。
ローズは、(何が原因かは知らないが)これまでのおこないを悔い改め、情人たちと関係を断ち、夫ナポレオンに対して忠実であろうとした。
そのため、ナポレオンが皇帝になるにしたがい――皇妃となった。
……やがてローズは、ナポレオン側からの事情により、離縁されてしまう。
しかし、警察卿の口添えがあったためか、年金の支給と──マルメゾン城の所有は認められた。
その後ローズは、城の庭園に薔薇を植え、動物を集め、それらに囲まれて、穏やかに余生を過ごしたという――。
【了】
マルメゾンのばら 四谷軒 @gyro
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